前回は国語の重要性を書きました。個人的にはなかなか面白いですね。
今回は橋本先生が灘高校に赴任されてからの事を紹介したいと思います。
最初のブログにも書きましたが、灘高校は今でさえ進学校として有名ですが、当時はおちこぼれが多い学校だったそうです。そんな学校を象徴する事件があったそうで、ある日職員室に「先生!やられた!」叫び声と共に脇腹を抑えながら入ってきた生徒の脇腹をよく見ると、なんとナイフが刺さっていたそうです・・・これは驚きますね。そんな灘高校に橋本先生は結局50年も教壇に立ち続けた理由には、教師のやる気をくすぐる校長の指導方法があったそうです。
当時の灘校は創立してからまだ数年しか経っていませんでしたが、当時の初代校長の真田範衛(のりえ)先生が「日本一の学校にする」と意気込んでいました。そして初対面の橋本先生に向かって「教師は10年しないと一人前とは言えない」と釘を刺したそうです。そんな厳しそうな言葉を放ち、教師に対しても厳しいと思いきや、全くの逆だったそうです。新米の橋本先生に対しても「ああしなさい、こうしなさい」と指図することもなく、授業の様子もチェックしに来ることもないそうです。橋本先生が言うには「無言の指導」だったそうです。上から何も指図を言われなければ、いやでも自分の成し得る最前の方法を考えて実践しなければいけないので、ある意味「やる気」が出るのですし、それこそ教師も自発的に授業を考える必要があったのですね。
まさに、このスタンスは塾長と似ていますね。ただ唯一違うのは、塾長は保育の実践で理念や考え方がずれていると、そこはしっかりと修正してくれます。私からすると、だからこそ安心して実践できると思います。
そんな「無言の指導」を受けていた橋本先生は、自分の好きなように授業のカリキュラムを組めることもできますが、その自由の反面、同じ位の責任も生じると言っています。自由だから何でも好きになってもいい!わけでなく、生徒に対しての責任が生じると思うと、適当な授業はできないですね。そして子どもたちと一緒に迷い、悩む。いくら橋本先生でも小説を教科書にするというのは、分からない事が多く、自身も色々と調べたようです。時には作者の中勘介先生に手紙を書いて直接聞いたりもしたそうです。なんだか塾長が1年生の担任をした時のエピソードに似ていますね(笑)教科書の会社に手紙を書いたという有名な話しと・・・。
とにかく橋本先生は自分のやりたいことをやりたいようにやりたいだけやってきた「はじめに行動ありき」という考えのもとに授業を展開してきたそうです。だからと言って誰でもやりたいことを何でもやったら成功するというのは私は違うと思います。と言うのも橋本先生はおそらく「生徒のため」という、基本的に生徒を主体的に捉えているからこそ成功しているように思います。その辺りは塾長もそうですね。
「時代を超えても変わらぬ子どもたちの個性」
おそらくクラス担任をしている先生は感じる事があると思いますが、毎年、毎年クラスの子どもが違うので、クラスの雰囲気が違うはずです。今年はやけに静かなメンバーだったり、元気がありすぎるメンバーだったり・・・。子どもは、柔軟で個性と可能性にあふれていると言われています。そして個性を開花するためにも、自由な雰囲気を味わいながら、のびのびと日々の生活を送れるように大人が仕向けることが大切とも言われています。
ただ自由、自由と言ってもやはり、「自由」と「好き勝手」というのは違いますね。見守る保育も子ども達が自由に遊んでいますが、それは保育園という社会の中で共同生活する上でのルールを子ども達がお互いに守っているからこそ、自由に遊ぶことが可能です。それと同様なことを橋本先生も言われています。
これは保育士、そして子どもも同じですね。どうも「自由」に対する考え方をちゃんと向き合う必要があると思います。おそらく見守る保育を実践している園の先生たちは自由に対する考え方は塾長の講演やブログから学んでいると思いますが、子ども達にも自由に対する考え方を伝えていく必要があります。それは、ここに書いてるような理論的に伝えるのでなく、やはり体験からではないでしょうか。
そんな自由な校風の灘高校ですが、生徒から服装の自由化の声が上がりました。もちろん他人に迷惑をかけないのであれば自由を満喫したらいいというのが橋本先生はじめ灘高校の校風なので、服装の自由化が認められました。すると学校に真っ赤な服装で登校した子がいました。今でさえ赤い服は誰でも着ていますが、当時ではかなり目立っていたようで、いくら自由とはいえ学生には学生なりの服装があるとはずです。それに対して橋本先生は頭ごなしに言うのでなく、その子にこう言いました。
「若い人には若さというプラスの面がある。そこにもってきてプラスの派手な格好をしたら、プラスとプラスがぶつかってショートしちゃうよ」なかなか面白い解答ですね。すると次の日からその生徒は普通の格好で登校するようになったのです。さらに中学校の男子というのは思春期であり、大きな悩み、希望が「恋愛」です。橋本先生は生徒に対して「相手に対して自分が興奮しているときでも、これだけのことをしゃべっていいか、一瞬でも考えてから発言しなさい。恋愛においても、思ったことをパッと行動に移すのでなく、こんなことをして良いか悪いか、大丈夫かどうか一瞬でも頭に思い浮かべてから行動しなさい」基本的に橋本先生はどんな事に対しても頭ごなしに言い聞かせるのでなく、ちゃんと理に沿い、そして生徒に対して真摯な態度で接するのは、塾長と同じですね。塾長も見学者が例え学生一人に対しても真摯に対応します。相手の立場などで対応を変えることはなく、「学びたい」という気持ちがある人に対しては時間がある限り真摯に向き合う姿をよく保育園で目にします。私も見学者に対して出来るだけ自分が持っている知識、塾長から学んだことを出来る限り伝えているつもりです。もちろん相手の立場に関係なく、真摯に向き合っていますが、それも塾長の姿をずっと見ているからかもしれません。
橋本先生はこう綴っています。
「人に対する思いやりの気持ち、これが自然と身に付いたとき、人は初めて大人になれるのです・・・。」(報告者 山下祐)
『塾長は保育の実践で理念や考え方がずれていると、そこはしっかりと修正してくれます。私からすると、だからこそ安心して実践できると思います』、『「生徒のためという」、基本的に生徒を主体的に捉えているからこそ成功しているように思います。その辺りは塾長もそうですね』、『相手の立場などで対応を変えることはなく、「学びたい」という気持ちがある人に対しては時間がある限り真摯に向き合う姿 …』これらの言葉からは、塾長の姿を近くで見てきた山下さんだからこそ、その言葉に重みと説得力があります。そのメッセージを私も受け取り、実際の自分の心持ちにしっかり反映していきたいと思いました。
橋本氏の「自然に面白がって楽しめれば、子どもたちは自然と学ぶようになる」という言葉が印象に残りました。塾長は、見守る保育とは、一言で「楽しい保育である」と言っていますね。それと同じように、職員が楽しい環境で仕事をしていることが、子どもの自然な学びを促進させているということでもあるのですね。そして、自由と好き勝手の違いのように、楽しいと馬鹿騒ぎとの違いを明確にすることも大切であるのだなぁと思いました。