あなたにとって私もそうでありたい

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今回も給食時における子ども集団について、興味深い出来事があったので報告します。

悲しい表情の女の子(3歳児クラス、白い服なので以下白ちゃん)にティッシュを持ってきてあげたドット柄の女の子(3歳児クラス、以下ドットちゃん)と赤い洋服の女の子(3歳児クラス、以下レッドちゃん)です。

悲しい表情の女の子(3歳児クラス、白い服なので以下白ちゃん)にティッシュを持ってきてあげたドット柄の女の子(3歳児クラス、以下ドットちゃん)と赤い洋服の女の子(3歳児クラス、以下レッドちゃん)です。

 

ドットちゃん「レッドちゃんがそこに座ってあげたら?そうしたらきっと泣き止むよ。」

ドットちゃん「レッドちゃんがそこに座ってあげたら?そうしたらきっと泣き止むよ。」

どうやら座りたかったテーブルに座れなかった様子の白ちゃん。中々泣き止まない白ちゃんにお友だちが色々な気遣いを見せます。

紫いろの服の女の子 (3歳児クラス)も涙を拭きに。

紫いろの服の女の子 (3歳児クラス)も涙を拭きに。

レッドちゃんは一旦自分の席に戻って、

自分の給食をもって白ちゃんの元へ。

自分の給食をもって白ちゃんの元へ。

写真後方のドットちゃんたちもテーブルを立ちます。

白ちゃんのテーブルに集まります。

白ちゃんのテーブルに集まります。

 

ドットちゃん「白ちゃん、これでいいでしょ?」頷く白ちゃん。

ドットちゃん「白ちゃん、これでいいでしょ?」頷く白ちゃん。

一件落着ですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月27日『協力的な営み』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈人間のコミュニケーションの動機はあまりにも根本的に協力的なため、私たちが相手を助けるために物事を教えるだけではなく、相手に物事を要求する主要な手段として、自分の要望を知らせておいて、相手が手助けを自発的に申し出るのを期待する、という方法をとるというのです。具体的な例としてトマセロはこんな例を挙げています。「私はいっぱいの水が欲しいと述べる(自分の要望を相手に伝える)だけで、水を要求することができます。それは、たいていの場合あなたが人を助けたいという傾向を持っており、この知らせるという行為が事実上完全な要求に変わることを私は知っているからだ。」

 このような例は面白いですね。確かに、「水を持ってきて!」と言わないで、「水が欲しい!」と言えば、持ってきてくれます。要望が要求に変わります。それは、要望を聞くことで、相手は自発的に持ってきてくれるだろうと思うからです。このように人間のコミュニケーションは根本的に協力的な営みであり、相互に想定された共通概念基礎と、相互に想定される協力的コミュニケーション動機のコンテクストで、最も自然にそして円滑に機能します。

 このような、人間のコミュニケーションが本質的に協力的な性格を持つということは、「グライスの協調の公理(原理)」というものを定義したグライスの基本的な知見なのです。〉

白ちゃんの悲しげな表情、涙。それは「私も座りたかった。」「みんなと一緒のテーブルがよかった。」という声なき要望、声なき要求に他ならず、子どもたちはその声なき声に耳を傾け、それに応えました。〈本質的に協力的な性格を持つ〉そのコミニュケーション能力を互いが存分に発揮した結果、この物語は一件落着な結末へと至ったと考えられなくはないでしょうか。

配膳における子どもたち、子ども集団を見ているとこのような出来事との出会いがあり、本当にすごいと思います。

次回も配膳の際の出来事について報告します。

(報告者 加藤恭平)

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