Blue floor philosophy episode 5『なぜ、利他的行動?』より

ふとした時に新すいすい組(5歳児クラス)の子どもたちの姿に驚かされます。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

 写真右のすいすい組(5歳児クラス)の子の側にいるのはわいわい組(3歳児クラス)の子たち。

「ほら、見てごらん。」

「ほら、見てごらん。」

見方を教えてあげるような優しい口調、そして、とても自然に見せてあげられるものなのですね、感心してしまいます。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

わいわい組(3歳児クラス)の子が集まってきました。

 「はい。先にいいよ。」

「はい。先にいいよ。」

今までもそうだったのでしょうか、当たり前のように、自分が飲むことは後回しにするのですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月30日『なぜ、利他的行動?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。」

自然と振舞う子どもたちの姿から人類の進化を思います。子どもたちの姿から学ぶことの多さに驚かされますね。

(報告者 加藤恭平)

慣らし保育は面白い①

先日の塾報告でも書きましたが、この4月から大学に編入学し、人生2度目のキャンパスライフを送っています。(まだ授業は始まっていませんが…笑)

この短い時間ですが、社会人を経て大学生になったことはとても良かったと実感しています。やりたい勉強、やりたいことが18歳で大学に入学した頃よりも明確ですし、モチベーションが違います。もちろん世の中には18歳の時点で、将来のことを考えて大学に進学した人もたくさんいるでしょうが、私の場合、正直高校卒業の時点では真剣に将来のことは考えておらず、漠然と大学進学を決め、そこでやりたいことを見つければいいやという考えでした。実際に大学在学中にやりたいことが見つかり、新宿せいが子ども園に就職して、大学再入学という現在に至っているので、それはそれで良かったなとも思いますが、編入学し、自分の大学時代を振り返って後悔することはたくさんあります。その後悔をこれからの人生2度目のキャンパスライフで取り返そうと今はワクワクしています。

大学は、ゼミ・卒論が必修の学部なので、3年編入の場合、入学する際にある程度卒論のテーマと、入るゼミを考えておいた方が良いと入試の面接試験のときに言われていました。仏教を学問として学びたいということが大前提ではあったのですが、入試に向けて自分なりに仏教を勉強していると、見守る保育に近いものを感じるようになりました。ですので、まだ明確なテーマは決まっていませんが、卒論は保育を仏教と絡めて書けないかと思っています。そういう経緯もあり、今は保育においても、なんだかモチベーションが上がっており、アルバイトとして新宿せいがに残れるのは、とても有難く思います。

しかし、アルバイトでの所属とは言え、どうしても新宿せいがとの距離を感じてしまいます。4年間毎日出勤していたのが、この1週間出勤せずに大学のオリエンテーションに出席するだけで、とても寂しく感じるのです。大学の後、夕方の延長保育に入れるとは言っても、やはり日中のコアタイムが恋しい…。

と言うことで、時間割を組んでみたところ、なんと!!月曜日が空きにできるではないか!(人気授業は抽選のため、落ちると月曜に授業が入ってしまう可能性もありますが…)保育と仏教を絡めた卒論を書くためには、ガッツリ保育も見なくては!と、自分に言い聞かせ、勉強もしっかりやると誓い、月曜日を全休にすることにしました。だって、勉強もしたいけど、保育もしっかり見たいんだもん(笑)

さて、前置きはこのくらいにして、本題へと入りましょう。

4月9日は入学式のため、1日せいがにいました。入学式の対象は1年生。編入学の3年生は対象外ということで久々に1日入れたのです。実は、先週の金曜日にベテランの先生方と呑む機会がありました。そこで、「慣らし保育がスゲー」という話になり、ぜひ月曜日に動画を撮ろうという話になったのです。この時期にしか見ることのできない慣らし保育。毎年その様子をしっかりと動画に収めなければ!と思うのですが、なかなか撮れずにいました。この機会を逃すまいと、絶好のチャンスである月曜日に撮ることにしたのです。なぜ、月曜日か。それは、先週ある程度の慣れ保育は済ませているのですが、入園して初めての休日明けということもあり、保護者との別れ際に大泣きする子が続出し、「慣らし保育–再び–」となる子が多いからだそうです。どんな慣らし保育が見られるのか、楽しみで月曜日出勤しました。

今回は、動画で収めたので、感動した場面をスクリーンショットし、載せていこうと思います。私の視点で、先生の関わり方、子ども自身の関わり方などの視点で、感動した場面をご紹介します。撮り方としては、全体的な動画も撮っていますが、メインはある新入園児の男の子に密着する形で撮っています。新入園児を取り巻く、環境。場所・物は勿論ですが、今回大きく関係するのは「人」だと思います。保護者・担任の先生・クラスの子どもたち、そして、慣らし保育のお手伝いに来ている年長の子たちです。色んな関わりがあって、新入園児がクラスの輪に入っていく様子が見られました。

私なりの結論を先に申し上げます。見守る保育というのは、方法ではなくゴール、つまり目標の姿なのだと改めて感じました。塾長の講演でもよく耳にしますが「子どもを見守りましょう」ではなく、「見守れる子にしていきましょう」ということです。そのために、慣らし保育は、信頼関係を作っていく時期なのだと思います。保育園に慣れてない子、ましてや初めて保育園に来る子がいます。その子たちは、初めての場所、初めての人に終始警戒しています。そんな子たちを、いきなり「見守っています」というのは不可能で、その警戒心を解くことが慣らし保育の目的であり、そのために担任がいるのだと思います。それは、新入園児の一番信頼している保護者を安心させるためでもあります。また、目標である「見守れる子」になるために、必須なのが他の子、友達です。勿論同じ年齢の子だけを指しているわけではありません。色んな年齢の「他の子」がいることで、大人が口を出さなくても、自分たちで考えて行動し、「見守れる」ようになるのだと思います。(新入園児にはもうちょっと先の話)

どちらにしても、新入園児の緊張、警戒心を解くことができるのは、担任や他の子といった「人的環境」の力が大きいと思います。そこで、慣らし保育の様子を見てみると、新入園児は自分の保育の「入口」として適した人を自分で選んでいるように感じました。(登園の際に預けた先生の場合もあるようですが)この日の1歳児クラスでは、ある子は、担任のY先生。またある子は担任のK先生。違う子はお手伝いに来ていた年長児クラスにいるお姉ちゃんと言った様子です。そして、新入園児の「入口」となった先生・園児は、それぞれの状況に共感し、甘えを受容します。時には普段の保育では見られないようなこともやってあげる必要があるのです。なぜなら、信頼関係を作ること、園の生活に慣れることや、不安を取り除くことが最優先だからです。

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とことん新入園児の探索に付き合うY先生

 

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K先生は新入園児と一緒に絵本を読んでいます。用があって部屋からいなくなると泣いてしまいます

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この子はお姉ちゃんのお陰ですんなりと。頼りになります。

続く

西村 宗玲

Blue floor philosophy episode 4『社会的相互作用』より

夕方、園庭へ出ると面白いやりとりがありました。

縄跳びの上手なすいすい組(5歳児クラス)の子。

縄跳びの上手な写真左手すいすい組(5歳児クラス)の子。

体を動かすことが上手なことは知っていたつもりでしたが、ここまでとは、個人的にとても驚きました。

すると、

「ねぇ、コツ教えて。」

「ねぇ、コツ教えて。」

と、写真奥右手すいすい組(5歳児クラス)の子。

「コツ」知りたいですね。名人曰く、

  • 縄跳びが上にきたら跳ぶ
  • 脇をしめる
手をとって、とても丁寧に教えていました。

手をとって、とても丁寧に教えていました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月5日『社会的相互作用』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「なぜ強くて優位な立場にある個体が、公然と打ち負かした個体をなだめたり、慰めたりするのだろうか?という疑問を考察しています。実際、園現場ではそのような状況を目撃することが多くあります。ドウ・ヴァールの説明には非常に説得力がありますが、優位な動物は優位なスタイルをもっており、親和的関係を維持するために、様々な度合いの力と融和を使い分けているというのです。協力的、融和的な戦略は、優位な個体が従属者を必要としており、従属者が集団を自由に離れられる状況で用いられると言います。

私たちは実際に感じていることですが、同様のことが、子どもについても報告されているそうです。たとえば、『開放状況』という、自由に集団を離れてよい状況では、集団を離れることができない状態である『閉鎖状況』と比べて、葛藤の解決や協力がより多く観察されるそうです。」

優位性という性質が人類の進化を促していることを塾長のブログから知ります。ただ、そこに表裏一体のようにある、例えばいじめというような弊害行動でなく、「私はあなたより優位かもしれない(実際縄跳びを跳べる分、優位であろう)。そして、あなたは私を認めてくれている。そんなあなたに何かできることをしてあげたい」、というような、御礼のような、情、奉仕のような、ヒトの根底に流れる優しさのようなものが、人類進化の大きな基盤となってきたのではないかと考えます。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そんな姿を見る時が、とても楽しみになります。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 3『集団のポイント』より

 

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

すいすい組(5歳児クラス)の子が、その絵を描いて下に貼っていました。

この絵の原作者がにこにこ組(2歳児クラス)の時に担任をしたことがあり、その時の印象と比べてこんなにも絵が上手になっていたことに驚き、思わずその子に確認をしてしまいましたが、見事にその子の作品でした。

その絵の前でやりとりをしていると、わいわい組(3歳児クラス)の子がすっと寄ってきて何やら始めました。

周りの子も気になっています。

周りの子も気になる様子。

絵を真似て描いているのですね。

絵を真似て描いているのですね。

いい感じですね。

いい感じですね。

すると、

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

出来た作品がこちらです。

出来た作品がこちらです。

 ブログ『臥竜塾』2012年4月17日『集団のポイント』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「集団のポイントから園における子ども集団を考えてみたいと思います。子どもたちの学びにはある規模の集団が必要です。そこには、多様性が存在するからです。多様性が、いろいろなものを生み出していきます。その多様性は、個人差だけでなく、男女であったり、年齢が違ったり、発達が違ったりという集団が必要です。よく、保育において、同じ年齢同士の中で育つこともあるのではないかという人がいます。同じように、男の同士で育つもの、女同士で育つものもあるでしょう。しかし、だからといって、クラスを男の子だけでクラスを構成するとか、女だけでクラスを構成するとかを今は考えません。それと同じであるのに、同じ年齢だけでクラスを構成することが多いのはどうしてでしょう。子どもたちは、男女混合のクラスであっても、男の子だけで集まって何かをすることもありますし、女の子だけでおしゃべりをすることもあります。同じように、異年齢児クラスであっても、同じ年齢だけで何かをすることもあります。

異年齢でクラスを形成することの意味がほかにもあります。子ども同士から生み出された活動を、保存し、維持し、文化として伝承するためには、縦の関係によるネットワークがなければならないからです。大きい子がやるのをじっと見ること、それを真似すること、それが次の世代につないでいくことになるのです。よく、「子ども文化」と言われますが、これは、子どもの中で生み出され、子どもの中で伝承されていかなければならないのです。」

出来上がりの作品に満足そうなその子の表情と、原作者の彼の成長を目の当たりにし、とても嬉しい時間となりました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

 力作ですね。

そして、物語はこのようにして幕を閉じます。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

このような伝承も行われるのは、異年齢ならではなのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 2『シンガポール報告13』より

先日、遅番の時間にわいらんすい(3・4・5歳児クラス)に入りました。

製作ゾーンに向かうと、「おにぎり屋さんです。」と声をかけられ、好きな具を聞かれました。高菜をお願いすると、「何それ?」とのことで、色や形を説明.

すぐに持ってきてくれました。

すぐに作って持ってきてくれました。

 緑色の魚が散りばめられた『〝さ〟かなおにぎり』

「こんなのが好きなの?」と一言。これだから3・4・5歳児クラスは面白いですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月11日『シンガポール報告13』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「講演で主張したのは、今子どもたちは大学の入学試験を受けるわけでも、社会に出るわけでもないのです。子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに、どんな力が必要になるのかを考える必要があると思っているのです。また、本当の学力とは何であるのか、また、何のために学力が必要であるかを考える必要があることを主張しているのです。それは、保護者講演のまとめで話をしましたが、子どもたちが人生を幸せに送れるように、そして、その時の世界が平和であるように、そんな世界を子どもたち自身が築いていけるように願って、乳幼児期にどのような力をつけてあげたらよいかという、将来を見据えた保育をするべきであると思っているのです。」

このおにぎりが先生の主張を支えようとは思いもよりませんが、この発想、子どもならではのユーモア、子どもたちが生み出す多彩なドラマが、もしかすると「子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに」必要になる力、その基礎となっているのかもわかりませんよね。的外れな解釈になってしまっているでしょうか。

さて、この日はいい日でした。他にも出来事がありました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 1『見守る』『シンガポール報告5』より

先日、すいすい番、5歳児クラスのお昼の活動を担当しました。

クッキングをしたり、散歩へ出たりと、担当する先生のアイディアで活動は日々様々です。

今年も、三輪車レースに取り組みました。

にこにこ組(2歳児クラス)にある三輪車を近隣の公園まで運び出し、チーム対抗でレースを行います。

先ずはどの三輪車を使うかの話し合い。二人乗りの三輪車は見た目は大きくとても速そうに見えるのですが、何とも重く、レースには不向き。等、その辺りを踏まえての機体選びが鍵となります。

選考が終わり、スタートです。

今年も白熱の展開となりました。毎年の姿として、

  • ①思っている以上に距離が長く、自分の順番を終えた子が、レース中の子を助けようと援助を始める
  • ②やりたくない子が出て、その子の代わりを誰が走るかの話し合いが生まれる

こういったことがあるのですが、今年も期待通りの姿を見せてくれました。中でも、接戦の最中に②の状況に追い込まれたチームのある子が、「じゃあ頼んだからな!」と、自分が走りたい気持ちを我慢して友だちに譲る場面などは、その子の成長を知るが故に、とても感慨深いものがありました。

そして、レースは終了。この度、報告したかったのは、レースの後、片付けの時の出来事です。

レースで出し切った体で一番重い三輪車を2階のにこにこ組(2歳児クラス)まで運びます。

レースで出し切った体で一番重い三輪車を2階のにこにこ組(2歳児クラス)まで運びます。

「そんなの俺だったら一人で持ち上げられるぜ!」

階段の上からの叱咤激励に対し、

「それは持ってないから言えるんでしょ!」

「それは持ってないから言えるんでしょ!」

と、先頭の子。

すると、階段の子がすっとその輪の中へ入ります。

すると、階段の子がすっとその輪の中へ入ります。

そのさりげなさ、仲間を思う気持ちが伝わって来るようで、見ていて何とも嬉しい気持ちになりました。

ブログ『臥竜塾』2006年1月21日『見守る』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「私の教員時代に、クラスの歌を作っていました。それを、クラスの子どもたちがよく歌っていました。1年生を担任していたときの歌詞は、こんな歌詞でした。子どもたちと作ったのですが、1番、2番は、クラスの年間を通して取り組み、そして、3番は、私の望む最終的なクラスの子どもの姿を表わしています。

『ぼくらのクラスは なんでもじぶんで できるんだ 先生なんか ようはないのさ 三小 三組 みんなそろって いちにのさん』」

塾長が藤森メソッドの概念を生んだとされる教員時代の子どもたちの姿を理想とすると、何ともそれに近い子どもたちの姿をこういった光景に見るような気がしたのです。そして、

自然、きれいに並べられた駐輪場へ。

自然、きれいに並べられた駐輪場へ。

子どもたちの手によって自然と整備された駐輪の見事さは特筆する必要はないものでしょうか。

「おんもい!おんもい!」と最後の一台を運ぶ女の子へフォローの手が加わり、

「おんもい!おんもい!」と最後の一台を運ぶ女の子へフォローの手が加わり、

すいすい番が終了しました。

すいすい番が終了しました。

「このような保育を受けた子たちはその後どうなっているのか」(2018年3月3日『シンガポール報告5』)

その日常を切り取り、誇りたい。たくさんの人達に見守られながら育った子どもたちの姿を見て、そう思いました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 40『文化学習の3段階のレベル』より

暖かなある日の日中、1歳児クラスの子どもたちと散歩へ出ました。

遊び始めて少しした頃、ベンチへ駆け寄ってきて、

着ていた上着をおもむろに、

着ていた上着をおもむろに、

脱いで、

脱いで、

上着の集まりの中へ。

上着の集まりの中へ。

とても自然に行っていて、驚きました。

平成29年告示『保育所保育指針』「1歳以上3歳未満児の保育に関わるねらい及び内容」の「健康」の中で、「保育士等の助けを借りながら、衣類の着脱を自分でしようとする。」とあります。

そして、「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」の「健康」の中では「身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄などの生活に必要な活動を自分でする。」とあります。

1歳児クラスの子どもたちですが、その姿は「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」における子ども像を体現しているかのように思えました。

また、ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「文化学習において学習者は、他の個体が活動する場所にただ注意を向けるのではなく、その状況を他者と同じように、いわば、他者の視点の内側から見ようとしているのである。」

ベンチに集まった上着の束を見て、脱いだものを置く場所はここであることを察する。子どもたちの発達は複合的なものであり、様々な要因が後押ししている、ということを感じます。

(報告者 加藤恭平)

 

Red floor philosophy episode 39『原初的な自己感覚』より

ブログ『臥竜塾』2017年10月20日『原初的な自己感覚』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「2ヶ月を超えると、自分の身体的動作についての認識ができるようになると、ロシャ博士によって示されているそうです。」

少し前に撮った動画を見返す中でふと思い出しました。

当時約14ヶ月の0歳児クラスの子。自分の顔を見て大笑いしています。

当時約14ヶ月の0歳児クラスの子。自分の顔を見て大笑いしています。

自分で顔を変えて、

自分で顔を変えて、

またまた大笑い。

またまた大笑い。

クラス中を笑顔で溢れさせてくれた出来事でした。

「私が、経験から、どうも乳児は早い時期から自己認識をしており、鏡に映る自分の顔を他の人が映る姿と区別していると感じていることは、表象的な自己認識への発達の兆候であるというとらえ方をロシャ博士はしているようです。」

新しい知見が塾長の理論を裏付けていくことを、臥竜塾ブログを通して肌で感じることができます。現在、進化生物学者ロバーヴァースによる「親の投資理論」を軸に内容が展開され、学び深き更新が日々なされています。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 38『共同』より

0歳児クラスの職員は全員で7人です。週ごとに自分の番号が変わり、その役割も変わってきます。

視点が変わるからでしょうか、その番号から見る子どもたちというのもまた異なり、また、同じ番号がやってくるのは7週間後ということで、子どもたちの成長をとても感じることがあります。

この週はハイチェアーの子どもたちとおやつを食べる週でした。

お茶や牛乳を差し出すと、口に一度含むものの、次の瞬間エプロンや机上に飲ませてくれること少々、という個人的ですが、そういうイメージの子がいました。

その子が何とも上手に飲むのです!驚いてしまいました。

すると、エプロンの中を覗き込み、

すると、エプロンの中を覗き込み、

牛乳が入っていないことを確認しているような仕草を見せてくれました。

ブログ『臥竜塾』2018年1月24日『共同』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「協同学習とは、模倣学習や指導学習のように、到達度の低い個体が、到達度の高い個体から単純に学ぶといったものではなく、2名で共通の問題を、一緒に解決しようとすることから生じる学習であるとしています。トマセロたちは、協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程であると言います。この言葉は、とても大切な言葉ですね。」

7週間の間にたくさんのドラマがご家庭で、そして園で、あったことを思います。子どもたちの成長を喜べる幸せを、チーム保育は、藤森メソッドは織り成しているのですね。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 37『意図の模倣』『模倣から指導へ』より

東京にも雪が降りました。

たくさん遊んだ午後の陽だまりですね。

たくさん遊んだ午後の陽だまりですね。

普段は「動のスペース」として活用されているこの場所。ここは、今日は雪の中でいっぱい遊んでびしょびしょになった服や靴を乾かす場所になりました。興味深かったのは、子どもたちがこの空間に立ち入る姿を見かけなかったことでした。

ブログ『臥竜塾』2018年1月19日『意図の模倣』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「大人が一連の複雑な行動をするところを14~18か月児に観察させます。示した行動には、モデルの発声行動から「意図的」であることがわかるものと、モデルの言葉から「偶発的」であることがわかるものがありました。その後、モデルを模倣する機会を与えると、乳児は偶発的な行動の2倍の頻度で、意図的な行動を再現したそうです。このことからも、乳児が大人の意図をある程度理解しており、意図的な、目的指向的な行為は模倣しますが、偶発的な行為の模倣はしないことが示唆されたそうです。」

また、2018年1月23日『模倣から指導へ』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。

「指導者から文化的に学ぶためには、指導を指導者の視点に近い視点から理解するためには、子どもは自身の視点とは異なる心の視点を理解できなければならない。そして、その視点を自分の視点と顕在的に関連付けなければならない。」

雪遊びの楽しさ物語る光景を維持させていたもの。大人の意図を理解する子どもたちの心と言えるのかもわからないと思えたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)