皆さん、灘高校はご存知ですか?高校生クイズをよく見る方はピンとくると思います。全国屈指の進学校の一つで、有名な高校です。かといって生徒は常に勉強しているか?というとそうでもなく、校風は「自由」だそうです。そして中高一貫であり、面白いのが、一度教科担任になると高校の3年生までずっと持ち上がりで同じ生徒を教えるというユニークな制度を取り入れており、時間の使い方は教師の裁量に決まるそうです!
今でさえ進学校で有名ですが、最初から進学校ではなかったそうです。
その灘高校には伝説の教師と呼ばれている先生がいました、それが「橋本武(たけし)先生」です。
その橋本先生の教え子の中には作家の遠藤周作、神奈川県知事、東京大学総長、東京大学副学長、最高裁事務総長、日本弁護士連合事務総長など日本の各界のリーダーがいます。その教え子の一人が書いた本の中に橋本先生が行った授業「スローリーディング」が取り上げられ、注目を浴びたのです。そんな橋本先生の本に書かれてある言葉が塾長が言っている事と同じでしたので、やはり見守る保育は乳幼児だけでなく、中学高校、そして大人になって通用するのだと改めて思いました。そんな橋本先生の言葉を紹介したいと思います。
「『学ぶ』ことは遊ぶこと、『遊ぶ』ことば学ぶこと」
とにかく橋本先生は「横道にそれる」ことに重点を置きました。ある生徒が「遊ぶは好きだけど、学ぶは嫌」と言った事に対し、頭ごなしに「遊ぶ気持ちになって学べばいい」とは言わず、子どもは「遊ぶ気持ちで学ぶ事を知らないから、自然にそう思わせることが大切と言います。そして
「当たり前のことに疑問をもつ」
いつもは当たり前のように思われている事に対して疑問を抱くことから考える幅が広がるとのことです。これは塾長が講演でも話しをされますね。塾長が小学校教諭の時に一番最初に生徒に言った言葉が
「大人の言っていることを信じないで、自分の目で見たものを信じなさい」
言葉は違いますが、根本は一緒ですね。大人が言っていること、教科書に書いてある事が全て正しいと信じるのでなく、あえて疑問を持ち、自分の目で確かめたことを信じなさい。この塾長のスタイルは今現在も変わりません。
橋本先生が「横道にそれる」というのを大切にしているのは例えば・・・
「『遊ぶ』の『あそ』と何だろう?熊本の阿蘇山、阿蘇の海など『あそ』は山や海の名前になり、『ぶ』がつくと『遊ぶ』になる。同じように『学ぶ』の『まな』も仮名文字の元となった『真名』というのがあり『ぶ』がつくと『学ぶ』となる。じゃあ『ぶ』がつくコレクションを集めてみよう」
というふうに「学びとは意味がなくても面白ければいい、これも『遊ぶ=学ぶ』です」というのが橋本先生の授業スタイルです。「さらに子どもが安心して遊べる環境をつくる」と言います。そもそも、なぜ「学ぶ」と「遊ぶ」を強調するのかというと、自ら進んで参加するのが「遊び」であり「学び」もそうあるべきと考えたからです。子どもは自然と何かに興味を持てば自分から進んでやるようになる。そして子どもが遊べるような感覚で学んでいけるように仕向けると言っています。まさに「見守る保育」の保育室の環境を設定する上での考え方を同じですし、塾長が常々言われている事です。子どもが自発的に関われるような環境を用意する。子どもにとって遊びは学び。全く同じような考え方です。
「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」
付け焼き刃で詰め込んだ知識はすぐに使い物にならなくなります。だから20年、30年と見た長期的な学力、能力を身につけるには、疑問に対してじっくりと腰を据えて考えるやり方でないと効果があがらないと言われます。これを聞いて思い浮かんだのは、やはり乳幼児から算数や英語、体育教室などに力を入れている施設です。確かに子どもは柔軟ですぐに身につくかもしれませんが、長期的にみて、それは将来に本当に役に立つのかと思います。もしかしたら数学者や世界的に有名な通訳、そして体操のオリンピック選手になるかもしれませんが、それは、ほんのごく一部です。
それよりも塾長がよく講演でも話していますが、乳幼児期にしか身につかない能力をしっかりと身につける必要があると思います。色々な事に興味を持ち関心を抱く、そして好奇心、探究心と言った、まさに学ぼうという意欲の原点をこの時期にしっかりと身につけるべきです。
「子どもが安心して遊べる環境をつくろう」
橋本先生が言われた言葉ですが、やはり「環境」ということに重点を置いています。さらに「自らすすんで参加するのが「遊び」であり「学び」もそうあるべき」と言われています。見守る保育でも「環境」という点にはとても重点に置いています。また「環境を通して保育をする」と保育指針にも書かれているように「環境」というのは子どもにとって重要な存在です。そして子どもが自発的に活動するという点においても、全く同じ考え方ですね。
とにかく橋本先生は「遊ぶ」ように「学ぶ」ということを徹底的に意識した授業を行ったそうです。とくに国語を重点においたそうで、生きる力、学ぶ楽しさのもととなるのは国語と言われています。次は橋本先生がこだわった国語の授業方法を紹介してみたいと思います。(報告者 山下祐)
まさに藤森先生の話とリンクしますね。こうやって、私たちに保育とは何か、人生とは何かを教えてくださる藤森先生の存在に改めに感謝するとともに、未熟ではありますが、少しでも力になりたいと思うとともに、「『学ぶ』ことは遊ぶこと、『遊ぶ』ことば学ぶこと」ともありましたが、一緒に楽しいことをしながら同時に保育を深めていきたいなと山下さんの今回のブログを読んで思いました。「学びとは意味がなくても面白ければいい、これも『遊ぶ=学ぶ』です」という言葉にもグッときますね。なんだか気持ちが楽になるように思います。真面目になりすぎるとおもしろさを忘れてしまうことがあります。あまり堅くなりすぎずに、おもいっきり遊んでみて、楽しんでみて、その中から生まれる学びもきっとたくさんあるように思います。そんな気持ちは持っていて、そして、みんなで共有したいですね!
「学びとは意味がなくても面白ければいい」とか「もっと意識して横道にそれてみよう」などの言葉に衝撃を受けました。学びに意味があるかないかよりも、それより優先されることは「面白さ」であるということであり、横道にそれることを“意識”したこともありませんでした。私のどこかに、“近道”というワードがあったのだと思います。もっと、面白さや横道に重点を置いてもいいのかもしれませんね。