「雑」三

このエントリーをはてなブックマークに追加

皆さんは、モノを選び・買う際に、それが自分の暮らし方に直結しているということを意識しているでしょうか。

そのような視点で「モノ」を捉えたのが、『終わらない自問自答』という展示作品でした。

 

「終わらない自問自答」

「終わらない自問自答」

この作品には、このような説明書きがありました。

『私たちが生活の中で使うモノを「選ぶ」「買う」という行為は、「どういう暮らしをするか」という問いと表裏一体と言えます。モノと同じように理想の暮らしも買えるのか。買い続けることはできるのか。悩みのつきない自問自答とともに、「モノ」と「暮らし」の関係について考えてみませんか。』

私は、正直そこまで考えていませんでしたが、よく考えてみると、そのモノを選ぶ思考、その後の使い方によって日常は構成されていきます。それは、最終的にはその人の「生き方」そのものでもある気がします。

モノを選び、買う度に「自問自答」を繰り返している私たちから、自分に対してどのような問いを投げかけるかという点の重要性も感じることができます。よく、「この人とは話しが楽しい」「話が弾む」などと、コミュニケーションを楽しくとれた時というのは、この「質問力」の影響が大きいのではないでしょうか。物事の優先順位にも関連する質問力です。塾長は、この質問力についてこう言っています。

『幼児教育でも初等教育でも当たり前のように過去からやっていることについて、どうしてこれをするのだろうか、それによって、どんな力を子どもたちにつけようとしているのか、その力は、子どもたちが世の中に出たときに役に立つ力なのか、ということを私は常に考えてしまいます。どうも、これは、「質問力」という力のようで、どうして質問なのかというと、「物事の探求に情熱を燃やし、現状に異議を唱えるような質問を行う」ということのようです。また、取り組んでいる内容は、他のものに優先するものであるのかということも私はよく考えます。現状を変えるために、「そもそも、それは何のためにしているか?」という原点に戻る必要があります。』

「原点に戻る」作業によって、相手の根底にあるものを理解しようとするのですね。また、何を優先するべきか、そして情熱を燃やす方向性が身定まります。そして、物事の背景を捉える力も同時に養うことができますね。

2軒に1軒が空き家に?

2軒に1軒が空き家に?

自分の中に刷り込みのように形作られてしまった部分へ“問題提起”というアクションを起こし、自分が思い描いている理想の暮らしの背景にあるものを可視化してみようというのが、この作品「終わらない自問自答」の試みでもあります。

「お金よりも時間が大切か?」という問いは、その時々と場面によっても答えが変わってくると思いますし、考え抜いてもそこに答えがあるのか分かりません。それなので、「終わらない自問自答」なのでしょうね。つまり、『「答えがない」という答え』が存在すること、そして、そこに楽しみを見出してもいいのではないか、ということを伝えているようにも感じました。

「暮らし」を支えている自問自答をいかに楽しめるか、それこそ自分に対する人生の勝者であるように感じましたし、この日を境に、モノを選ぶ時・買う時には「自分はどのような生き方をしたいか?」という自問自答をするよう心がけていきたいです。

(報告者 小松崎高司)

「雑」三」への1件のフィードバック

  1. 「そもそもそれは何のためにしているのかという原点に戻る」ということは保育でもそうですし、今回の小松崎さんの報告にもある物を買う際、また生活のあらゆる場面で大切になってくることだと感じました。何気ない買い物にしても、家に帰って冷静になってみると「あれ、これ何で買ったんだろう」や「今必要なものだったのかな」ということは経験は多かれ少なかれあるのではないかと思います。本当に必要なものはなんなのかを見極める力というのは、今の塾長のブログにもある先を見通す力や、自制する力にもつながっているのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です