つい先日、保育園に男の子が遊びに来ました。
その男の子は卒園児で、学童クラブにも在籍していたのですが、少し前にあった学童クラブの閉所式に参加できなかったことで、せいがの職員が会いたがっていたということを友だちから聞いて、わざわざ会いに来てくれたということでした。
この春から中学校に行くというその男の子は、外見は保育園時代の面影を残しつつも、保育園にいた頃の様にワンパクな感じではなく、とても礼儀正しい男の子になっていました。そんな様子に私も思わず気持ちがたかぶり、色々と話をした本当に楽しい時間でした。
以前、臥竜塾で塾長に孔子の言葉を教えていただいたことがあります。
その言葉の中の一つにこんな言葉がありました。
「学びて時にこれを習ふ、また説ばしからずや。 朋遠方より来たるあり、また楽しからずや。 人知らずして慍みず、また君子ならずや。」(意味:いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、それこそ喜びである。朋(同じ教えを研究、学習する人)が遠くからでもいとわずにやって来る、それは実に楽しいことである。 他の人が自分を正しく知って評価してくれなくても、心に不満をいだいたり、まして怒ったりはしない。それでこそ君子である。)
この真ん中の文の「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」という言葉。臥竜塾中では、地方出身の塾生が多く、将来また戻り、近くにいなくなってしまうかもしれないが、志を同じくした者同士とまた再会でき、同じ保育を語るのが楽しみということで話をされます。私自身も地方出身者なので、塾長、塾生がこんな風に考えてくれていると思うとほんとにありがたく、ずっと一緒に保育を志していけるという思いでいっぱいです。
少し感覚が違うのかもしれませんが、今回の出来事、そして学童の閉所式で卒所児にあった時、私は同じような感覚を感じてしまいました。
楽しいこと、つらいこと、大変だったことといったいろんな経験や、一緒にご飯を食べ、遊び、生活をしてきたということ。長い保育の中で、共に多くのことを学ぶ機会もありました。そんな存在の人に再び和えることができて、最近の様子や成長した様子を話し合えること。それは、本当にうれしいことだと思います。
塾長の話では、もっと長く子どもに関わっていると、自分の教え子が今度は保育士になり、保育園に就職にきたり、また教え子の子どもが保育園に入ってきたりと、これから先に楽しみがたくさんあるようです。
機械や物ではなく、人に関わる、特に子どもという存在に関わっている仕事だからこそ、その場限りの仕事ではなく、ずっと先にも楽しみが待っている。それは保育という仕事の魅力の一つですね。 (報告者 西田)
題名を見て、すぐに思い浮かんだのは海援隊の「友、遠方より来たる」という歌でした。私はこの歌が好きで、友人とよく聴いたり、歌ったりするのですが、と、あまり関係のない話になってしまいそうなので、このあたりでやめておきます。「志を同じくした者同士とまた再会…」という繋がりは本当に素晴らしいですね。人と人とが繋がることで、こんなにも嬉しい気持ちになるんだと教えてもらいました。私もそんな志を同じくした存在の一員になれるように、目の前の保育に取り組んでいきたいなと思いました。誰かと比べたり、競争したりするのではなく、人と人とが繋がることで、志に向かって、共有し、助け合い、学び合い、支え合っていける存在に私もなりたいなと思います。
この度の報告を読んで、素晴らしい仕事をしているなぁと改めて感じます。先日、露店でお酒を買ったり、食べ物を買ったりして外で食べるという楽しいことを家族でしてきました。若いお兄ちゃんが売っている餃子を頼んだのですが、それを袋から出す時に、どさどさどさっと出してみたり、焼きあがった餃子を投げて置いてみたり、それを見て、食べ物を扱うことですら食べる人の気持ちを考えてほしいものであるのに、こと保育者はヒトを扱う仕事をしているのだから、本当に色々なことを考えて仕事をしなければならないなと改めて思いました。
毎日の積み重ねが子ども達に伝わって、素敵な思い出となって心に残っていく仕事でもあると思います。「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」の気持ちを味わえるように、毎日自分を磨いていきたいと思いました。