また君を笑わせたい〜君が笑えばこの世界中にもっともっと幸せが広がる〜 episode1

ブロックゾーンにおける子ども集団。この度もまた興味深い姿がありました。

主役は写真中央の3人。

主役は写真中央の3人。

 

特に注目したいのはすいすい組(5歳児クラス)の男の子(灰色の洋服を着ているので以下グレイ君)です

特に注目したいのはすいすい組(5歳児クラス)の男の子(灰色の洋服を着ているので以下グレイ君)です。

ボーダー柄の男の子(3歳児クラス、以下ボーダー君)が作っていたブロックに興味をもったグレイ君、そしてチェック柄の男の子(4歳児クラス、以下チェック君)がその遊びの中に入っていく様子がとても興味深いものでした。

グレイ君「これってテレビ塔だよねー?」

グレイ君「これってテレビ塔だよねー?」

ボーダー君にとって〈テレビ塔〉という知識を持ち合わせていたかは微妙なところでしたが、何となく〈褒められている〉という感覚になったのか、はたまたその〈投げかけ〉に気をよくしたのか。「そうだよー。」と頷いて、グレイ君が遊びの中に入ってくることを受け入れていました。

  • 投げかける

そして、チェック君。彼は一味違いました。

チェック君「ココデス!ココニ置イテクダサイ!」

チェック君「ココデス!ココニ置イテクダサイ!」

変な声でいきなり遊びの中に入り、しかもブロックの置き場所を指定するという多少強引とも思われるやり方で(笑)、ボーダー君はどう反応するだろうと見ていると、

ボーダー君「違うよ!」「そうじゃないよ!」

そこはやっぱり違ったようで、ボーダー君から止められていました(笑)

しかし次の瞬間、

チェック君「じゃここかな?ここならいいね。」

チェック君「じゃここかな?ここならいいね。」

  • 提案する

最初のボーダー君の拒否。それは、子ども集団の中では〈相手への否定〉ではなく、〈イメージの擦り合わせ〉なのだと思いました。それを踏まえた次なるチェック君のアプローチはボーダー君の心にしっかりフィットしたようで、一緒に遊ぶ流れが生まれます。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年2月22日『世界共通』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈話し合いは、それぞれの持ち物を増やしてくれます。決して相手を打ち負かしたり、自分の考えに従わせようとねじ伏せたりするものではありません。お互いの意見を交換することで、相手の考え方を取り入れることです。〉

子どもたちは遊びの輪の中に飛び込む上で、「いーれーて。」「いーいーよ。」というようなやりとりだけではない、実に様々な方法を用いていることを感じます。そして、これこそ集団で遊ぶことの醍醐味ではないかと感じる、飛び込んだ後にこそ増える提案の量、会話の量、そして笑顔。

見ていて何とも嬉しくなりました。

しかし、興味深いのはここからでした。一緒に遊べる流れになり、嬉しい様子のチェック君。その様子をじっと見守るかのようにして、その場を去るグレイ君の姿がそこにありました。

まさか、と思い、グレイ君の様子を見続けていました。その結末は、ブロックゾーンがこんなにも豊かに展開されていく理由の一端を垣間見せるものでした。

(報告者 加藤恭平)

ブロックゾーンにおける子ども集団。この度も興味深い姿がありました。

写真左側の男の子(緑色の洋服なので以下ミドリ君)は、右側(黒い洋服なので以下クロ君)の背を向けいている男の子と遊びたい様子。

写真左側の男の子(緑色の洋服なので以下ミドリ君)は、右側(黒い洋服なので以下クロ君)の背を向けいている男の子と遊びたい様子。

 ビー玉の転がる舞台を創り出す遊び〈ビー玉コース〉作りに熱中しているらんらん組(4歳児クラス)の二人。

なぜなら、クロ君のつくった〈ビー玉コース〉は、

斬新な出来栄え。

斬新な出来栄え。

ミドリ君はどのようにアプローチをするのでしょうか。これがとても興味深いものでした。

クロ君「あれ、どこあったかなぁ。」あるブロックを探していると、

ミドリ君「あ、ここにあるよー!」「僕のとこにあったよー!」

ミドリ君「あ、ここにあるよー!」「僕のとこにあったよー!」

・相手の必要なものを一緒に探す

そして、自分の方に来てくれたクロ君に、

ミドリ君「クロ君のやつすごいね。」「どうやって作ったの?」「かっこいいねー!」

ミドリ君「クロ君のやつすごいね。」「どうやって作ったの?」「かっこいいねー!」

・褒める

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年2月2日『ムスビ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈私たちは、社会を作り生存してきました。したがって教育基本法の中で、教育の目的に「人格形成」と「社会の形成者としての」資質を備えることが挙げられるのです。しかし、個人がそのように教育されても、その個人を結び付けていかなければ社会にはなりません。それを進めるために、日本では古代から「ムスビ」といった概念を作ってきた気がします。日本では、もともと神と言われるものは1神でもなく、絶対神でもなく、神による社会を形成していたのです。これは、ずっとブログに書いてきたことですが、その根底に「ムスビ」という概念を置き、いろいろなものが結びつけられていくことによって生きているのだということを伝えてきたのではないでしょうか。〉

自分と他者を結びつける力。そうして一緒に遊び始めた二人を見て、ここに社会を創り出す力を感じ、また、生きていく力を感じました。それが、遊びの中で、子ども集団の中で育まれているのですね。

(報告者 加藤恭平)

 

心に描く未来予想図は ほら 思ったとおりに かなえられていく

先日、行事『成長展』が終わりました。

今年度のわいらんすい(3・4・5歳児クラス)のテーマは〈子ども集団〉ということで、子どもたちは生活の中で、遊びの中で、どのように関わり合い、育み合っているのかに焦点を絞り、取り組みました。

その中で発見と、いくつもの感動がありました。今回はわいわい組(3歳児クラス)担任田村先生、すいすい組(5歳児クラス)山﨑先生からいただいた情報を基にしての報告です。

先ずはこちらの写真。

先ずはこちらの写真。

 右に見えるは、この絵の製作者であるその子(すいすい組(5歳児クラス))の膝です。

舞台は2階ブロックゾーン。積み木やブロックを駆使して、何やら大きな作品に取り組んでいたところ、何かの拍子に崩れてしまいました。

崩れた作品を前に涙したのも束の間、その悲しみを拭うかのように3階へ行ってしまったその子。

数分後、写真の絵を持って降りてきます。

そう、それは〈設計図〉だったのです。

そう、それは〈設計図〉だったのです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年1月15日『個の積み木から』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈「個と集団は両立するか」という教育のテーマがありました。個と集団は、両立する、しないではなく、いい個がいい集団を作り、いい集団はいい個を作ります。それは、一人で何かをするよりも、集団で何かをする方がいいものが生まれるということです。それは、一人一人のいい作品がつながって、大きな素晴らしいものができるのです。そのために、他人と協力することを覚えます。これを子どもたちは積み木を作りながら学んでいくのです。〉

設計図を基に動き出す子どもたち。その姿は悲しみを乗り越えた同志を労わるかのようでもあり、また、その設計された作品の展望に心が駆られるかのようでもありました。

そして、作品の完成に意欲を燃やすその姿は、ブロックゾーンにおける子ども集団に何ともポジティブな作用を生み出すようです。その姿も田村先生は捉えて下さっていました。

憧れに近付きたい。眼差しの伝わる素晴らしい一枚だと思います。

憧れに近付きたい。眼差しの伝わる素晴らしい一枚だと思います。

 『臥竜塾』ブログ2014年1月15日『個の積み木から』文末、このように書かれています。

〈作品のイメージが子どもにわいてこなかった時に、ドイツの子どもたちが作った作品の写真をそのゾーンの中に掲示しておきました。それに刺激を受け、その真似をして、すぐにそれを越えた作品を作ることになりました。これらの環境が、今は、異年齢の中で伝承されています。

これが子ども文化であり、人類としての学びをしていることになるのです。〉

このような出来事が毎日繰り返されていることに、改めて子ども集団の大切さを感じる思いがしました。

次回も、ブロックゾーンにおける子ども集団をテーマに報告をします。

(情報・写真提供:田村早百合先生 山﨑温子先生 報告:加藤恭平)

今年度最後の臥竜塾セミナー EPISODE FINAL

 

先ずは、横浜六ツ川保育園の先生方の発表からクローズアップ。

先ずは、横浜六ツ川保育園の先生方の発表からクローズアップ。

何でも黒板にできる塗料を用いた回の実践報告で〈むTwitter〉なるTwitter風ボードを作成されました。写真のように、紙に可愛かった子どもの姿や感動した出来事などを書いて掲示し、子どもの姿を共有できるボードに仕上げておられました。職員同士が共有して楽しんでいる姿を見ることができ、とても面白かったと報告をして下さいました。

次は、慈光保育園の先生の発表からクローズアップ。

次は、慈光保育園の先生の発表からクローズアップ。

 科学をテーマにした回で水と油の実験をしました。その回のことを園に帰って報告をした際に調理の先生からドレッシングの原理に似ているという旨のアドバイスがあったとのことです。その言葉にヒントを得て、年長児のクッキングの際に〈ドレッシング作り〉へと発展させられていました。

次は新宿こだま保育園の先生の発表からクローズアップ。

次は新宿こだま保育園の先生の発表からクローズアップ。

豆腐作りの回の実践報告です。

写真左側の男の子の表情をご覧ください(笑)

写真左側の男の子の表情をご覧ください(笑)

当日は驚かれた先生も多かったように思い出すところで、しぼり立ての豆乳は何とも言えない独特の風味があり、顔を思わずしかめてしまう味わいでした。子どもたちもあの味を経験したのですね。とても貴重な体験だと思います。

〈温めた豆乳を飲んでみよう!「美味しくなってる」

〈温めた豆乳を飲んでみよう!「美味しくなってる」

完成した豆腐に喜ぶ子どもたちの表情が浮かんでくるような報告をしていただきました。

 次は、いるま保育園の先生の発表からクローズアップ。

次は、いるま保育園の先生の発表からクローズアップ。

燻製作りの回の実践報告で、ちくわなど、卵アレルギーの子どもに配慮をした食材を用意してやっていただいたそうです。子どもたちの評判も上々であったようです。写真の男の子の香りを嗅いでいるかのような姿勢もいいですね。

最後にみんなのとっぽ保育園の先生の発表からクローズアップ。

最後にみんなのとっぽ保育園の先生の発表からクローズアップ。

 

園庭を作り変えることに取り組まれているようです。

園庭を作り変えることに取り組まれているようです。

とてもスケールの大きな取り組みですね。そこに黒板を導入し、子どもたちが自由に絵を描けるように環境設定をされたとのことです。気付くと黒板を支える木の部分がチョークで彩られているとのことで、「黒板のところに描いてくれない。こちらの思い通りにはならないものですね(笑)」と会場を笑わせて下さいました。

それぞれの園で独自に実践をしていただき、また、その実践内容がどれも素晴らしく、とても勉強になりました。

最後に、塾生を代表して森口先生から締めの言葉をいただきました。藤森先生の助手として確実に力をつけておられることがはっきりとわかる素晴らしい演説でした。その中でとても印象深かったのは、「〈学ぶ〉ことは〈真似る〉こと。自分も以前いた園にいた時はこんなに真似ばかりしていいものかと不安だった。しかし、〈すっかり真似をする園からどんどん伸びていく〉という藤森先生の言葉通りで、出張先でも、そのように実践をされている保育園さんはぐんぐん伸びている、そんなように感じる。」という話です。

〈真似る勇気〉と森口先生は表現されていました。真似る勇気、それは謙虚に学ぼうとする勇気、姿勢そのものなのかもわかりませんね。

参加された先生方の実践からたくさんの学びを得ることができたこの度のセミナー。最後に焼きあがったコップを渡して今年度最後の回は幕を閉じました。

来年度もまた、引き続きワークショップ形式によるセミナーを開催していきます。異なるのは〈文字・数・科学〉に特化する、という点。どのようなセミナーが展開されていくのでしょうか、考えるだけでわくわくしてきます。

参加者の皆様とこれからも学びを深めていきたいと思います。来年度の臥竜塾セミナーも、どうぞよろしく御願い致します。

(報告者 加藤恭平)

すくすく組

先日、ヘルプで、すくすく組(一時保育)に入った時の様子を報告します。
2歳児の女の子2名がパズルをして遊んでいました。
私自身、すくすく組に入ることは多くはないので、なんとなく子どもの顔は見たことあるなという認識はあるのですが、名前や、性格などはほとんど分かりません。
そんな中で、この二人がパズルをしている様子を見ていました。
白服の子(下の写真)はとてもおしゃべりが得意な様子で、いろいろなことを呟きながらパズルをしていました。もう一方の黒服の子は白服の子とは対照的で、黙々とパズルをしていました。
しばらくするとなかなかパズルがうまくできないようで、白服ちゃんがイライラし始めます。

写真 2017-02-08 16 17 36

なかなかパズルができずにイライラしています。

「も〜どこにやるの?」
「どうすればいいの?」
「も〜なんなのよ〜」
と明らかに不満があるよな言葉が白服ちゃんから出てきます。
するとそれを察してなのか、黒服ちゃんが、白服ちゃんのパズルをやり始めました。
黒服ちゃんは、無言で白服ちゃんがやっていたパズルをやり始めたのですが、まるで「私はそのくらい簡単にできるのよ」という背中にも感じました。
どうも黒服ちゃんは白服ちゃんよりはパズルが得意そうです。
しかし、白服ちゃんは黒服ちゃんが自分のパズルに手をつけたことでさらにイライラしてきます。
「も〜なんでやるのよ〜やめてよ〜」
「私一人で頑張るんだから〜」
と黒服ちゃんが持っているパズルを奪って、ぽいっと投げ捨てる姿も。
しかし、諦めずに黒服ちゃんはパズルをする手を止めません。
そんな黒服ちゃんの姿に、少し諦めたのか白服ちゃんは黒服ちゃんを気にしつつパズルを再開させました。
そして、しばらくすると、
「そこじゃない。ここ!」と黒服ちゃんから白服ちゃんがはめた箇所は間違えであるという指摘が入りました。そんな指摘に、白服ちゃんのプライドが許さなかったのでしょう「も〜知っているから、言わないで」と白服ちゃんはその指摘に対して不満げに返答していました。
なかなかお互いを受け入れない二人の様子を見ていて、どんな展開になるのだろうかと楽しみになりましたし、こうやって子どもは相手と葛藤しながら遊んでいるんだと感じながら、眺めていました。

そんな様子を眺めながら、「二人でやった方が楽しいじゃん」と呟いてみたのですが、
私のその言葉はそよ風のように流されてしまいました笑

そんなやりとりをしていた二人ですが、しばらくすると自然と黒服ちゃんはその場を離れました。そうなると白服ちゃんも一人でパズルをやることになります。白服ちゃんにとってはやっと訪れた?平穏な時間です笑
ゆっくり自分のペースでさっきとは違う別のパズルをし始めました。しかし、しばらくすると、白服ちゃんはまたつぶやきだします。
「も〜どこなのよ(どこにパズルをはめたらいいの)」
「どうしたらいいの〜」
と、どこにパズルをはめたらいいのか分からず、不満げな言葉が出てきました。
どことなく、誰かに助けを求める声にも聞こえました。

そこで、白服ちゃんに「ねえ。黒服ちゃんに教えてもらったら?」と声をかけてみました。

写真 2017-02-08 16 35 49

「これ、どうしたらいいの!」と白服ちゃん。 黒服ちゃんはその後、白服ちゃんがしていたパズルの続きをしていました。

すると白服ちゃんが黒服ちゃんに向かって「ねえねえ、これどうしたらいいの!」となかなかのボリュームで、いつものように不満気に声をかけました。
不満気ではあるのですが、さっきまであれだけ黒服ちゃんのことを受け入れていなかったのに、「どうしたらいいの」と声をかける白服ちゃんには驚きました。もしかすると黒服ちゃんに声がかけたいけど、プライドが許さず、でも声をかけたいという感じで、何かのきっかけを待っていたのかもしれませんね。
声をかけられた黒服ちゃんは特にリアクションをとるわけでもなく、ひょいっと立ち上がり、白服ちゃんの元に行き、パズルを手伝い始めました。
助けを求めた白服ちゃんですが、黒服ちゃんに対する姿勢は相変わらず強めで、
「ちょっとこれはどこなのよ?」
「あ、待ってよ(どんどん勝手に組み立てていかないで)」と白服ちゃん本来の姿勢は崩しません。

しかし、次第にパズルが出来上がっていきます。黒服ちゃんがパズルを組み立てていくのを見て、
「あ〜そうそうそれはそこよね」
ときっと白服ちゃんは分かっていないのに、自分は知っていたかのような口調に変わりました笑
(白服ちゃん、もし本当に気づいて言っていたならごめんなさい笑)。
「うん。そうそう(そのパズルは)そこね」
という発言を繰り返す白服ちゃんを見ていて、おかしくなってしまいました。

そして、パズルはなんとか完成しました。
もしかすると白服ちゃん一人ではパズルは完成していなかったのではないかと思います。ヤンヤン言いながらではありますが、黒服ちゃんがいてくれたおかげでパズルは完成しました。
しかし、パズルが完成したからいいということではなく、白服ちゃんにとっては自分よりパズルが得意な黒服ちゃんという存在がいるんだということを少しでも感じた時間だったのかもしれません。
そのことを感じることができただけでもいい時間だったのかもしれません。

一時保育を利用している家庭の子どもは多くの時間を親と子どもという関係で過ごしているため、自分以外の子どもがいる環境を体験する機会も少ないでしょうし、思い通りにならない相手がいるという経験もあまり体験できないのかもしれません。そういう環境であると複数の子どもの中で過ごすということにストレスを感じてしまうのかもしれません。白服ちゃんの姿はそんな子ども同士の関係で生じるストレスでもあったのかもしれません。
しかし、それは一時保育での子どもだけではなく、保育園に通っている子どもも感じることだと思います。大切なのは、そのストレスにどう対応していくのかだと思うので、ある程度の子ども同士の関係の中でのストレスは大切になってくるんだと思います。それが集団で生きる力につながっていくのだと思います。そんな意味でも白服ちゃんの経験は保育園という子ども集団がある場所でこそ体験できるものなのではないでしょうか。
また、集中力が持続するというのは一人の力だけではなく、自分以外の人の力も大きく影響しているのではないかなと感じました。
塾長は「子ども集団の力、可能性」の話をされます。
また、例えとしてよく「サウナ」の話もされます。
主に男性の場合、一人でサウナに入っている時間と、誰かが一緒にサウナに入っている場合とではサウナに入っている時間に差が出てくるはずだと言われます。確かにこれは男性であれば想像できる話だと思います笑
自分とは違う人がそこに存在しているだけで、人は自分一人では思ってもみなかった力を発揮することがあります。子ども集団がある保育園にもそんな集団の力はたくさん存在しているはずですね。
改めて子ども同士の関わりの大切さを一時保育の子どもたちから感じる時間になりました。

報告者 森口達也

今年度最後の臥竜塾セミナー EPISODE 1

先日、今年度最後の臥竜塾セミナーがありました。

全員揃いました。

18時。今年度最後の臥竜塾セミナー、スタートです!

司会は我らが本多先生です。

今回のプログラムは、

1.コップの焼き付け

2.実践発表

専用のペンを用いての〈コップの焼き付け〉体験と、今年度当セミナーから得ていただいたものを各園それぞれどのように実践されたのか、その発表を先生方にしていただきました。

先ずは〈コップの焼き付け〉。

先ずは〈コップの焼き付け〉。

〈ワークショップ形式〉という〈体験〉を通したスタイルで臨んだこの一年。この度初参加の方もいましたが、この一年間で育まれた人と人との繋がりの織り成す柔らかな雰囲気があることを、参加する先生方の会話や表情から感じ取ることができました。

真剣な表情です。

真剣な表情です。

 

キャラクターを描く人も。

キャラクターを描く人も。

 

こちらの先生は文字を書かれています。

こちらの先生は文字を書かれています。

 

皆様、描き上がりました。

皆様、描き上がりました。

それを柿崎先生がスチコン(スチームコンベクションオーブン)で焼きます。時間にして約1時間半程。

その待ち時間がいよいよ実践発表の時間です。

その待ち時間がいよいよ実践発表の時間です。

少し緊張されていた方もいたとのことですが、その内容、話し振り、今思い出してみてもどの方もとても堂々とされていました。

あまりにも充実した1時間半。どの園の方々もとても熱心に取り組んで下さり、感無量です。今回はカメラマン森口先生が思わずシャッターを切った写真を元に、いくつかの実践例を報告したいと思います。

六ツ川保育園の先生の発表です。

横浜六ツ川保育園の先生の発表です。

パワーポイントを使って、とてもきれいにまとめられた内容に、会場からは拍手が沸いていました。

(報告者 加藤恭平)

リレー講演


先日、塾長と6月に行われる全国私立保育連盟の全国大会の打ち合わせが京都であったため、同行させていただきました。
塾長が分科会の助言者になっていることもあり、まずは各分科会ごとに分かれての打ち合わせが行われました。
私はその間、平成30年度の全国大会の開催地になっている名古屋の先生方と同じテーブルに座らせていただいていたのですが、
そのテーブルで思わぬ出会いをすることになりました。
隣に座っておられた名古屋市のとある保育園の園長先生とお話をしていて、出身地の話になりました。
私が「島根県です」とお答えすると、「あら、私も島根よ!」という返事が!
なんて奇遇なんだろうと思いつつ、「でも、きっと(どうせ)松江か出雲の人なんだろうな~」と思っていました。
というのも県外で出会う島根出身の人のほとんどが松江や出雲という島根県東部に位置するいわば(島根県では)人口の多い市の人たちだったからなのです。私の出身地である江津市という島根県西部に位置する過疎の進む町の出身の方などまず出会うことがありません。そんなことも思いつつ、その園長先生から「島根のどこなの?」という質問が、
半ば諦めの気持ちも込めながら、「あ、江津市です」と返答すると、なんと!思ってもみない言葉が返ってきたのです。
「うそ!私も江津なの!」
…………
ええ!!本当ですか!と私は驚いてしまいました!
なんといっても、人口2万5千人の小さな町です!その町の出身者の方が隣に!しかも、京都で!しかも京都で!

お互いに盛り上がってしまい、いろいろなお話を聞くと、
さらに驚くことが!
なんとその方の姪っ子さんが、私の中高の同級生だったのです!
そして、その姪っ子が名古屋にいて、今でも週に1度は会うそうです。
「なんなら昨日も会ったわよ!」と。もう驚きまくりで、おかしくなってしまいました。

と、前置きはここまでです。
本題に移ります(笑)
その打ち合わせ会ではとてもおもしろい企画が用意されていました。
それは各分科会の助言者の方達によるリレー講演会というものでした。
塾長を含め7名の先生方が一人15分という持ち時間で、「これからの保育、教育」
というお題で講演するというものでした。

はじめは、一人15分じゃ物足りないんじゃないのかな?と思っていた私ですが、
最初に言ってしまいますが、終わってみるととても刺激的で、すごくおもしろいリレー講演を見させていただくことができました。
そのリレー講演で、まず、最初にお話をされたのが東京大学の発達保育実践政策センターの遠藤利彦先生でした。
そうです、あの遠藤先生です。最近、塾長の講演会やブログでも遠藤先生の名前がよく出てくるので、
私としては芸能人にあったような感覚になってしまいました。

遠藤先生は「careとeducationの表裏一体性」というテーマでお話をされました。

内容を簡単にまとめますと、
「care+educationと考えるのではなく、care/educationというcareにeducationが加えられるのではなく、careの質を高めることが教育。careそのものが教育」というお話でした。

また、careの中核の一つがアタッチメントであり、そのアタッチメントは
「子どもが怖くてなったり、不安になった時という必要なときに基地になることであり、
その基地は大人だけではない、年上の子も入るのではないか」と言われていました。
このあたりはまさに塾長が言われている愛着は一人の人とではなく、様々な人と結ばれることがいいという複数愛着の話にもつながりますが、塾長は愛着についてまた少し違った見解をされています。

また、「幼少期の育ちが大人になったときにどう影響するのか」 「遊びが学びそのものである」
という言葉もあり、まさに常日頃から塾長が言われていることだなと感じました。

 

写真 2017-02-06 15 26 38

会場の様子はこんな感じでした。

そして、次に塾長の番になりました。
塾長は人類が遺伝子をどう繋いできたのかという話から始められました。
人類は、1年未満に離乳し、次の子が産めるようになります。それは1歳くらいになると子どもは共同保育されてきたという人類の歴史があるから。そして、人類は共同保育の中で、兄弟がいる、他の子どもがいるという環境で、自制心、我慢する力を育ててきた。それは子ども集団があったからこそ、あるからこそ育まれてきたということをお話されました。
塾長の後にも多くの方が保育、教育というのをお話されましたが、この「子ども集団」について語っておられる方は塾長だけでした。常々塾長も言っておられますが、研究者は子ども一人を研究した結果が多く、また現場を持っていない人も多く、そのため子ども集団での研究をしている人がなかなかおられず、その力もまだまだ知られていないと言われます。しかし、私たち、現場の人間はその子ども集団を持っていますし、なおかつ子ども集団の持つ力も知っているはずです。だからこそ、私たちにできる研究があるということを塾長は言われます。
研究で明らかになっていないだけで、まだまだ知られていないことは世の中に山ほどあるという当たり前ですが、その事実は現場の生の目線としては忘れてはいけないことだなと感じました。

また、「愛着」について遠藤先生から年上の子でもいいという話がありましたが、塾長はまた少し違った愛着の形を示されています。それは母子との愛着を基盤に、母子と離れても、他の大人、他の子との間に安心できる関係を築いていきながら、他者との関係の中で立ち直ることができ、最後には負の状況に陥って時に、自分で立ち直ることができる力が大切であるということを言われています。
また、15分間の最後に塾長はブッタの話もされました。ブッタは生後すぐに母親を亡くしたそうです。人類の歴史からみても、出産を機に母親が亡くなってしまうケースも少なくなかったそうです。そんな時に、母親だけの愛着、母親とだけの関係が絶対視されていては人類は生き残ってこれなかったのではと話されました。あらゆる人との愛着関係があってこそ、人類は生き残れてきたのだと。そのためにもやはり子ども集団、複数の大人との関わりという「集団」が重要になってくるということを話されました。
そのようなことを塾長は15分の中で話されたのですが、納得して頷いている方も多く、また、私自身も15分の中にこれからの保育、教育の話が濃縮されて詰まっている塾長の話に圧倒させられてしまいました。
少し余談ではありますが、塾長以外の人はパワーポンイトを使って講演されていました。15分という短い時間にいかに自分の言いたいことを表現するのかというのは大変なことです。パワーポンイトを使って整理することで、短い時間に伝えたいことがはっきりするので、効果的ですね。しかし、塾長はそのパワーポンイトを使わずして、相手にしっかりとしたメセージを伝えておられました。一体頭の中でどのように整理されているのだろうかと、驚いてしまいました。

他にも、食と農のコンシェルジュである伴亜紀先生の講演の中に、
哺乳はコミュニケーションではないか、というお話がありました。塾長の話の中に赤ちゃんは白紙で産まれるのではない、自らすでにあらゆるものを選択している、自ら発達する力を持っている存在であるとあります。哺乳によるコミュニケーションという考え方は、大人が赤ちゃんに与えるものではなく、赤ちゃんが自ら哺乳しているという事にも繋がるのかもしれませんね。
また、伴先生は「食べるという事には個人差があ理、早く食べられた、いっぱい食べられたからいいということではない。
その子にとっての適量があるはず」ということを言われていました。まさにこれは塾長がよく言われる子ども像でもあり、このことも子ども自ら育つ力を持っているという事に繋がるなと思いお話を聞いていました。

このリレー講演で、これからの保育、教育を明確に語っておられたのは塾長だけだったように思います。そして、明確に今後の道を示しておられる塾長を見て、「すごい…」と唖然としてしまいました。しかし、唖然としてしまうだけではいけません。その考え方をしっかり受け継ぎ(保育の考え方、人としての道)、実践という形で示したりしていけるようにならなければいけないし、そうなりたいなと改めて感じる時間になりました。

報告者 森口達也

ちょっと変わった職員が報告する勉強会~園内研修編4~ EPISODE FINAL

保育園の騒音問題。これは最近、世間でもとても注目されていることのように思います。

東京都では、〝遮音壁〟を園舎に導入するにあたり、補助金が出されるそうです。

藤森先生は「それはおかしいのでは。」と仰られました。確かに、遮音壁は声が外に漏れることを防ぐでしょう。しかし、問題はそのことではなく、「子どもたちが騒音の中で過ごしていること、それが問題なのではないか。」という、藤森先生の仰る通り、子どもたちの日々の生活を問題にするという視点が欠けているように思えてきます。日本の保育園によく見られる吹き抜けのない天井、フローリングの床、と、音がダイレクトに反響してしまう環境が余計に子どもたちの声のボリュームを上げさせている要因となっているのかもしれませんね。実際、「建物の構造の理由で子どもが静かなこともある。」ということで、例えば新宿せいが保育園で用いられている床材は〝リノリウム〟という音の吸収率の高い床材を用いています。また、日本伝統の〝畳〟も反響しない床材の最たるものということで、こういった床材へ目を向け、環境を再構築することが、壁を厚くすることよりも騒音問題を考える上でとても大切なことのように思えます。

藤森先生は続けます。

「共に考え、深め続けることをしている時。こうしたらいいんじゃない?と子どもたち同士、友達同士で話している時に聞く力は育まれます。」

そして、

「話す力は提案する力です。」

前に立って話す先生の話を黙って聞くことが〝聞く力〟ではなく、自分の考えや思い、自己を主張することを大勢の前で恥ずかしがらずにできることが〝話す力〟でもない。遊びの中で生まれる相手の提案に〝耳を傾けること〟、そしてその提案することそれ自体が〝話す力〟であるという解釈はとても新鮮で、とても心に落ち着く内容を伴っています。

「新宿せいが保育園の子どもたちはとてもいい会話をしています。いい会話は騒音になりません。」

「騒音とは、大声を出すこと、奇声をあげること。」

こう続けられた後、最期に藤森先生はこう結ばれます。

「騒音問題の解決は質の良い会話をすることです。」

現在、毎週木曜日、週に1日を〝研究日〟として設け、山下先生や西村先生、森口先生を中心に子どもたちの姿を追っています。

実際に子どもたちはどれくらいの距離離れた子にどれくらいの声の大きさで話し掛けているのでしょうか。また、どのゾーンが一番会話がなくて、どのゾーンが一番大きな声が出るものなのでしょうか。ゾーンを設定する上でとても重要な内容について、データが集められています。

そして、ゾーン毎に繰り広げられている子どもたちの会話はどのようなものなのでしょうか。子どもたちの〝会話の質の高さ〟そのデータもまた、同時に集められています。

藤森先生は仰ります。「こうやればいいんだ、という目処がついたらGT園にそのやり方を伝えていきたい。」

〝見守る保育〟が、子どもたちを愛する保育者のすぐ側へ、すぐ手元へと落とし込まれ、誰しもが実践できるものへと練り上げられていくその道中に藤森先生はおられる、ということを改めて感じ、この度の講演は幕を閉じました。

————————————————————

先生の講演を聞きながらとったメモを元に、その内容を咀嚼した上で報告をあげていこうと思い付いたはいいものの、とても時間がかかってしまいました。「100ページ以上のスライドの中からほんの15ページ」程の内容と藤森先生は仰っていましたが、時間にして2時間、本当に心打たれる内容でした。

とても勉強になりました。有難うございました。また藤森先生のお話をこうして聴ける日を心から楽しみにしています。

(報告者 加藤恭平)

ちょっと変わった職員が報告する勉強会~園内研修編4~ EPISODE 9

〝質の高い保育〟とは。その答えの前に、質の高い保育がなぜ子どもたちにとって必要なのでしょうか。厚生労働省が提示している『保育をめぐる現状』の中の『海外の調査研究』における『保育・幼児教育の効果に関する海外の調査2』の中にはこのように書かれています。

(太字をクリックすると厚生労働省が提示している『保育をめぐる現状』の全文を読むことができます。)

1)保育の質の高さ(特に、保育者の言葉がけなどプロセス面)が、乳幼児の知的能力や 言語発達と関連。

・3歳になるまでに質の高い保育を受けた子どもは、そうでない子どもと比べて、3歳にな るまでの期間を通してやや高い知的能力と言語発達が見られた

・特に保育者の言葉の使い方(質問、応答性、その他の言葉がけ)が重要

・3歳になるまでに質の高い保育を受けた子どもは、そうでない子どもと比べて、4歳半の時 の言語能力や数字の理解といった標準テストの成績も良かった

※ただし、いずれも家庭や両親についての要因の方が、保育の質よりも子どもの発達に影響。

※この調査における「保育」とは、母親以外のものによって、業として行われるものをいう。

2)保育者(教師)と子どもとの良好な関係(3歳時点)が、小学3年時の学業成績に影響。

・特に、母親とのアタッチメントが不安定である場合、保育者(教師)と良好な関係をもつ経験による効果が大きい。

(読み易さに配慮し、各文章の文末にある(NICHD, 1999; NICHD, 2000)などの箇所を省略しています。)

1)ではプロセス面、取り組みの途中の重要性が説かれています。

「散歩もいく途中の声かけが大切です。」と藤森先生は仰いました。途中にある景色、風景、出来事を子どもたちと共に楽しむ。それと同じように、何かに取り組むにしても、「結果よりも取り組んできた過程を褒めること。」もし結果がだめだったらだめなのか。それは言うまでもないことで、「出来栄えではなく、過程を褒めることが大切です。」と藤森先生は続けられました。

出来栄えではなく、過程を褒めること。そこに保育者の〝言葉がけの大切さ〟というものが改めて見出されるように思います。

更に、2)について。初めて目にする方にはかなり衝撃的な内容だと思うのですが、「もう親のせいにはできませんね。母親とのアタッチメントが不安定である子程、保育者が可愛がってあげなくてはいけないということです。」と、とても印象的な言葉で藤森先生は説明をされていました。

質の高い保育の必要性。最早異論を唱える余地が見当たりません。

さて、それでは〝質の高い保育〟とは。その答えとなる、『保育・幼児教育の効果に関する海外の調査4』に触れたいと思います。

1)すぐれているプリスクールの特徴を分析した結果、共通点が確認された。特に、保育者と子どもたちとのかかわりに関する共通点は、以下の二点。

1保育者の子どもたちへのかかわりが、温かく、応答的であること

2「ともに考え、深め続けること(Sustained Shared Thinking)」と呼ばれるかかわりを含む、保育者と子どもたちの質の良いかかわり。

2)他にも、すぐれているプリスクールほど、子ども主導の遊びや活動、子どもが中心で教師がつなぎ発展させる遊びや活動が多いという特徴。

(読み易さに配慮し、※←などの注意書き含む一部を省略しています。)

「応答的とは、子どもがこっちに言ってくることに答えてあげることです。」と藤森先生。何ともシンプルで分かり易い表現ですね。それが対象が赤ちゃんであれば、「赤ちゃんの反応に合わせて、反応してあげることです。」例えばお腹が空いた時、オムツを替えてほしい時、その時に反応してあげること、ということです。「それが自発性につながります。」自分から発信したものを周囲の大人が感知してあげること。その中で自発性が育まれていくということを学び、改めて〝応答的〟であることの大切さがわかります。そして、それは職員間、人間関係についても同じことで「リーダーは応答的であること。新人と共に考え、深め続けることが大切です。」と藤森先生は言及されていました。

また、〝スマートフォンやお便り帳がこれを阻害しているのではないか〟という話もあり、とても興味深く思いました。赤ちゃんは大人の〝視線〟がわかります。外でスマートフォンに目を向けながら子どもに対応している親を目にすることがありますが、子どもはそれを応答的と感じることができません。また、お迎えの際に何よりも先にお便り帳を読んだり、会話ができるようになってからも子どもに話しかけることもせずにお便り帳からその日の様子を知ろうとする親もいるようで、〝質の高い保育〟をこうして真剣に考えた時、保育の先進国のように国の定めとしてお便り帳がなくなれば、とどうしてもそのように思ってしまうことは仕方がないことのように思えました。

そして、藤森先生が「これが私たちの目指す保育です。」と仰られた〝2) 子ども主導の遊びや活動、子どもが中心で教師がつなぎ発展させる遊びや活動が多い〟は、見逃すことができません。自分たちの創り出す環境がこのようになっているだろうか、改めて省みる機会を与えていただいたようでもありました。

講演もいよいよ後半に差し掛かかります。最後に藤森先生は〝保育園の騒音問題〟について触れられます。

(報告者 加藤恭平)

ちょっと変わった職員が報告する勉強会~園内研修編4~ EPISODE 8

「〝知ること〟や〝やること〟を挙げることよりも、〝知ろうとすること〟〝やろうとすること〟という学習態度、学習意欲へのアプローチが大切である」

それは、ノーベル経済学賞(2000年)の受賞者、ジェームズ・ヘックマン教授が〝ペリー就学前計画〟を基に研究されています。

このことは12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年1月26日『非認知能力』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝この研究は、幼児教育をおこなった子どもと何もしなかった子どもを追跡調査し、40歳の時点で比較したところ、高校卒業率、平均所得、生活保護受給率、逮捕者率などに差が現れたという研究で、1960年代からアメリカで実施された「ペリー就学前計画(Perry Preschool Project)」といわれる比較実験です。それが、ヘッドスタート計画の発端になったのですが、これを基にヘックマン教授が、さらに研究をしたのです。それは、少ない国家予算の中で、何を優先させることが将来その予算のかけた見返りが大きいかということの研究なのです。

ジェームズ・ヘックマン教授らは、公共投資の観点から幼少期の教育の重要性を説いた論文を発表し、近年日本の教育関係者の間でも話題となりました。この調査では、対象となった子ども達が成長して40歳に達した最近まで定期的に調査が実施され、比較分析の結果がまとめられているのですが、就学前教育を受けた人達(以下「実験群」)は、受けなかった人達(以下「対照群」)に比べて、高校卒業資格をもつ人の割合が20%高く、5回以上の逮捕歴をもつ人の割合が19%低かったとされています。また、月収2000ドルを超える人の割合は実験群が対照群の約4倍、マイホームを購入した人の割合も約3倍であった、との結果が出ています。

 その研究から、違うことも見えてきました。それは、IQ(知能指数)を長期的に高めることに、就学前教育による特段の効果は認められない、との報告がされていることです。つまり、たとえ乳幼児期などの早い段階から教科学習を開始したとしても、長期的にIQを向上させるという面では効果が薄いということがわかったのです。では、就学前教育・幼児教育の効果が最も顕著にあらわれたのは、一体どのような分野だったのでしょうか?

 ヘックマン教授らの論文によると、就学前の教育を受けた子ども達が最も伸びたもの、それは、学習意欲をはじめ、誘惑に勝つ自制心や難解な課題にぶつかった際の粘り強さなどの「非認知能力」であった、とされています。論文では、これら非認知的な能力の方が、実際の社会生活では重要とされることが多く、信頼される人間性こそ、雇用者が最も評価する点であり、粘り強さや信頼性、首尾一貫性は、その後の成績を予測する上で最も重要な因子である、と指摘されています。

 多くの場合、社会において重要視されるのは、学力や専門性よりも、考え方が一貫している、誠意がある、信頼できるなどの人間性だと考えられます。これらのような非認知的な能力の基礎を身に付けることが、基本的な人格の形成につながっていき、より良い人間性の土台を築くことになるわけです。〟

このことから、IQを向上させる教育、即ち、知識や技能を習得させる(認知的な)保育、教育は、将来への効果が極めて薄いということがわかります。藤森先生の小学校教諭時代の話もあり、とても納得がいきましたが、例えば、知識を習得させることに力を入れている園から来た子が1年生の頃に成績がトップだったとしても、ある日から、その子が園で習ってこなかった段階へ勉強は進んでいきます。そこで結局は認知的な教育の中にいた子よりも、〝知りたがる意欲の高いこの方が伸びる〟という結論になるのは、最早言うまでもないことのようにも思えてきます。

その〝知りたがる意欲〟こそが、保育の中で育むべきものであるということを指針に明記すべきであるというのは、最近の研究を踏まえたとても現実的な主張であることが納得できるように思います。

知りたがる意欲。そして、誘惑に勝つ自制心。難解な課題にぶつかった歳の粘り強さ。その力が子どもたちの将来を明るく、豊かなものにするのです。

それも、厚生労働省が提示している『保育をめぐる現状』の中の『海外の調査研究』における『保育・幼児教育の効果に関する海外の調査1』のグラフを見ていただけるとわかると思いますが、1歳半頃をピークにその後は下降しています。 (太字をクリックすると厚生労働省が提示している『保育をめぐる現状』の全文を読むことができます。)

先日の報告の中で「3歳、4歳から我慢を覚えさせようとすることは無理に近い。1歳から1歳半、この時期にどうやって我慢の力を身につけさせるかが保育の課題です。」と藤森先生の言葉を書きましたが、その回答となるのがこれです。

この大切な時期に、自制心を育む保育をすること、質の高い保育を子どもたちに提供することがとても大切なことであることが頷けます。

それでは質の高い保育とは。現場の視点で捉え直された具体的な内容を基に藤森先生の講演は続きます。

(報告者 加藤恭平)