ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟完結編

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「公園は濡れていると思うので、道を歩いて探索に行こうと思うんです。」

雨上がりの午前中の活動を自分で判断をして決めた一年目の職員の姿を追うことで、新しいリーダー像が浮かび上がってくるのではないかと思い、この度の報告を書いています。その完結編です。

さて、とことこ歩いていると、いつもの公園の近くに出ました。

探索と言ってはいたものの、目的地もなくこのまま楽しんでいけるのだろうか。

老婆心ながらそんな懸念を抱いた矢先、

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と、笑いながら言っていました(笑)

僕は、これも対人知性の一つと捉えます。もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に改めて〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

新宿せいが保育園は、活動やその日の流れを組むクラスの〝リーダー〟という役割が順番に毎週回ります。年度の始め、4月頃に、1番から◯番(クラスの人数によって数字がかわります)を決め、調整をしながら順番を定めていきます。年度の途中で変わることもありますし、また、時に自分の番号を超えて動くこともあります。その日のシフトによってもかわることがあるので、絶対厳守というような怖いもの(?笑)ではなく一日の流れをスムーズに促す為の、いわば〝基準〟のような、とても臨機応変なものです。

リーダーとは、誰のリーダーなのかというと、もちろん職員間、その週のクラス間のリーダーなのですが、あそびを提案していく、時にあそびを引っ張っていくという意味では、子ども達のリーダーでもあると思います。

そのリーダーが対人知性に優れること。空気を読む力を身につけることは、子ども達に対人知性を促す意味で、とても重要なことのように感じられるのです。

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と照れ臭そうに言ってはいましたが(笑)そういった判断ができるようになる、ということはとても重要なことだと感じます。

いつもの公園を目指しています。

いつもの公園を目指しています。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えてのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えたのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

「だったら川のところがいいー!」

 

という子ども達の声を受けて、結局〝いつもの公園〟から歩いて数分の川の流れのある公園にたどり着きました。

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

 

子どもの意見を尊重し、臨機応変に対応していく。チームの雰囲気、意図を察し、最善の提案をしていく。それを一年目の職員が行っています。経験年数でなく、頭でっかちな理論でもない。荒れ狂う嵐の中を突っ切っていくような勇猛さだけのものでもない。新しいリーダーの形が見えてくるような思いがします。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2015年1月12日『触媒』の中に、こう書かれています。

Science Experiences for the Childhood Years」には、こう書かれてあります。「触媒としての教師は、子どもたちに自分で考え、問題解決をするものだということを気づかせ、知的な力を活性化させます。」しかし、多くの教師は、「究極の知識源と見なされ、そのために、自分の知識と子どもの知識との隔たりを必要以上に大きく見てしまいます。そして、子どもが知的な能力を持っていることを見えにくくしてしまうのです。」としています。これは、アメリカにおける教師の実態として書かれてありますが、どの国においても同じような問題があるのですね。

 もし、触媒としての役割とする教師は、自分自身も普段から発見の喜びにあふれています。そのため、前向きで応援するような雰囲気を作り出すと言われています。このような教師像は、保育者としての自分の役割を見直すために参考になります。それは、幼児においてほど、一見、自分の知識と子どもの知識との隔たりは明らかなものと見えるからです。子どもは、何も知らない存在として長い間捉えられてきたからです。しかし、子どもは、知識の量ではなく、知的能力は優れており、それが、自分で考える力になるのです。それを、保育者は増幅してあげる必要があるのです。

あれやこれやと指図するでなく、むしろ集団が何を望んでいるかを察知し、子どもの声を汲み、職員間の思いを汲み取りながら、より良い一日を作り上げていこうとするリーダーとしてのその姿勢は、触媒というリーダー像そのもののように思えてきます。それをこの短期間で身につけるに至った彼女の手腕もそうですが、やはりこれだけの素質を伸び伸びと開花させるに至らしめた新宿せいが保育園という環境に、改めて驚きと、尊敬の気持ちが湧いてきます。

また、この日、我らが誇るベテランの先生がいない中での保育だったことも、とても大きな意味があったように感じます。以前藤森先生から〝守破離(しゅはり)〟について話をいただきましたが、それに近いものをこの日の保育の中から感じました。

Wikipediaには守破離(しゅはり)について、こう説明されています。

〝まずは師匠に言われたこと、を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身とについてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。〟

本当にまだまだまだまだ未熟な僕たちですが、先輩方が築き上げて下さった礎たる土台を基に、幾分か〝自分〟というものを表現しつつある段階にきているのかもしれません。後輩の成長を嬉しく思うと同時に、自分もまたこうして見守っていていただいていることを感じ、藤森先生、中山先生、そして諸先輩方に改めて感謝の気持ちが湧いてくる、そんな一日となりました。

(報告者 加藤恭平)

 

この公園でも面白い子ども達の姿を見ることができました。次回の報告で、お伝えしようと思います。

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟完結編」への1件のフィードバック

  1. 自分がこうがいいかなと思って判断したことでも、子どもの姿を感じ、周囲の状況と判断することで、やっぱりこうがよかったかな?こうしてみようかな?と思うことがあります。最初に決めたことと違うことになるのですが、それをやっぱりこうしてみようと思います。と言えて、変えることのできる雰囲気というのはなんだかとても大切なように思います。それがあるからこそこの1年目の先生の姿があるのかなと思いました。私なんかも日々迷いまくっているのですが、そんな迷い、やっぱりこうした方がいいかなと思えることを声に出し、変えることができる雰囲気があることが素晴らしいなと思いました。

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