文字遊びで起きた出来事です。
6月のある日、5歳の男児が写真をはめ込み、黙々と文字マグネットをホワイトボードに当てはめていました。目の写真を入れて「め」。犬の写真を入れて「い・ぬ」。わかめの写真を入れて「わ・か・め」と、文字マグネットを入れていき、最後に掃除機の写真を入れて「そ・う・じ・き」の文字を当てはめようとした時、男児より前に遊んでいた子どもが残した「え・つ・こ・ん」という文字がまだ残っていました。まず、前に遊んでいた子どもが、どんな写真を「えつこん」と表現したのかが気になるところですが、それは置いときまして、その男児はその文字をじっと見つめまして、「え・つ・こ・ん…(うふっ)」と言ってにやけながら、文字をそのままにしてその場を立ち去ったのです。
私は、常日頃から「遊び心」を大切にしたいと思っていますが、子どもの遊び心にはいつも驚かされます。男児は、どう考えてもかなりの確立で、その場にあえて「え・つ・こ・ん」という文字を残しています。そして、それを残すということは、その面白さを誰かに共感してほしいとか、誰かがそれを見て「おかしいー」と言われるのを待っているとしか思えません。
そんな出来事に、笑いながら感動のような衝撃を受けている私の後ろで、もう一人の女性職員が「え・つ・こ・ん」という文字を指差しながら大笑いをしていました。男児の思惑にのった(共感した)人が、ここにもいました。
こんな子どもの描いた世界に気づかずに、何もないかのように通り過ぎてしまっていることが他にもたくさんありそうな気がします。「そんな姿に気づけて何になるの?」と聞かれれば、発達と絡めながら説明する力量はないかもしれませんが、子どもと少しでもつながった気がするのです。そのつながりが、自分の存在を意味あるものにしてくれる気がするのです。
日常にとけ込むような、目には見えない心の中で作り出される、小さいけれど大きいこんな物語が、私は大好きです。
(投稿者 小松崎高司)
タイトルの「えつこん」に、どんな内容なんだろうと思いましたが、このような話だったのですね。子どもの世界に気がつく、その世界を共有することができたと思えることは子どものことをよく見ていないとできないように思います。また、子どものことを理解しようと思う姿勢がないと、気がつけないようにも思えます。そんな子どもの世界を感じることができるとなんとも言えない幸せな気持ちになりますね。それは私たちの過ごす日常から少し離れた世界のように感じるから、そんな気持ちになるのですかね。
えつこんは最高ですね。掃除機の名前なのか、はたまた新しい結婚のスタイルなのか。えつこさんの愛称なのか、悦に入ったキツネのことなのか。色々な含みを感じて、思わず笑ってしまいます。
日常から笑いを、子ども達は絶えず提供してくれているようです。アンテナの感度を上げて、見逃さないようにしていきたいですね。