Red floor philosophy episode 36『今後の課題』より

ブログ『臥竜塾』2018年1月1日『今後の課題』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「今私たちがしなければならないことは、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。園が家庭をモデルにし、母子の関係を保育者が築こうとするところから、人類がかつて行なわれていたような共同保育のあり方をもう一度見直し、その中での子どもの育ちを保障することが、近年明らかにされている子ども観に近づくことだと思っています。

どうもいまだに、乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまうというような古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。次々と新しい子ども観が生まれている中で、新しい乳幼児保育を構築することが望まれているのです。」

この度の報告を振り返っています。入園当初の4月、12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。この日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

二人を見守る優しい眼差しこそ、新しい乳幼児保育を構築する要となるものではないかと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 35『文化学習の3段階のレベル』より

 

諦めきれない黄色いセーターの女の子当時約1歳8ヶ月。

諦めきれない黄色いセーターの女の子当時約1歳8ヶ月。

もう一度手をつなごうとしますが、

もう一度手をつなごうとしますが、

その手は離れてしまいます。

その手は離れてしまいます。

切ない表情です。

切ない表情です。

そして、

写真右同時約1歳7ヶ月の子が「(行こうよ。)」と、写真左当時約1歳9ヶ月の子の手を引くような形で促すその手を、

写真右同時約1歳7ヶ月の子が「(行こうよ。)」と、写真左当時約1歳9ヶ月の子の手を引くような形で促すその手を、

引き戻します。

引き戻します。

そして、

その子の元へ行き、肩を叩くのです。

その子の元へ行き、肩を叩くのです。

真似をして、もう一人の子も。

真似をして、もう一人の子も。

ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「複数の理論家が、真の模倣を行うためには、観察者にモデルの視点をとる能力が必要だと主張しているそうです。真の模倣を行うためには、模写のようにターゲット行動をただ観察して繰り返すだけでは不十分であるとビョークランドは言います。そして、模倣者は、モデルの心の中にある目的を、目的模倣の場合のように理解し、そして、その行動の重要な点を再現しなければならないと考えます。」

慰める、なだめる、といった行為とも見てとれるような「肩を叩く」行動をとった二人。手をつなげない子の気持ちを察し、相手の視点で状況を見たときに、誰かがしていたのか、その行為を模倣するように肩を叩いたのではないか、というのは個人的な見解です。慰める原因は慰めている当事者にあるところでもあるのですが、しかし、その姿は見ていてとても興味深いものでした。

その後、二人はそのまま二人で行ってしまいますが、肩を叩かれた子は、心に落ち着きを取り戻し、絵本へと向かっていきます。

(報告者 加藤恭平)

 

Red floor philosophy episode 34『準備中』より

新しい年になりました。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

繋いでいた手を振りほどくことに成功しますが、

すぐにまた、

すぐにまた、

元に戻られてしまいます。

元に戻られてしまいます。

なので、

なので、もう一度。

もう一度。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(え、あぁ…)」

「(え、あぁ…)」

ちょっと手をすぼめて行ってしまいます。

どうやら今二人は二人でいたいようですね。

『臥竜塾』ブログ2018年1月2日『準備中』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「特に私が注目しているのは、社会性です。以前の文科省の調査で、2歳児は子ども同士のかかわりは一切見られないということから、2歳までは家庭で育てるのがいいという主張です。私は、その後の準備のために、子ども同士が同じ場を共有する経験が生後8~9か月以後必要だと思っているのです。最近の知見では、乳児は9か月ころから他者認識をするということとリンクします。さらに、そのためにこの時期以降は、2者関係だけで過ごすことではなく、さまざまな信頼できる身近な大人、異年齢の子どもと触れ合うことが社会人となるために必要だと思っているのです。」

入園当初の4月では12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。今日のこの日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、振り返れば4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。黄色いセーターの子もまた、同じような気持ちだったのかもわかりません。

この動画はこの後ちょっとした展開を見せます。そして、この繋がりが生まれた経緯を紹介しようとする中で感じるのは、この場面もまた、藤森メソッドの織り成すドラマだったのではないか、ということです。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 33『今後の課題』より

給食中、トコトコと席を立つ当時約1歳4ヶ月の0歳児クラスの子です。

食べている最中なので引き止めたいところでしたが、目的があるようにも見え、見守ってみることに。すると、おもむろに床雑巾を手にし、

床を拭き始めました。

床を拭き始めました。

とても個人的な感想なのですが、驚きました。『臥竜塾』ブログ2018年1月1日『今後の課題』の中に、「乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまうというような古い乳幼児観」という文章がありますが、こういった子どもの行動を見ると、どこでどう覚えたのかこちらはわかりませんが、上記の乳幼児観ではこの子の行動を理解することは難しいだろう、ということを思います。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

時に子どもたちはこちらの物差しを超えた行動を取り、最初びっくりしてしまうものなのかもわかりませんが、見守っていると、その行動に納得することもとても多いことがよくあります。今年は、そんな子どもたちの行動を鷹揚に見守りながら、こういった姿をその最初から撮れるように、そして、きっと子ども社会の中で、藤森メソッドの中で育まれたであろうその力についてを考察したり報告したりをもっとフランクにできるように、と考えています。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 32『研究の進化』より

おやつ後、

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

 

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

 

その姿もじーっと見ています。

その姿もじっと見ています。

 

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

 

歩き出し、

歩き出し、

 

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

そして、置き場所を探す中で

次は職員の行動を目のあたりにします。

次は職員の行動を目のあたりにします。

 コップの中の麦茶をどうするべきか、本人のそういった意識が眼差しに変わって、その対象に向けられているかのようです。

更にもう一人1歳児クラスの子。

更にもう一人1歳児クラスの子。

 「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチを何度か経た彼女は、

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年12月19日『研究の進化』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「保育に携わる私たちは、どのように上積みしていかなければならないのでしょうか?まず、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。先に書いたように、どうもいまだに古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまう。子どもは放っておくとろくなことをしない。大人がきちんと規律正しく導かなければと思って様々なことを拘束してしまう。なにも知らない、できない子どもには様々な刺激を与えなければ、脳は発達しない。そこで、子どもの後を追いかけ、様々な刺激を与えようとする。そんな保育が見られることがあります。

だからと言って、手を出さなければいい、口を出さなければいいというわけではありません。どのような内容の言葉がけをすれば良いのか、どのようなときに口を出せばいいのか、ということを、そのときの子どもの状況、発達過程の理解、子ども同士の関係などから考えなければいけないのです。また、子どもに何をすればいいのかというように直接子どもに関わることだけを考えるのではなく、子どもがそれらのことを自発的に行なうことのできる環境を用意することも考えなければなりません。そのときに、新しい乳幼児についての知見を知る必要があるのです。」

残ボウルに入れることがゴールでも何でもなく、彼女が片付けようと席を立ち、コップの中身をどうしようかと考え、行動を選択した、ということに意味がある、ということを改めて考えさせられます。

こういった環境の中で子どもたちは、自ら行動を起こしていくのですね。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 31『経験や脳の自発活動』より

給食後、

自ら椅子をしまいます。

自ら椅子をしまいます。

 

先ずは片側、

先ずは片側、

 

持ち替えて、

持ち替えて、

 

最後までしっかりと。

最後までしっかりと。

当時約1歳6ヶ月の子です。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月19日『経験や脳の自発活動』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「多数あったシナプスのうち、必要なものだけに刈り込まれていくことを、『シナプスの刈り込み』と言います。この刈り込みに重要な役割を果たすのが、経験や脳の自発的活動だと考えられているのです。このあたりの研究結果は、私の『見守る』行為に対して、裏付けとなったものです。経験にしても、もちろん自発的な活動にしても、自ら行なう行為であり、大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させることでは、有効な刈り込みが行なわれなくなってしまうのです。」

椅子をしまう、というシンプルな行動ながらこれを自然に行うようになる過程で、保育者からのアプローチが少なからずあったにせよ、子どもが自身でそれを行うには、何よりも先ず自発的な気持ちが起きるような設定、配慮が必要であるように感じます。

「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチ、そして同年齢の子もそうですが、すぐ側にいる1歳児クラスの子どもたち影響を大いに感じます。そんな動画や写真をいくつか撮ることができたので紹介していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

がまんの発達科学

先日、GTのリーダー研修が行われました。
そこで、京都大学の森口佑介先生が講演をされたのですが、最近、塾長がブログで森口先生の本を解説されているということもあり、今回の講演会が実現しました。
森口先生は「がまんの発達科学」という題名で2時間講演をしてくださいました。
その中で、いくつか印象的な言葉がありました。

まず、私たちの日常生活は「我慢」に溢れているということでした。
ある研究によると人は1日に4時間も我慢しているという結果がでているそうです。
「4時間」というとその時間に驚いてしまいますが、確かに、私も自分のことを想像しみると、あらゆる場面、あらゆる瞬間で浮かんでくる感情を我慢しているなということを思い出しました。それが積もると4時間にもなるとかと思うとやはり驚いてしまいます。

また、「常に我慢することが大切なのではなく、自ら進んで我慢できること、我慢すべき時に我慢できることが大切になってくる。そして、ただ、我慢することではなく、目的に向かって我慢できることが大切」とありました。
私の勝手な印象ですが、もしかすると日本には「我慢すること、苦しむことがいいこと」といったような感覚があるのかもしれません。大切なのは目的のためにする我慢であったり、目的のために結果として苦労することなら分かるのですが、どうもそうではない雰囲気があるように思います。このあたりは「好きなことばかりしてたら小学校に行って苦労するんじゃないか。だから就学前にも苦労すること、我慢することが必要」と思ってしまう考えにも繋がってしまうのかもしれません。
塾長も「楽しくてちゃんとしてるなら、楽しい方がいいのにね」という働き方のお話しされることがあります。やっぱり、私も楽しいがいいなと思います。なんだか、そんな苦労に関することを考えてしまいました。少し話が逸れてしまいました!

森口先生は講演の中で「我慢」という言葉を使われていましたが、どうしてもこの言葉だと子どもに対して、とにかく我慢させることが大切だという印象を受けてしまいますが、そうではなく、塾長がよく話をされる「自制心」という欲望をコントロールする力ということで、森口先生もお話をされていますので、私たちには自制心、自己抑制の方が分かりやすいかもしれませんね。

また、自己抑制にとって重要になる脳の部位は「前頭葉」であり、特に、「外側前頭前野」という部位が欲求を抑える上で重要なブレーキの役割を担っているそうです。
そこで、私がおもしろいなと思った話なのですが、なぜ、人は青年期にバランスを崩してしまうのかということでした。
詳しい説明は省かせていただきますが、青年期になると性ホルモンが急激に高まり、それが欲求というアクセルになってしまうそうです。そのアクセルが急激になってしまうことで、本来のブレーキではそれが抑えられなくなってしまうので、バランスを崩してしまうそうです。アクセルとブレーキの話は分かりやすいですね。
なので、青年期の子どうしても欲求というアクセルが先に発達してしまうので、ギャンブル課題などの実験でも、リスクの高い方を選んでしまうのだそうです。

しかし、幼児期に我慢する力、自己抑制力がついていれば、青年期でもそこまでの異常行動をしないということが分かってきているそうです。
ですので、とても乳幼児期が重要になってきます。

このことは塾長もかねてから言っておられます。
また、自己抑制力は5歳児以降では遺伝的な要因が大きくなり、それより下の年齢では環境的な要因が大きくなるということが現在の研究では分かっているそうです。これはつまり、5歳以下の年齢の子どもが自己抑制力をつけるのには環境の影響を遺伝的な要因よりも強く受けるということになるそうです。だからこそ、塾長が常々言われるように、小さい頃から子ども集団の中で、子どもを育てることが重要になってくるのですね。

そして、森口先生も環境要因となる関わり方として、
「答えを教えるのではなく、ヒントを与えるというような関わり方」が重要であると言われていました。
親が率先してなにんでもやってしまうと自己抑制力が育たなくなってしまうそうです。
これもまさに私たちの実践している見守る保育の形でもあると思います。

いつも思うことなのですが、このような話はやはり塾長が常々話しておられることでもあります。そして、そのための実践のあり方を塾長は示してくれます。
研究として、「こうである」という結果を知るだけでは、なかなか現場での実践につなげていくのが難しいです。
私たちはその研究を踏まえてどう実践として行っていくのかということが大切になるのですが、この形を分かりやすく示してくださっているのが塾長です。
そして、なにより塾長の話があるからこそ、乳幼児の研究の話をされる大学の先生などの話を私たちはより現場の目線で理解しながら聞くことができるのだと思います。

そんなことを改めて感じた時間でした。

ちなみに京都大学の森口佑介先生は、わたくし、森口達也とはただただ、たまたま苗字が同じというだけの関係であります笑

報告者  森口達也

写真 2017-11-28 17 10 05

写真はあまり関係ありませんが、GTセミナーの会場周辺の写真です笑

Red floor philosophy episode 30『脳研究』より

 

写真右上、コップを持った最後の勇者が、

写真右上、コップを持った最後の勇者が、

 

颯爽と登場します。

颯爽と登場します。

 5歳児クラスの男の子、彼の考えた方法は、

「にーらめっこしーましょ、

あっぷっぷ。」

あっぷっぷ。」

 奮闘した5歳児クラス女の子が場所を譲っているのが何とも言えませんね。

泣き止みはしたものの思っていた手応えと違ったようで、

泣き止みはしたものの思っていた手応えと違ったようで、

 

首脳会議。

首脳会議。

 

最後は総攻撃。

最後は総攻撃。

 

「バァ!」「ばぁあ〜ん。」

「バァ!」「ばぁあ〜ん。」

 開けたり閉じたり、バァのニュアンスを変えてみたり、変な顔を織り交ぜてみたりしながらの健闘が報い、いよいよ涙とさよならができた当時約17ヶ月児の女の子でした。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月14日『脳研究』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「最近の乳幼児についての海外の研究が、来年から実施される保育指針の改訂に大きな影響を与えています。その一つが、脳の機能の拡大についてです。神経学の研究は、20世紀以前から報告されてきました。それが、20世紀末に開発された脳機能計画によって、最近、急速に進んでいるようです。もちろん、今では、心を生み出しているのは胸にあるのではなく、脳にあるということは、誰でも知っていますし、専門的にいっても、神経科学者だけでなく、心理学者も賛同しています。しかし、脳がそのまま心であるかということについて、森口は、首藤瓜於による『脳男』の一節を紹介しています。

『“心”は脳の作用にしか過ぎないのだから、人間の“心”を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。しかし、子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくるのだった。』」

首藤氏の一節が、現場にしかできない研究があるのではないか、というメッセージに聞こえてきます。子ども同士が織り成すドラマをこれからも追い続けていこうと思います。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 29『文化の進展』より

火曜日は5歳児クラスがそれぞれのクラスに入る、お手伝い保育があります。

「今日は、泣いている子を泣き止ませたいと思います。」

そんな宣言をしていた写真左5歳児クラスの女の子が撮った方法は、

変な顔。

変な顔。

 

クラスの先生も思わずシャッターを切ったその顔に、

クラスの先生も思わずシャッターを切ったその顔に、

 

圧倒されたか、涙も止まる0歳児クラスの女の子。

圧倒されたか、涙も止まる0歳児クラスの女の子。

 

流石ですね。

そんな楽しい雰囲気に誘われたかのように、

写真一番右当時約12ヶ月の女の子が来て、

写真一番右当時約12ヶ月の女の子が来て、

 

頭をナデナデ。

頭をナデナデ。

可愛らしい関わりですね。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年10月16日『文化の進展』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「トマセロ博士によれば、この真の模倣こそ、累進的な文化学習に重要だというのです。文化が世代を超えて累進的に蓄積されていくには、教わったことをまずそのまま再現することが必須だと言います。誰かが開発した素晴らしい道具を、その用途(目的)だけ理解して別の道具を作ろうとしても多大なコストや時間がかかりますし、うまくいかないこともあります。まずは、モデル通りに道具を作ったり使えたりするようになって、その後でアレンジすることによって、文化は徐々に進展していくというのです。」

12ヶ月児がとった行動は、その子の頭を触りたくなったというような単純な動機ではないように思えてきます。そこには、泣いている子を撫でることで慰めている場面を見たという過去があったかもわかりませんし、実際に自分がそうされたことで慰めの気持ちを得た経験があったのかもわかりません。泣いている子の頭を撫でるという行為は、「教わったことをまずそのまま再現」した結果であると推測するのは、思い込みの強い考え方になってしまいますでしょうか。

また、上記抜粋した段落の最後には「近年は、トマセロ博士は、乳児は他者から学習するだけでなく、他者に教授する存在であることも示しているそうです。」こう書かれていて、変な顔をして泣き止ませようとしている5歳児クラスの子へ、こういうやり方もあるよ、と提案をしているとしたらどうでしょうか。

そんな想像を膨らませながら動画は進みます。

 (私の頭を撫でるのは誰…?)

(私の頭を撫でるのは誰…?)

 

 (あぁ、そんな風に撫でるのね…)

(あぁ、そんな風に撫でるのね…)

 

(前を向けばこの顔…)

(前を向けばこの顔…)

 ()内の言葉は全てイメージですが、泣いている当人にとっては八方塞がりになってしまったような展開に見えました。ですが、最後はしっかりと締めくくられました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 28『情報処理における記憶』より

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月12日『情報処理における記憶』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私が、保育の中で興味があるのが、子ども同士の関わりです。それは、人類の祖先であるホモサピエンスの最も有効な生存戦略として、家族という集団を作り、社会を作ってきたことが挙げられているからです。また、少子社会においては、家庭には子ども集団が少なくなってきたからということもその理由です。そこで、この人とかかわる力は、ヒトはどうやって身につけていくのか、生後どのくらいになると、母子という二者関係から、多くの他者を認識しはじめ、他者の心を理解し始めるであろうかということの研究に注目しています。それは、乳幼児施設における保育の意味でもあり、役割を示しているからです。」

10月も後半の火曜日、朝の受け入れから涙の時間を過ごし、園庭に出れば気も紛れるかと思ったものの、

座った途端に止めていた涙の流れた写真左当時約1歳5ヶ月の女の子に、おもむろに近付く写真右当時約1歳3ヶ月の男の子。

座った途端に止めていた涙の流れた写真左当時約1歳5ヶ月の女の子に、おもむろに近付く写真右当時約1歳3ヶ月の男の子。

 

顔を覗き込んだりしながら、

顔を覗き込んだりしながら、

 手に持ったシャベルとボウルを鳴らし続けます。

その音に気を逸らされるかのように涙の止まる女の子を見て、子ども同士が関わることによって生まれるこういった日常が、実はどれほど貴重なものであるか、そんなことを再認識させられるような気持ちになります。

そして、この日は火曜日。シャベルとボウルの主人がその場から離れるにつれて再び流れてしまった涙を、今度は先輩たちが止めようと試みます。

(報告者 加藤恭平)