「指針は10年毎に変わるのに、保育はなぜ変わらないのか。」
藤森先生は問いかけるように、続けられました。
来る平成30年の改定で、保育所保育指針は〝教育〟が重視されるようになります。子どもたちが知識、技能を習得する為の〝基礎〟を保育者が取り組むようになっていきます。
しかし、そもそもなぜ保育所保育指針の改定をするのでしょうか。それは過去の保育を踏襲し続ける現在の保育に更なる改善を加えるべく、また、現状の保育に甘んじることなく、より時代に合わせた保育を国全体として高い水準で一律化できるようにすることが、改定の目的の大きな部分を占めるように思います。現在で言えば、例えば一人っ子家庭に見る兄弟姉妹の体験が家庭で行われなくなっている、という問題があります。
「それならば〝子どもには異年齢の体験が必要である〟ということをしっかり書いてほしい。」と藤森先生は仰います。指針に書かれている内容が解釈する側の裁量に任せようとする部分が強く、その辺りの部分が独自性という言葉や、応用という言葉に有耶無耶になっているような感を抱いてしまっても無理はないように思えてきます。そして、それは他の部分にも垣間見える部分がないとは言い切れないようで、例えば〝知ること〟や〝やること〟を挙げることよりも、〝知ろうとすること〟〝やろうとすること〟という学習態度、学習意欲へのアプローチが大切であるということを明記してほしい、と藤森先生は仰います。
なぜなら、〝知ること〟〝やること〟を重視した従来の書き方のままでは、子どもに教えよう、教え込もうとする園が増えるだろう、という懸念が拭いきれないからです。また、〝異年齢の体験は必要である〟という明記がなければ、年齢別で保育をする園が何かの行事の時に縦割りでの環境を整える、その回数を増やすことだけでいいという、結局は現状のスタイルを維持するのみに終始してしまうのではないか、という懸念も湧いてきます。このままで不味いのは、子ども集団の大切さや、例えば〝マシュマロ課題〟などの現代の最先端の研究結果からくる〝EQ〟の大切さや〝自制心〟を育むことの大切さよりも、結局のところ現状の保育を変えずに知識、技能の習得を先行させようとする保育を助長させる結果へと導きかねません。
さて、そのEQや自制心の大切さというものに、藤森先生は言及されます。次の内容に触れることで、「〝知ること〟や〝やること〟を挙げることよりも、〝知ろうとすること〟〝やろうとすること〟という学習態度、学習意欲へのアプローチが大切である」ということを明記してほしいという意図がおわかりいただけると思います。
(報告者 加藤恭平)