0,1歳保育室の考え方

ちょっと急ですが・・・

もう一度、保育室の環境を見直そうと思い、塾長から以前に頂いた保育室の考え方をまとめたデータをそのまんま紹介しようと思います。

今回は0,1歳保育室です。(以下太字のところが塾長の考え方です)

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ハイハイ~伝え歩きの赤ちゃんが過ごす空間

日本では0歳児保育室、1歳児保育室など生年月日による年齢別のクラス分けをあたりまえに行っています。でも、よく考えてみるとおかしなわけ方です。 

今0歳児クラスにいる子どもは誕生日がくれば1歳になります。1歳になったら1歳児のクラスに移るのかというとそうではなく、翌年の3月までは0歳児クラスにそのままいます。ですから、寝返りをしている子と、その周りを走り回る子が一緒にいるようになってしまうのです。発達の個人差が大きく、月齢による発達の違いも大きいこの時期、便宜的に生年月日でクラス分けをするのは子どもの実情にそぐわないのです。

そこで新宿せいが保育園では0歳~2歳になるまでの子どもたちを、それぞれの子どもの発達の連続性を保障した空間で生活するようにしています。そして、遊ぶことと、食べることと、寝ることそれぞれの生活がきちんと個々の子どものペースで行うことができるように、保育室の空間は「寝・食・遊」の3つのスペースに分けられています。

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「寝る」空間

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「食事」の空間

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「遊び(動のスペース)」の空間

保育室という空間は、子どもを収容する場所ではなく、子ども一人ひとりの生活の連続性を尊重し、発達の連続性を保障するような環境を確保する必要があるのです。

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「遊び(静のスペース)」の空間

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その時期の発達に合わせた手作りおもちゃ

実際に新宿せいが保育園に見学に来られた際に説明を受けたことがあると思いますが、こうして塾長の考えを文章で読むと、より理解が深まりますね。

またこの時期は入園前見学が多く、これから保育園に我が子を預けようと考えているお母さんお父さん方を案内させていただきますが、どうしても小学校のような年齢別のイメージが強く、異年齢という考え方が新鮮だったり、保育室も壁で区切られておらず、ワンフロアで保育をしている事に驚かれます。そういう親御さん達に自分たちが実践している「見守る保育」をどう伝えたら理解してもらえるのか?とても自分の勉強になります。またこうして塾長の考え方を見直すことで、自分の理解が深まります。

次は2歳児保育室を紹介したいと思います。(報告者 山下祐)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE ittanFINAL

 

もちろん散歩にも行きます。

もちろん散歩にも行きます。

 

散歩先でも髪をとかしたり。

散歩先でも髪をとかしたり。

給食の時間も、

もちろん子ども達と。

もちろん子ども達と。

 

中身は入っていませんが(笑)

中身は入っていませんが(笑)

子ども達から、「まりあちゃんの給食は?」と聞かれ、子ども達が余った食器で用意をしていました。食器がない時は、「せめて…」という感じでしょうか、お茶の入ったコップが置かれている光景をよく目にします(笑)

本物の給食が入っていないことを誰かが尋ねると、

「だってお人形だもん、食べられないでしょ?」

とのことで(笑)その辺りの線引きは子ども達もよく分かっているようです。

もちろんお昼寝もします。

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

 

まりあちゃんも。

まりあちゃんも。

 

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

 

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

最後の写真の子は普段中々寝付かない子なのですが、この日はぐっすり眠っているようでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2007年2月26日『ひいな』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝人形遊びとか、ままごと遊びは、女子が、家事の所作を学んでいるといわれてますが、他にも、子どもにとって、癒し的効果のある遊びだったのかもしれませんね。だから、いつの時代でも、ままごとは子どもに人気のある遊びのひとつですし、最近は、男子も喜んで遊んでいます。きっと、癒されるのでしょうね。〟

これはひな祭り、雛人形についての考察のブログですが、この度の子ども達の姿ととても重なるものがあると思いました。子ども達はこのまりあちゃんとあんなちゃんにきっと癒されているのだろうと思います。

これからも一緒に楽しく生活をしていきたいと思います。素敵な場面に出会う度、これからもちょくちょく報告していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 2

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月31日『人形考2』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

子どもが遊ぶ人形と言えば、世界では、「ヴァルドルフ人形」が有名です。この人形には、目鼻がありません。他人の表情は、目鼻、特に目やまゆ毛、口などで表します。しかし、この人形は基本的に目鼻をつけないのは、表情をつけないためです。目鼻をつけるときは、色鉛筆でうすーく小さく描くだけで、やはり表情はあまりつけないようにします。なぜ表情をつけないかというと、その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるようにということからです。これは、シュタイナーの教育理論に基づいて作られているのです。

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また、『臥竜塾』ブログ2013年6月1日『人形考3』の中ではこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝「ヴァルドルフ人形」には、目鼻がついていません。ついているとしても簡単な点がついているだけで、表情がわかりません。それは、「その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるように」ということからです。かつて、子どもたちは、自然物を使って遊んでいた時の人形にも目鼻がついていません。葉を使ったり、麦わらを使ったり、どんぐり、松ぼっくりなどを使って人形遊びをするときにも表情を表わすような目鼻はついていません。人形に目鼻をつけること、表情をつけることはどう考えればいいのでしょうか?

たとえば、子どもが人形を使って遊んでいる場面を考えてみます。人形を赤ん坊に見立てて、お母さんのやるようなことをするとします。お腹がすくとミルクを与えます。おむつが汚れていると替えてあげます。一緒に散歩に行き、一緒に遊びます。その時の赤ちゃんは、場面によって様々な表情をするでしょうし、母親はその表情から赤ちゃんの要求を判断し、対応します。したがって、その時に遊ぶ人形には、いつも笑っている表情だけでは不自然になります。どのような表情にも見える程度の表情の方がいいかもしれません。しかし、だからと言って、目鼻がないといいのかというと、それは少し違うような気がします。(中略)

 もし、目鼻をつけないことで、それを見る子どもの創造力をつけるという役割があるとします。本の読み聞かせをするときに、子どもたちは挿絵を見たがりますし、紙芝居のような話に沿った絵を見たがります。それは、かつてラジオを聴きながらその世界を創造してワクワクしていた時代から、テレビによってその姿が映され、そのものが限定されてしまっています。ですから、子どもたちは、話だけ、言葉、文字からだけでは不安になるようです。そのため、今の子どもたちに目鼻がない人形を見せると、「変なの!」と言って、創造するよりも不自然さを指摘するのです。それは、自然物を見立てて遊ぶよりも、より本物に近いミニチュアで遊ぶことが多くなった弊害の気はします。もっと、子どもたちの想像力を広げるようなおもちゃが多くなってほしい気がします。

次に、人形によって自分の気持ちを移入する場合です。「ヴァルドルフ人形」の役割はそれを意識しています。子どもの自分の気持ちを人形が受け止めてくれるのです。しかし、その時にも私は考え方が二通りある気がします。例えば、悲しい気持ちの時に、その気持ちに共感してもらうことで癒されるか、悲しい気持ちの時に逆に楽しい気持ちになるようにはげまされることによって癒されるかです。私は、人形に共感を求めるよりも、励まされる役割の方がいいと思います。というのは、疲れてしまった母親は、赤ちゃんの笑顔を見ることによって、癒され、ホッとするからです。共感され癒されるのは、親とか大人から共感された時だからです。辛くても、悲しくても、苦しくても、いつも純粋無垢な笑顔を見せてくれる子どもの姿には癒されます。そういう意味では、いつも無邪気に笑っている人形でもいいかもしれません。〟

改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることがわかります。

藤森先生のブログを読んで、改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることが頷けます。

さらに、この人形の〝つくり〟として、

  • アイコンタクトを目的としていて、抱くと自然と目が合う。
  • 抱いて見つめるとこっちを見つめているような感じがする。

「対人知性を育む上では目を合わせることも必要では。」と藤森先生は仰っていました。この可愛げのある目線は、対人知性へと繋がっていくのですね。

そんなことを裏付けるような、EPISODE 1で報告した朝の会の続きの出来事です。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

 

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

 

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

 可愛いですね。この日から、まりあちゃんとあんなちゃんは皆の仲間入りです。

次回、この新しいお友達との新しい生活風景をお伝えします。

(写真提供:わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組の先生方 報告者:加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 1

突然ですが、新入園児を紹介します。

 

アンナちゃんと、

アンナちゃんと、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

マリアちゃんです。

マリアちゃんです。

 

スウェーデンから来ました。

二人はスウェーデンから来ました。

 

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

 

ありますよ。

クラスの先生が用意してくれました。

 

おちゃらけているわけではなく(笑)とても真面目にこの新入園児をクラスの仲間として迎え入れています。

藤森先生からこのようなお話をいただきました。

  • 人形をつかった保育は、スウェーデン、オランダなどヨーロッパでは主流である。
  • グローバル化、全ての人類への共通理解としても意味がある。
  • 高齢者や障がいをもった子にもとても意味がある。

素晴らしいですね。〝転園してきたクラスメイト〟というイメージで人形を導入されているということで、その方法を模範しています。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月30日『人形考1』の中にはこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝民俗学者であった宮本さんは、「子供の世界」という著作の中で、そのころの子どもの姿を描いています。その章の中に、柳田さんと同様「オモチャ」について書いてあります。まず、おもちゃについて、「子供の成長にともなって、耳からだけでなく、目や動作を通じての教育がなわれる。その中で重要な役割をはたしていたものは、オモチャである。オモチャはモチアソビということばに敬語のオがつき、語尾が省略されてできたことばである。(中略)」

 この説明は、柳田さんと同じですが、その語源を説明するところから、おもちゃは、もともと「子どもが持って遊ぶもの」という機能があり、その内容を大きく二つに分けています。一つは、例えばおひなさまのように、大人の用具のミニチュアで遊ぶことで、大人になるための準備をしているというものと、「子供たちだけの遊び」というのは、子どもが自ら作り出し、それは、その時期の子どもに興味があるもの、その役目として、その時期の発達を促すものであるのではないかと思います。

 宮本さんは、そのなりたちから最近のおもちゃへの経緯を説明しています。「その初めのモチアソビは、きわめて素朴なもので親たちが作って与えたもののほかに、子供たち自身で作った者も少なくなかった。」そもそもオモチャは、身の回りのものから工夫して作られたものでした。しかし、当時でもこのような変化が起きます。

「ちかごろ都会の玩具店や、土産店にたくさんならべられて、人気のあるコケシは、もともと東北地方の木地師たちがつくって温泉地の土産として売ったものである。木地師たちは椀や盆をつくるのがその主業であったが、そのあまった木屑で、人形をつくったのである。コケシというのは、木屑を意味する言葉のようであり、西日本では、木屑をコケラとよんでいる。木屑で人形を作ることは東北だけでなく、西日本にもあった。つまりロクロをつかって木地ものをつくるところでは、そうした人形を子供たちのためにつくる風があったのであろう。その人形をオボコともネブリコともいっている。」

そういえば、私の子どものころは、旅行に行ってのお土産に「こけし」が多く、家には、日本各地の大小様々なこけしがケースの中に所狭しと並べられていました。そして、その形、顔が少しずつ違っていました。今でも、子どもたちは、こけしではありませんが、人形を持って遊ぶことが多いようです。子どもが人形を持って遊ぶというのは、世界共通なのでしょうか、ドイツでも人気です。

日本における人形の発祥は、やはり宗教上からのようです。「もともと人形は神の依代としてつくられたり、人間の災厄をはらうときに用いる。形代としてつくられたのが起源であろうが、こういうものが子供のモチアソビになっていった歴史はきわめて古いと思われ、ヒイナ遊びのごときは、平安時代以来の文献にしばしば見えるところであ(中略)〟る。

人形の歴史が日本でもとても古いものであることがわかると同時に、日本の文化に根付いたものであることも伺えます。

だからでしょうか。子ども達の反応もとてもいいのです。

次回、子ども達の可愛らしい反応と合わせて報告します。

(報告者 加藤恭平)

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE FINAL!!!

 

「あ、そっか!わかった!」

「あ、そっか!わかった!」

何かに気付いた様子の緑ボーダー柄の男の子。

駆け出してどこかへ行き、そしてまた戻ってきました。

おや?

おや?

 

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

 

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

「ザッキー先生!あのバッタ捕まえて下さい、」

との言葉に、

「うーん、だって練習してるもんね。」

流石ですね(笑)空気を一瞬に察知してくれました。

小松崎先生に捕まえてもらおうという目論見が外れた子ども達は、次なる手段を考えます。

また緑ボーダーの男の子です。

また緑ボーダーの男の子です。

「もーちょっとだって!」

行動派の彼。練習の切れ目を狙って、とうとう指導されている保育園の先生の元へ練習の終わりを聞きに行きました(笑)

そしていよいよその時が訪れます…!

ロープが外されました!

すると、

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達が急にバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達がバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…。

なんて劇的なラスト…。

しかし子ども達はよく待ちました。バッタが飛び立つまでの時間、なんと約25分!

子ども達はこんなにも待てるものなのですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月15日『「今」を「冷却」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝マシュマロ実験に合格した未就学児たちが、その方法(現在を「冷却」し、将来を「加熱」すること)を、身をもって示してくれているというのです。

彼らは目の前の誘惑を、それから物理的に距離を置くことによって「冷却」しました。二つのマシュマロという目標をずっと念頭に置きながら、誘惑のもとのテーブルの向こうの端に押しやったり、椅子の上で身をよじって後ろを見たり、わざと気をそらすために想像力を発揮したりしました。大きな報酬のために、欲求充足の先延ばしを手助けする「冷却」戦略を提示した実験では、未就学児たちは目の前の誘惑のもとを、別のものと見なしたり、より抽象的で心理的に距離のあるものと考えたりして「冷却」し、自制心を働かせるのをずっと楽にし、見ている私たちがつらくなるほど長く待つことができたのです。

年齢には関係なく、自制の中核戦略は、「今」を「冷却」し、「あとで」を「加熱」すること、つまり、目の前の誘惑を時間的にも空間的にも遠くへ押しやり、遠く離れた結果を頭の中で近くに持ってくることだとミシェルはまとめています。〟

振り返ればただひたすらにじっとして待ち続けていたわけではなく、様々に工夫をしていたことが思い出されます。〝ロープを飛び越えてしまおう〟〝他の虫を追おう〟という「今」を「冷却」し続け、〝このバッタを捕まえる〟という「将来」を「加熱」し続けることで生まれた約25分間のドラマ。立ち会うことができ、とても感動しました。

そして最後に。約25分という長い時間にわたり、彼らを支え続けたてくれたバッタはというと…。

やはり神様は見ていてくれたようです。

やはり神様は見ていてくれたようです。

 

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

(報告者 加藤恭平)

 

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE 2

 

人数が増えたり減ったり。

人数が増えたり減ったり。

そんな子ども達の視線の先にあるものは、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

バッタ!

バッタ!

このバッタを巡ってドラマが生まれていきます。

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

 

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

色々と案が出ています。

その横では別の集まり。

その横では別の集まり。

虫を捕まえて大盛り上がりしているお友達を横目に、

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

何だか偉いですね(笑)

ちょっと賢い(?)緑ボーダー柄の男の子(4歳児クラス)で、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを足で詰めてみようとします。

すると横の子達が、

「それだめだよ。」

「それだめだよ。」

「入っちゃだめって言われたじゃん。」と声をかけるのです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年9月12日『平等バイアス』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。(中略)

彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。

このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」

研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。〟

それぞれこの子達の根底には、〝バッタを自分のものにしたい〟という欲求があるのだろうと思います。〝ロープの中に入ってはいけない〟というルールを守ろう、守らせようとする行為の裏に、上記のような心理が働いていることを思うと、子どもとは、人間とは何と面白みに満ちているのだろうと改めて感じます。

それでもまだまだ練習は続きます。

それでもまだまだ練習は続きます。

ここまでで約15分。すごいですね。ラストは意外な展開を見せます。

(報告者 加藤恭平)

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE 1

 

散歩先の公園です。

散歩先の公園です。

指にトンボが止まるという、何とも嬉しい光景に出会った子ども達で、トンボもその期待に応えようとしてか、

すぐ傍を快く旋回してくれています。

すぐ傍を快く旋回してくれています。

秋を感じますね。

そんな中、「ちょっといいですか?」と声をかけられました。

他園の先生方で、運動会に向けての練習をしたいとのことで、配置がわかるようにロープを張りたいとのことでした。

ここから長い長い一つのドラマが生まれます。

ここから長い長い一つのドラマが生まれます。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月7日『意志の弱さ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝誘惑に打ち勝つための自制心は人生を送る上でとても大切な力です。それは、自分自身で目標を達成するためには欠かせません。しかし、自制心は、自分自身のために必要だけでなく、社会を形成するためにも必要な力です。各人が、それぞれ好きなことだけを行なっていたら社会は成り立ちません。ミシェルは、「自制心は長期的な目標を首尾良く追求するには欠かせない。また、思いやりに満ち、互いに支え合う関係を築くのに必要とされる克己心や共感を育むのにも必須だ。自制心があれば、幼い頃に困難に陥ったり、学校を中退したり、物事の成り立ちに無頓着になったり、大嫌いな仕事から抜け出せなくなったりするのを避ける助けになる。」と言っています。〟

今年度、成長展のテーマは〝自制心〟。子ども達にその力が育まれていることを大いに感じたこの度の出来事を、何編にかに分けて報告したいと思います。

(報告者 加藤恭平)

小さい子も大きい子もスクラム組んで オー!

10月1日(土)、新宿せいが保育園第10回の運動会が行われました。

係りの先生方を中心に準備、予行を重ね、当日を迎えました。開けて月曜日、保護者の方々からの感想を聞き、今年度も素晴らしい行事であったことを改めて実感しました。

そんな運動会。当日はもちろんでしたが、それまでの取り組みの中で個人的にとても感動した場面を紹介します。

お休みの子が3人いたので、27人のわいわい組(3歳児クラス)の子ども達です。

お休みの子が3人いたので、27人のわいわい組(3歳児クラス)の子ども達です。

〝かけっこの並び方〟が成功した瞬間でした。

二度の予行を経て、その並び方にとても時間がかかってしまっていたように感じていた運動会2日前。子ども達とゲームをしました。

〝順番に何秒で並べるかゲーム〟です。

すいすいさんなら15秒くらいかな(思いつき)、と前情報を伝えて取り組んだところ、なんと10秒もかからずに出来てしまいました。

思わず感動で目が潤むわいわい組(3歳児クラス)担任二人(涙笑)

まさかと思いもう一度トライしてもらいました。

バラバラになってくださーい。

バラバラになってくださーい。

 

よーいスタート!

 

並んでくれています!

並んでくれています!

 

そしてー、

そしてー、

 

完成!

見事!

 

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月2日『楽しい挑戦』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ガードナーは、人には様々な知能があるにもかかわらず、現在、学校では、狭い知能観によって測定される能力を重視し、本来、人として生きていく上でもっと大切な能力に目を向けていないのではないかという指摘はよくされます。それは、同じことをやるにしても、そのやり方、そのものの価値、それらは、様々です。(中略)

よい指導者とは、「楽しい挑戦」をどのくらい提供できるかにかかっているのです。辻井さん(盲目のピアニストの辻井伸行さん)の恩師の川上さんは、生まれつき目が見えないために譜面が見えない辻井さんのために、特別に録音した「譜読みテープ」を作成したのです。辻井さんは、「12年間、先生との二人三脚の挑戦があったから、今の自分があるのです。」と語っています。

学校の先生も園の保育者も、子どもたちの楽しい挑戦を与えられるような能力を持ってほしいと思います。それには、広い視野が必要です。〟

〝列をつくる〟〝並ぶ〟という一聴すれば堅苦しく、時に厳しさでもって成立させてしまいがちな事柄も、ゲームにすることによって、こんなにも楽しく取り組めるのだということを実感しました。

本番も、このゲームの効果があったかどうかはわかりませんが、滞りなく並ぶことができ、スムーズに進行の波に乗ることが出来ました。

遊ぶこと。ゲームにすること。楽しむこと。保育者は大人としての立場を用いてその権力を行使する存在ではなく、子ども達にとって時に遊びのリーダーであるべき存在であるということを、改めて感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

 

人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでゆきます 番外編

折り紙の件をきっかけに知り得たことは〝大事なことは3階で話すと伝わり易い〟ということでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月31日『ドイツ報告5』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ドイツに来て、保育室内での騒音を調査しているのですが、室内での防音による工夫は少ないように思いました。しかし、とても静かなのは、いちばんの理由は、室内にいる子どもの数か圧倒的に少ないことにあるようです。広い部屋でのお集まりを見たのですが、先生が二人に対して、子どもは6人でした。〟

新宿せいが保育園では、茶室のある3階フロアを〝静の空間〟に、2階フロアを〝動の空間〟に分けて、生活のメリハリを設定しています。

ドイツの保育室程子ども達の人数を少なく設定することはしていませんが、3階を子ども達の総人数に対して約30%程(20人強くらい)の人数に設定し、朝の会や帰りの会などのお集まりの時間を、また、給食の時間を過ごすことにしています。

「折りたいものを決めてから折って下さい。」

と、先日、折り紙についての抜群のアイディアを出してくれた先生も、そのルールを子ども達に伝えるのに3階を選んだとのこと。わいらんすい(3・4・5歳児クラス)全体で〝ぞうグループ〟〝はなグループ〟〝ことりグループ〟と3グループあり、それが毎日日替わりで3階でのお集まりにあたる為、3日に分けて話さなければならないという点がありますが、「同じ授業を3コマやるみたいで、高校の先生みたいです(笑)」と、笑っていました。

丁寧に事前ルールの伝達を終え、すると、こんな姿が見られるようになったとその先生が教えてくれました。

左にいる子がらんらん組(4歳児クラス)の子、右にいる子がわいわい組(3歳児クラス)の子です。

左にいる子がらんらん組(4歳児クラス)の子、右にいる子がわいわい組(3歳児クラス)の子です。

職員手作りの折り紙の本を見ながら、折り方を教えているようです。

このような穏やかな関わりは、3階ならではのように思います。

改めてこの3階という静かな空間を大切にしていきたいと思ったこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでゆきます

製作ゾーンにて、クラスの先生の考えたアイディアが冴え渡っています。

というのは、〝折り紙〟についてです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2009年6月22日『折り紙』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝もう30年くらい前のことですが、プライベートで妻とカナダに行ったときのことです。カナダでは妻の友人であるカナダ人の家庭に泊めてもらいました。ある日、少し時間があったので散歩に一人で出かけました。すると、小学校がありました。そこでその学校を突然訪れてみました。(中略)中に入っていき、自分の身分を明かし、見学をお願いしました。(中略)

教室を回っていたところ、あるクラスの担任から、子どもたちに折り紙を教えてあげてほしいと頼まれました。そこで、鶴の折り方を教えることにしました。まず、みんなに折り紙を三角になるように二つに折るように見本を見せました。すると、子どもたちは三角に二つに折って、その折り目を持って「鶴だ!鶴だ!」とひらひらさせながらとても喜んでいました。それを見て、このあと折るのをあきらめました。それがやっとの子どもたちに、そのあとの難しい工程はとても無理だと思ったからです。そのときに、折り紙は日本の文化であり、日本人は器用なのだということを再認識しました。

 たしかに、日本伝統の折り紙遊びは海外でも「Origami」の名称で知られ、多くの人たちに愛好されています。ですから、ドイツ研修にみんなでお土産を持っていくと、何人かは折り紙を持っていきます。しかしドイツでは、幼児教育の創始者フリードリヒ・フレーベルが考えた幼稚園教育には、「恩物」と呼ばれる遊具と、「手技」と呼ばれる遊戯が含まれていて、手技の一つが紛れもない折り紙でした。この恩物と手技は、三つの範疇を含んでいます。明治時代の翻訳では「物品科」「美麗科」「知識科」といいました。その中の物品科で普通の折り紙が取り入れられ、美麗科では、座布団折りや対称的な模様を折ったりしました。また、知識科では、折り紙から簡単な幾何学を教えていました。

 折り紙は、空間把握力や手先の器用さ、集中力を養う教育的・治療的効果などがあり、さらに折り紙は、数理・幾何の世界への優れた具体的なアプローチ手段であり、論理的思考をするための数学的訓練手段であるとしています。〟

そんな素晴らしい力をもった折り紙ですが、少し困っていました。

というのも、折り紙を自由に使っていいようにしていたところ、取ってはクシャクシャにしてそれでおしまいにしてしまったり、白い部分にちょっと色鉛筆で色を描いておしまいにしてしまったり、と、折り紙本来の遊びへ発展させられない場面を多く見ていたからです。

すると、クラスの先生がこんなアイディアを出してくれました。

「折りたいものを決めてから折って下さい。」

シンプルな提案なのですが、とても効果があり、折り紙の本を持って保育者の元へ子ども達がくるようになりました。折りたいものと折れるだろう力が掛け離れている場合には、こちらから提案もできますし、折ってほしいだけの場合には、折ることが得意な子に折ってもらうよう促すこともできます。

前もって言うことを〝事前ルール〟と言ったりもするそうですが、言葉がけ一つでこれだけの効果があることを実感しています。

この折り紙の件をきっかけに、いくつか別の発見もありました。

次回の報告でお伝えします。

こちらの先生の提案です。朝の会などで、このような使い方も子ども達に提案したようで、すると、

こちらの先生の提案です。朝の会などで、このような使い方も子ども達に提案したようで、すると、

 

このようにして応えてくれる子ども達です。素晴らしいと思います。

このようにして応えてくれる子ども達です。素晴らしいと思います。

(報告者 加藤恭平)