Blue floor philosophy episode 3『集団のポイント』より

 

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

すいすい組(5歳児クラス)の子が、その絵を描いて下に貼っていました。

この絵の原作者がにこにこ組(2歳児クラス)の時に担任をしたことがあり、その時の印象と比べてこんなにも絵が上手になっていたことに驚き、思わずその子に確認をしてしまいましたが、見事にその子の作品でした。

その絵の前でやりとりをしていると、わいわい組(3歳児クラス)の子がすっと寄ってきて何やら始めました。

周りの子も気になっています。

周りの子も気になる様子。

絵を真似て描いているのですね。

絵を真似て描いているのですね。

いい感じですね。

いい感じですね。

すると、

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

出来た作品がこちらです。

出来た作品がこちらです。

 ブログ『臥竜塾』2012年4月17日『集団のポイント』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「集団のポイントから園における子ども集団を考えてみたいと思います。子どもたちの学びにはある規模の集団が必要です。そこには、多様性が存在するからです。多様性が、いろいろなものを生み出していきます。その多様性は、個人差だけでなく、男女であったり、年齢が違ったり、発達が違ったりという集団が必要です。よく、保育において、同じ年齢同士の中で育つこともあるのではないかという人がいます。同じように、男の同士で育つもの、女同士で育つものもあるでしょう。しかし、だからといって、クラスを男の子だけでクラスを構成するとか、女だけでクラスを構成するとかを今は考えません。それと同じであるのに、同じ年齢だけでクラスを構成することが多いのはどうしてでしょう。子どもたちは、男女混合のクラスであっても、男の子だけで集まって何かをすることもありますし、女の子だけでおしゃべりをすることもあります。同じように、異年齢児クラスであっても、同じ年齢だけで何かをすることもあります。

異年齢でクラスを形成することの意味がほかにもあります。子ども同士から生み出された活動を、保存し、維持し、文化として伝承するためには、縦の関係によるネットワークがなければならないからです。大きい子がやるのをじっと見ること、それを真似すること、それが次の世代につないでいくことになるのです。よく、「子ども文化」と言われますが、これは、子どもの中で生み出され、子どもの中で伝承されていかなければならないのです。」

出来上がりの作品に満足そうなその子の表情と、原作者の彼の成長を目の当たりにし、とても嬉しい時間となりました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

 力作ですね。

そして、物語はこのようにして幕を閉じます。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

このような伝承も行われるのは、異年齢ならではなのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 2『シンガポール報告13』より

先日、遅番の時間にわいらんすい(3・4・5歳児クラス)に入りました。

製作ゾーンに向かうと、「おにぎり屋さんです。」と声をかけられ、好きな具を聞かれました。高菜をお願いすると、「何それ?」とのことで、色や形を説明.

すぐに持ってきてくれました。

すぐに作って持ってきてくれました。

 緑色の魚が散りばめられた『〝さ〟かなおにぎり』

「こんなのが好きなの?」と一言。これだから3・4・5歳児クラスは面白いですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月11日『シンガポール報告13』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「講演で主張したのは、今子どもたちは大学の入学試験を受けるわけでも、社会に出るわけでもないのです。子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに、どんな力が必要になるのかを考える必要があると思っているのです。また、本当の学力とは何であるのか、また、何のために学力が必要であるかを考える必要があることを主張しているのです。それは、保護者講演のまとめで話をしましたが、子どもたちが人生を幸せに送れるように、そして、その時の世界が平和であるように、そんな世界を子どもたち自身が築いていけるように願って、乳幼児期にどのような力をつけてあげたらよいかという、将来を見据えた保育をするべきであると思っているのです。」

このおにぎりが先生の主張を支えようとは思いもよりませんが、この発想、子どもならではのユーモア、子どもたちが生み出す多彩なドラマが、もしかすると「子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに」必要になる力、その基礎となっているのかもわかりませんよね。的外れな解釈になってしまっているでしょうか。

さて、この日はいい日でした。他にも出来事がありました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 1『見守る』『シンガポール報告5』より

先日、すいすい番、5歳児クラスのお昼の活動を担当しました。

クッキングをしたり、散歩へ出たりと、担当する先生のアイディアで活動は日々様々です。

今年も、三輪車レースに取り組みました。

にこにこ組(2歳児クラス)にある三輪車を近隣の公園まで運び出し、チーム対抗でレースを行います。

先ずはどの三輪車を使うかの話し合い。二人乗りの三輪車は見た目は大きくとても速そうに見えるのですが、何とも重く、レースには不向き。等、その辺りを踏まえての機体選びが鍵となります。

選考が終わり、スタートです。

今年も白熱の展開となりました。毎年の姿として、

  • ①思っている以上に距離が長く、自分の順番を終えた子が、レース中の子を助けようと援助を始める
  • ②やりたくない子が出て、その子の代わりを誰が走るかの話し合いが生まれる

こういったことがあるのですが、今年も期待通りの姿を見せてくれました。中でも、接戦の最中に②の状況に追い込まれたチームのある子が、「じゃあ頼んだからな!」と、自分が走りたい気持ちを我慢して友だちに譲る場面などは、その子の成長を知るが故に、とても感慨深いものがありました。

そして、レースは終了。この度、報告したかったのは、レースの後、片付けの時の出来事です。

レースで出し切った体で一番重い三輪車を2階のにこにこ組(2歳児クラス)まで運びます。

レースで出し切った体で一番重い三輪車を2階のにこにこ組(2歳児クラス)まで運びます。

「そんなの俺だったら一人で持ち上げられるぜ!」

階段の上からの叱咤激励に対し、

「それは持ってないから言えるんでしょ!」

「それは持ってないから言えるんでしょ!」

と、先頭の子。

すると、階段の子がすっとその輪の中へ入ります。

すると、階段の子がすっとその輪の中へ入ります。

そのさりげなさ、仲間を思う気持ちが伝わって来るようで、見ていて何とも嬉しい気持ちになりました。

ブログ『臥竜塾』2006年1月21日『見守る』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「私の教員時代に、クラスの歌を作っていました。それを、クラスの子どもたちがよく歌っていました。1年生を担任していたときの歌詞は、こんな歌詞でした。子どもたちと作ったのですが、1番、2番は、クラスの年間を通して取り組み、そして、3番は、私の望む最終的なクラスの子どもの姿を表わしています。

『ぼくらのクラスは なんでもじぶんで できるんだ 先生なんか ようはないのさ 三小 三組 みんなそろって いちにのさん』」

塾長が藤森メソッドの概念を生んだとされる教員時代の子どもたちの姿を理想とすると、何ともそれに近い子どもたちの姿をこういった光景に見るような気がしたのです。そして、

自然、きれいに並べられた駐輪場へ。

自然、きれいに並べられた駐輪場へ。

子どもたちの手によって自然と整備された駐輪の見事さは特筆する必要はないものでしょうか。

「おんもい!おんもい!」と最後の一台を運ぶ女の子へフォローの手が加わり、

「おんもい!おんもい!」と最後の一台を運ぶ女の子へフォローの手が加わり、

すいすい番が終了しました。

すいすい番が終了しました。

「このような保育を受けた子たちはその後どうなっているのか」(2018年3月3日『シンガポール報告5』)

その日常を切り取り、誇りたい。たくさんの人達に見守られながら育った子どもたちの姿を見て、そう思いました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 40『文化学習の3段階のレベル』より

暖かなある日の日中、1歳児クラスの子どもたちと散歩へ出ました。

遊び始めて少しした頃、ベンチへ駆け寄ってきて、

着ていた上着をおもむろに、

着ていた上着をおもむろに、

脱いで、

脱いで、

上着の集まりの中へ。

上着の集まりの中へ。

とても自然に行っていて、驚きました。

平成29年告示『保育所保育指針』「1歳以上3歳未満児の保育に関わるねらい及び内容」の「健康」の中で、「保育士等の助けを借りながら、衣類の着脱を自分でしようとする。」とあります。

そして、「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」の「健康」の中では「身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄などの生活に必要な活動を自分でする。」とあります。

1歳児クラスの子どもたちですが、その姿は「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」における子ども像を体現しているかのように思えました。

また、ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「文化学習において学習者は、他の個体が活動する場所にただ注意を向けるのではなく、その状況を他者と同じように、いわば、他者の視点の内側から見ようとしているのである。」

ベンチに集まった上着の束を見て、脱いだものを置く場所はここであることを察する。子どもたちの発達は複合的なものであり、様々な要因が後押ししている、ということを感じます。

(報告者 加藤恭平)

 

Red floor philosophy episode 39『原初的な自己感覚』より

ブログ『臥竜塾』2017年10月20日『原初的な自己感覚』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「2ヶ月を超えると、自分の身体的動作についての認識ができるようになると、ロシャ博士によって示されているそうです。」

少し前に撮った動画を見返す中でふと思い出しました。

当時約14ヶ月の0歳児クラスの子。自分の顔を見て大笑いしています。

当時約14ヶ月の0歳児クラスの子。自分の顔を見て大笑いしています。

自分で顔を変えて、

自分で顔を変えて、

またまた大笑い。

またまた大笑い。

クラス中を笑顔で溢れさせてくれた出来事でした。

「私が、経験から、どうも乳児は早い時期から自己認識をしており、鏡に映る自分の顔を他の人が映る姿と区別していると感じていることは、表象的な自己認識への発達の兆候であるというとらえ方をロシャ博士はしているようです。」

新しい知見が塾長の理論を裏付けていくことを、臥竜塾ブログを通して肌で感じることができます。現在、進化生物学者ロバーヴァースによる「親の投資理論」を軸に内容が展開され、学び深き更新が日々なされています。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 38『共同』より

0歳児クラスの職員は全員で7人です。週ごとに自分の番号が変わり、その役割も変わってきます。

視点が変わるからでしょうか、その番号から見る子どもたちというのもまた異なり、また、同じ番号がやってくるのは7週間後ということで、子どもたちの成長をとても感じることがあります。

この週はハイチェアーの子どもたちとおやつを食べる週でした。

お茶や牛乳を差し出すと、口に一度含むものの、次の瞬間エプロンや机上に飲ませてくれること少々、という個人的ですが、そういうイメージの子がいました。

その子が何とも上手に飲むのです!驚いてしまいました。

すると、エプロンの中を覗き込み、

すると、エプロンの中を覗き込み、

牛乳が入っていないことを確認しているような仕草を見せてくれました。

ブログ『臥竜塾』2018年1月24日『共同』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「協同学習とは、模倣学習や指導学習のように、到達度の低い個体が、到達度の高い個体から単純に学ぶといったものではなく、2名で共通の問題を、一緒に解決しようとすることから生じる学習であるとしています。トマセロたちは、協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程であると言います。この言葉は、とても大切な言葉ですね。」

7週間の間にたくさんのドラマがご家庭で、そして園で、あったことを思います。子どもたちの成長を喜べる幸せを、チーム保育は、藤森メソッドは織り成しているのですね。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 37『意図の模倣』『模倣から指導へ』より

東京にも雪が降りました。

たくさん遊んだ午後の陽だまりですね。

たくさん遊んだ午後の陽だまりですね。

普段は「動のスペース」として活用されているこの場所。ここは、今日は雪の中でいっぱい遊んでびしょびしょになった服や靴を乾かす場所になりました。興味深かったのは、子どもたちがこの空間に立ち入る姿を見かけなかったことでした。

ブログ『臥竜塾』2018年1月19日『意図の模倣』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「大人が一連の複雑な行動をするところを14~18か月児に観察させます。示した行動には、モデルの発声行動から「意図的」であることがわかるものと、モデルの言葉から「偶発的」であることがわかるものがありました。その後、モデルを模倣する機会を与えると、乳児は偶発的な行動の2倍の頻度で、意図的な行動を再現したそうです。このことからも、乳児が大人の意図をある程度理解しており、意図的な、目的指向的な行為は模倣しますが、偶発的な行為の模倣はしないことが示唆されたそうです。」

また、2018年1月23日『模倣から指導へ』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。

「指導者から文化的に学ぶためには、指導を指導者の視点に近い視点から理解するためには、子どもは自身の視点とは異なる心の視点を理解できなければならない。そして、その視点を自分の視点と顕在的に関連付けなければならない。」

雪遊びの楽しさ物語る光景を維持させていたもの。大人の意図を理解する子どもたちの心と言えるのかもわからないと思えたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 36『今後の課題』より

ブログ『臥竜塾』2018年1月1日『今後の課題』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「今私たちがしなければならないことは、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。園が家庭をモデルにし、母子の関係を保育者が築こうとするところから、人類がかつて行なわれていたような共同保育のあり方をもう一度見直し、その中での子どもの育ちを保障することが、近年明らかにされている子ども観に近づくことだと思っています。

どうもいまだに、乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまうというような古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。次々と新しい子ども観が生まれている中で、新しい乳幼児保育を構築することが望まれているのです。」

この度の報告を振り返っています。入園当初の4月、12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。この日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

二人を見守る優しい眼差しこそ、新しい乳幼児保育を構築する要となるものではないかと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 35『文化学習の3段階のレベル』より

 

諦めきれない黄色いセーターの女の子当時約1歳8ヶ月。

諦めきれない黄色いセーターの女の子当時約1歳8ヶ月。

もう一度手をつなごうとしますが、

もう一度手をつなごうとしますが、

その手は離れてしまいます。

その手は離れてしまいます。

切ない表情です。

切ない表情です。

そして、

写真右同時約1歳7ヶ月の子が「(行こうよ。)」と、写真左当時約1歳9ヶ月の子の手を引くような形で促すその手を、

写真右同時約1歳7ヶ月の子が「(行こうよ。)」と、写真左当時約1歳9ヶ月の子の手を引くような形で促すその手を、

引き戻します。

引き戻します。

そして、

その子の元へ行き、肩を叩くのです。

その子の元へ行き、肩を叩くのです。

真似をして、もう一人の子も。

真似をして、もう一人の子も。

ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「複数の理論家が、真の模倣を行うためには、観察者にモデルの視点をとる能力が必要だと主張しているそうです。真の模倣を行うためには、模写のようにターゲット行動をただ観察して繰り返すだけでは不十分であるとビョークランドは言います。そして、模倣者は、モデルの心の中にある目的を、目的模倣の場合のように理解し、そして、その行動の重要な点を再現しなければならないと考えます。」

慰める、なだめる、といった行為とも見てとれるような「肩を叩く」行動をとった二人。手をつなげない子の気持ちを察し、相手の視点で状況を見たときに、誰かがしていたのか、その行為を模倣するように肩を叩いたのではないか、というのは個人的な見解です。慰める原因は慰めている当事者にあるところでもあるのですが、しかし、その姿は見ていてとても興味深いものでした。

その後、二人はそのまま二人で行ってしまいますが、肩を叩かれた子は、心に落ち着きを取り戻し、絵本へと向かっていきます。

(報告者 加藤恭平)

 

Red floor philosophy episode 34『準備中』より

新しい年になりました。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

繋いでいた手を振りほどくことに成功しますが、

すぐにまた、

すぐにまた、

元に戻られてしまいます。

元に戻られてしまいます。

なので、

なので、もう一度。

もう一度。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(え、あぁ…)」

「(え、あぁ…)」

ちょっと手をすぼめて行ってしまいます。

どうやら今二人は二人でいたいようですね。

『臥竜塾』ブログ2018年1月2日『準備中』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「特に私が注目しているのは、社会性です。以前の文科省の調査で、2歳児は子ども同士のかかわりは一切見られないということから、2歳までは家庭で育てるのがいいという主張です。私は、その後の準備のために、子ども同士が同じ場を共有する経験が生後8~9か月以後必要だと思っているのです。最近の知見では、乳児は9か月ころから他者認識をするということとリンクします。さらに、そのためにこの時期以降は、2者関係だけで過ごすことではなく、さまざまな信頼できる身近な大人、異年齢の子どもと触れ合うことが社会人となるために必要だと思っているのです。」

入園当初の4月では12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。今日のこの日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、振り返れば4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。黄色いセーターの子もまた、同じような気持ちだったのかもわかりません。

この動画はこの後ちょっとした展開を見せます。そして、この繋がりが生まれた経緯を紹介しようとする中で感じるのは、この場面もまた、藤森メソッドの織り成すドラマだったのではないか、ということです。

(報告者 加藤恭平)