こうして「学ぶ」ことについて書いていると、なんだか不思議な感覚になります。と言うのも、小学校から高校、そして大学まで勉強というものをそこまで真剣に取り組んだことがないので、おそらく当時の私を知っている人からすると「えっ!?あいつが!?」となるでしょうね。それこそ自分の力ではなく、藤森平司という人物に出会ったことで、私の力を引き出してくれたんだと思います。本当に感謝しています。
そんな「学ぶ力」も終盤になってきました。塾長はよく「私は勉強が嫌いです」と言われます。おそらくほとんどの人は信じないでしょうね。テレビはニュースしか見ない、いつも本を読んで勉強している、という印象でしょうか。そんなことはありません。私が助手で行っていた頃、テレビは一緒にバラエティを見ますし、時には二人で温泉卓球やカラオケをしてみたり(笑)そして講演の合間には外に出歩き散歩に出かけてみたり、かなりアクティブです。ですが、その時その瞬間に様々な学びがあるのです。よく最初の頃に塾長に言われたのは
「学ぼう!という意欲が無くなった瞬間に、成長は止まってしまう」
最初の頃、正直あまり実感が沸かず、とにかく必死でしたが、今になってやっと理解できたように思います。おそらく頭の中で理性を持って「学びたい」という気持ちと、理性ではなく言ってしまえば本能で「学びたい!」という気持ちとでは雲底の差だと思います。橋本先生は言葉は違いますが
「学びがあって成長し、成長したらまた新たに学びの場と出会う」
すごくこの言葉の意図は理解できます。しかし、学ぶ中で自分にとって苦手分野があると思います。私も苦手分野があります。チーム保育ではお互いの得意分野を活かし、お互いに補い合うことが大切ですが、時には苦手な事をやらなければいけない時があると思います。そんな時には思い切ってやってみるといいと橋本先生は言われています。と言うのも苦手と思っているのは頭の中で自分で描いてしまったり、あとは過去に失敗してトラウマになってしまったり、苦手分野がある人は様々だと思います。その時に少し客観的に捉えどの部分が苦手なんだろう?と苦手と付き合ってみると案外、そうでもないかもしれません。私は人前で話す事は基本的に苦手です。と言うのも実はかなりの人見知りである私は人前で話すこと、そして知らない人たちの中にいることが本当に苦手でした。しかし塾長との出張で、苦手から得意になってきたように思います。それは何度も場数をこなしたからかもしれません。色々な場所で塾長から話しをする機会をいただき、最初の頃は緊張で何を言っているのか分からない時や、変な事を言ってしまい大失敗してしまったり・・・しかし何度もやっていくうちに自然と自分の形ができてきて、いつしか不安から自信につながるようになりました。もちろん今でも反省点は多いですが・・・。あとは塾長のブログ臥竜塾のコメントもそうですね。時々、自分の最初のコメントを思い出して検索してみるのでが、あまりにも幼稚な文章に笑ってしまうくらいです(笑)ですが、今もずっと続けることで当時より、ましな文章を書く事ができるようになったと思います。「継続は力なり」ということわざは間違っていませんね。
さて話がガラッと変わりますが、「ゆとり教育」についても書かれています。そもそも橋本先生は「ゆとり教育」に関してはよく分からないと言っています、その理由として、それらの状況に詳しくないというのと、先生や学校が何をやりたいのかいまいち理解できないとのことです。平成23年4月から小学5、6年から英語が必修になりました。それに対して、やはり国語にもっと力を入れるべきだと言うのです。小学校から英語を教えたところで、どれだけ使いこなせるかはなはだ疑問と言います。確かにそうですね。塾長も保護者講演で言われることは
「いくら小さい時に英語を教えたところで、人とコミュニケーションができなければ意味がない」
と言われています。またこんな例をよく話されます。
「妻と街中を歩いている時に外国人の集団に道を聞かれて話しかけられてしまいました。妻は英語を話せるので任せていたら、一言も話せなかったのです・・・。なぜかというと妻は道を知らなかったからです。結局、私が道を教えました。」
また塾長がドイツ研修から戻ってきて職員室で話している時に職員から英語が話せたら、相手と直接話せるのにと言われて塾長は
「じゃあ先生、今から研究者が集まる会議に出て議論をしてみたら?日本語だよ?」
塾長はいくら英語を話せても、話す内容がなければ英語が話せても何の意味もないということです。また英語が話せなくても通訳をつければいいし、今はスマホで簡単に通訳が可能です。それよりも乳幼児期にしか身につくことが出来ない、興味、関心、好奇心、探究心など「知りたい」という意欲を身につけることが大切とよく言われます。
「ゆとり教育」の政策として今でも覚えているのは円周率の数字が簡略化されたり、授業時間を減らすなど極力、子どもに負担をかけないようにしたつもりですが、橋本先生からすると教師も生徒も怠けていただけで「ゆとり」ではなく「怠け教育」と言っています。さらに面白い発想というか、時には「詰め込み教育」が必要と言っています。ここでいう詰め込みというのは受験のための詰め込みではなく、色々な事に興味を持ち、それについて勉強し、本を読んだり、時には辛い時もあるかもしれませんが、それでも書いたり、本を読む、こういう積み重ねが後に「心のゆとり」となり必ず我が身に返ってくるというのです。その時に必要以上に勉強したことがゆとりにつながる、それが本当の意味での「ゆとり教育」であると言われています。何となくこれは分かる気がします。私も塾長のブログのコメントを入れ続けて約9年になります。特に最近の内容は難しくてコメントを書くのにも一苦労です(笑)ですがずっと続けていることで、内容がとても難しくてコメントが全く思いつかなくても、なぜか「心にゆとり」があるのです。
また橋本先生が何度も言われている「横道にそれる」これも「ゆとり」に繋がると思います。ある意味保育という仕事は横道にそれやすい仕事だと思います。よく塾長が「保育という仕事は自分の趣味や特技を十分に発揮できる職業である」と。保育室の装飾を考える時も、何も保育雑誌を見なくても、おしゃれな喫茶店に行けばとても参考になりますし、モダンな居酒屋なんかに行っても参考になります。また旅行先のホテルや温泉旅館でもちょっとしたインテリアや装飾もそのまま保育に活かすことができます。塾長が休みの日に行う「ブラヘイジ」も立派な横道です。一見ただの東京の下町散歩のように見えますが、実は保育のヒントがたくさん隠されていますし、歴史の勉強にもなるので自然と教養がつき、それが力となります。
橋本先生は横道というのは「考えるきっかけ」のことと言われています。日常生活のありとあらゆるところに張り巡らされています。それに気づくかどうかということです。
保育に例えるならば塾長が講演でよく言われる「子どもに共感すること」子どもは本当に色々な事に興味を持ちます。それに対して保育士も一緒になって不思議がり、調べたり、考えたり、それが大切であり、方法は違いますが「スローリーディング」になると思います。(報告者 山下祐)
橋本先生の話から、藤森先生の姿、姿勢へと繋がっていく山下さんのこのブログはとても盛りだくさんで、そしてなんだかわくわくします。山下さんの中にある藤森先生から学んだ学びの数々が橋本先生の話を受けてどんどん溢れでてくるような印象を受けます。それは、山下さんの中に藤森先生の教え、姿がしっかりと受け継がれているからだと思います。また『おそらく頭の中で理性を持って「学びたい」という気持ちと、理性ではなく言ってしまえば本能で「学びたい!」という気持ちとでは雲底の差だと思います』という言葉にはうまく表現できませんが、大切なことが詰まっているように思いました。この感覚をつかむことができれば見えてくるものが全然違うんだろうなと思います。頭で考えすぎないという練習を少しずつやっていきたいなと思います。
『色々な事に興味を持ち、それについて勉強し、本を読んだり、…こういう積み重ねが後に「心のゆとり」となり必ず我が身に返ってくる』『その時に必要以上に勉強したことがゆとりにつながる』『それが本当の意味での「ゆとり教育」』という言葉が印象的でした。ゆとり教育についての考え方から、子どもにとって何が大切かを考えるきっかけになり、「横道」や「知りたい欲求」などを大切にしていく学びになればいいのですね。また、山下氏の経験談に「苦手から得意になってきた」という話がありました。『無理はしなくていい。それぞれの得意分野を活かす。』というスローガンには、得意なことで自信と信頼を得たら、苦手な事も挑戦してみよう、苦手な分野にも実は面白い世界が存在しているのだと思えるようになる気がしました。面白い報告、ありがとうございました!