1歳児の子どもたちの姿を見ていると、よくもまぁ言葉も交わさないで自分たちの意志を伝え合っているなぁ・察し合っているなぁと思うことが多々あります。指さしや相手の視線、表情や身振り等、ありとあらゆる情報源を頼りに、相手を理解しようと詮索しているのです。その様子が時に面白くもあり、ぎこちなく感じる時もあるのですが、子どもたち自身による(非言語)コミュニケーションは、その部分を大切にしなくてはいけないと省みる日々です。大人が他者を理解していくのに時間がかかるように、打ち解けるのに時間がかからない子どもであっても、相手を知ろうと様々な手法でゆっくりと理解していくようですね。
先日は、自分の足が痛いと訴える女児(19ヶ月)と、それを見てあれやこれやと詮索していく男児(27ヶ月)とのやり取りがありましたので、報告させて頂きます。
まず、女児が座りこんで自分の足を指さして、か細い声で「ぅぇ〜ん」と言っているところから始まります。その声や姿に気づいたのか、そこへ男児がやってきて様子をうかがっています。
男児はしばらく女児を観察してから、「ここ(が痛いの)?」といったように指をさしながら相手に聞いていくのです。
女児は、そこだけじゃないよ、ここもだよといった感じに別の場所を指さして訴えます。男児はまた、「ここ(が気になるの)?」といったように、相手の足を指さして聞きます。そこで、相手は虫さされ痕やぶつけた痕を指さしていると理解したのか、男児は自分の足を見て、そのような痕がある部分を指さし、僕にもあるよといった感じに訴えたのです。
女児は、その部分をまじまじ見ています。それでも悲しい気持ちが消えないと察した男児は、半ズボンの裾を引っ張ってその痕を見えないようにして大きく笑ったのです。私には、まるで、見えなければ大丈夫だよ、こんなの平気さと言っているかのようです。
それだけではなく、その服の上から足を「パンパーンッ」と両手で大きく叩いてまた大きく笑いかけたのです。
これで、やっと女児も男児の頑張りに答えてくれるだろうと見ていると、そんなごまかし私には通用しないのよといった感じに、女児は近くにあった紙をポイッと投げたのです。きっと、私同様、男児も「…!?」といった感じであったでしょうね(笑)。その様子を見て、さて男児はどうするかと注目していると、驚く行動をとったのです。皆さんは、想像つくでしょうか。
男児はというと、再び「ここ(が痛いの)?」と相手の足を指さして心配そうにおうかがいをたてたのです。(大人でもこのような男女による関わりがあるような…とふと思いましたが、この自問は詮索しないようにしました。)
また、これこそ対人知性であるなぁと思いました(笑)。相手をなぐさめようとして取った行動が、相手にはまらなかったことを瞬時に察して、すぐに行動を変えられるのは、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程でもあり、他者との多くの関わりがなくてはできないことであると感じました。
その後はというと、男児はおうかがいをたててみたものの女児はそれでも悲しげな表情を浮かべていました。男児は諦めて他の遊びへと移ってしまいましたが、多くの共感をもらった女児に、その後やわらかな表情が戻ったのは言うまでもありません。
(報告者 小松崎高司)
半ズボンの裾を引っ張って、見えなくする!その上から足を両手で叩いて、笑いかける!なんと素晴らしい光景なのでしょうか。思わず私はその男の子に共感してしまいました。少し違うかもしれませんが、私の責任で機嫌をそこねてしまった奥さんに対してなんとか機嫌を直してもらおうと戯けてみせる私を見ているようでもありました。なんなら「道化師のソネット」の歌詞も頭に浮かんできてしまいました。あの手この手を駆使して、相手の子の反応も見ながら「あれ、これじゃないな」「じゃあこれはどうかな?」と対応する姿はまさに対人知性ですね。その子がそれでは納得していなと分かる訳ですもんね。いいやーこのように子どもたちの姿を観察することができると子どもの世界をもっとおもしろく見ることができそうです!