学童にはくつろぎゾーンがあります。
しかし、現在ではくつろぐことの方が少なく、戦いごっこなど子どもたちが大騒ぎしながら遊んでいることもしばしば…
最初はその場に立ち会うと、
「くつろぎゾーンは何のためにあるの?」
と子どもたちに投げかけて子どもたちに考えてもらう機会を作っていました。
しかし、一向に騒ぎは減りません。
一時期悩みましたが、これも子どもたちにとって良い学びとなるきっかけになるのではと見守ることに決めました。
見守っているうちに1つ気付いたことがあります。
くつろぎゾーンは学童部屋の奥の一角にあるのですが、私たち保育者の目を盗むにはトイレ以外にはくつろぎゾーンしかないのです。
前回の生臥竜塾で塾長がおっしゃっていたことがあります。
9月18日に投稿された「自分で選択することの大切さ」に、遊びにおけるゾーンとコーナーの違いが書かれているのですが、
ゾーンとは、そこでの遊びがワクワクし、没頭できる場所、
コーナーとは、そのものを行うために区切られた場所です。
これらを照らし合わせるとくつろぎゾーンがくつろぐためだけの場所であれば、「くつろぎコーナー」なのです。
ここからくつろぎゾーンはくつろぐためだけの場所ではないという意図が伺えます。
現に学童では、月案会議等を行う場所としても使っています。
そして一見、保育者の目を盗むと言うと悪いことのように思ってしまいがちですが、これはとても大切なことのようにも思えます。
良い言い方を変えれば、保育者の目を盗んで生まれた遊びこそが、子どもたちの自発的な遊びなのです。
私たち保育者は子どもたちの自発的な遊びが生まれる貴重な場所を摘んでしまうのではなく、月案でその遊びをより発展させたりとその遊びを拡げてあげる方に徹しなければならないと思えました。
ここまでの内容ではくつろぎゾーンは基本的に騒がしいと思われてしまいがちですが、子どもたち間ではしっかりと伝承されているくつろぎゾーンの決まり事(暗黙の了解)があります。
それは、「くつろぎたい子がいる場合、騒がしくなってしまう遊びはくつろぎゾーンではしない」ということです。
この決まり事がなかったり、守られていなければ私たち保育者は見守ることができなかったかもしれません。
子どもたちが自分たちで決めた決まり事を守り、その上で行われる保育者の目を盗むという行為を活かしながら、子どもたちの自発的な遊びや考えを拡げていこうと思います。(投稿者 若林)
子どもの頃、大人の目を盗むというのはどきどきしましたが、とても楽しい時間でもありました。というより、普段の友達同士での遊びの中で大人はほとんどいなかったので、ある意味ではその時間全てが大人の目を盗んだものだったのかもしれません。そして、その時間は間違いなく自発的な活動の時間でした。
子どものたちを見守るための工夫の大切さを改めて感じさせていただきました。騒いでいる子どもたちに怒鳴って、怒りや恐怖で大人しくさせてしまうのは簡単です。そうではなく、その子ども達の姿から子ども達の心情や何か足りない部分があるのかと考え、子ども達自らが気がつくような工夫をしたり、時にはその気持ちを受けとめたりすることの方がとっても大切ですね。そんなことを考えずに、ただ怒ることで終わるそんな関わり方になってしまってはいけませんね。
子どもが大人から隠れられるような場所というのは、子ども達にとっても大人にとっても、とても大切なもののように思います。日本の場合、子どもの隠れられる場所をつくることに躊躇する人がいるのは、中でどんなことが行われているか知りたいからというよりも、例えば噛み付きや怪我といったことへの心配が大きいからではないかと考えます。もちろんそのような可能性があまりにも大きい中では見守ることも難しい為、子どもだけの空間をというのはその場合には無理があるのかもしれません。ですが、保育者の目を盗んで生まれたあそびが、子どもたちの自発的なあそびであるとすれば、やはり用意をしてあげたい。子どもの発達や子ども達の雰囲気に応じて少しずつ環境を用意していけると、ベストなのかもしれません。
学童の子ども達が守る“決まりごと”というルールが根底にあることで大人も子どもを信頼することができます。子どもを信じることは見守ることの大前提となるものです。毎日の関わりの中で、子どもを信じ、子どもから信じられる大人へとお互いが成長していくことが、子どもの隠れ家を見守ることのできる土台へとなっていくのではないか、と思います。子どもが大人から隠れられるような場所が大人にとっても大切なもののように思うのは、それまで育んできた信頼関係の成果がそこに見て取れるものであるようにも思えたからでした。