非常に迫力のある展示がありました。
これは、江戸〜明治時代にかけて盛んになった、ホウキやカゴ等の生活必需品として雑貨を売り歩く「松野屋行商」を、現代の日用品で再現した作品です。
現代では、あまり「行商」という言葉に馴染みがありません。私が知っている行商を思い浮かべると、「竿竹」や「焼き芋」くらいでしょうか。昔には、このような雑貨も行商していたのですね。生産者が自ら営業をかけるスタイルから、消費者自身が買いに行くというスタイルへ変貌を遂げたことから、モノへの関心・見方といった歴史の異なりも感じることができます。
これは余談ですが、私も「松野屋」でモノを購入していたことを思い出しました。それは、谷中を歩いている時、ふと目に入った店頭の雰囲気に誘われたのがきっかけでした。雑貨の雑然として、且つ不規則な規則性のもと佇んでいる姿が、森や川などに感じる自然な情景と重なった、そんな雰囲気に手招きされました。
そこでは、ショルダーバックを購入したのですが、タグには、ブランドロゴとともに「Made in Japan」の文字がありました。その文字には、日本が大切にしてきたモノや考えの集合体、そして、使う相手の身になった“おもてなし”の要素も含まれているようにさえ感じます。
暮らしの道具「松野屋」のホームページには、『大量生産品ではなく、美術工芸品でもない、素朴な日用品・荒物雑貨を扱う松野屋。自ら産地へと足を運び、職人と交わり見つけてきた道具たちは、自然の素材を使った使い勝手のよいものばかりです。さらに、「便利」というだけではなく、使うほどに手になじみ、時の流れとともに色を変え、美しく変化していく、長く使うことのできるものばかりを集めています。』
ただ、日本で作られているということだけでなく、日本人の「歴史」や「生き方」が、「Made in Japan」の中にはあるのだなと感じました。
『僕らにとって雑貨とは、わさわさとモノが並んでいる姿を見つけた時の高揚感、その視覚的リズム感やボリューム感です。そして、その中から何かひとつを手にとると、それは具体的な目的を持ったデザイン、道具に変わるのです。』このように書かれてあったのは、CINQ,SAML.WALTZ/店主の保里正人・享子氏の作品『雑貨感』です。この「雑貨感」という要素に誘われて、入店をしていたのですね。
そして、日常というものを考えさせられる展示がありました。それは、青田真也氏の『「 」』という作品です。
説明書きにはこう書かれていました。
『身近な既製品や大量製品の表面や角をヤスリで削り落とし、見慣れた表層を奪いさることで、「モノ」の本質や価値を問い直す作品。例えば、私たちが日常の中であるモノを「プラスティックボトルである」と認識する、その情報の源とはいったい何なのか。シンプルな作業を積み重ねることで、「モノ」としての愛らしさとともに、モノへの新たな価値や可能性を見出します。』
日常のモノに一手間(シンプルな作業)を加えることで、そのモノの価値が変わってくるということを伝えているように感じます。そんなことを感じていると、保育の日常において、その行程に似たものが行われていたのを思い出しました。それは、製作ゾーンで子どもたちが描いた何気ない絵を、同じクラスのベテラン保育士が、額のように背面に画用紙を貼ってその絵の価値や可能性を最大限に高めるという行程をとっていたのです。さっそく私も真似をしてみました。すると、絵というものは描いておしまいといった印象がありましたが、その自分で描いた作品で15分くらい手に持って空中を飛ばしながら自分の世界に入り込み、遊んでいました。
また、別の子どもは、その一手間を加えた作品を壁に飾ることで、母親がお迎えに来た際に「ねえねえ、見て!」と促し、「上手だね〜。こんな絵かけるんだね。」などと親子の会話を非常に楽しんでいました。
子どもが描いた絵を「その子の絵である」と認識するか、それとも、見慣れた表層を奪い去さり、モノの本質や価値を問い直すことで、「その子の発達過程を示す作品である」という見方が生まれました。
そして、雑貨と雑貨を組み合わせて別の雑貨を作り出すこともしていたのだといった作品もありました。これは、引き継がれてきた知恵とかモノを最大限に活用する術であるように思いましたし、「もったいない」の象徴でもあるように感じます。
雑貨は手だけでなく、心にも馴染んでいくものといった印象を抱きました。それは、愛着にも似た安心感でもあるのかなとも感じます。
(報告者 小松崎高司)
生活用品を売り歩く行商のスタイルは絶妙なバランスでとてもセンスのいいものですね。つくづくセンスがいいというのはバランスも大切なんだと思わされます。「雑貨の雑然として、且つ不規則な規則性のもと佇んでいる姿が、森や川などに感じる自然な情景と重なった…」とありました。これにはとても納得させられました。本当にそうですね。それもまたバランスでもあるのかもしれませんね。雑貨からここまで保育につなげていってしまうのはやはり日頃から保育のことを考えている小松崎さんだからこそですね!