生臥竜塾ブログ『今日の臥竜塾』2015年10月16日 『0からの協力を基盤にする』の中で、藤森先生の言葉を塾生西田先生がこのように報告されていました。
〝塾長(藤森先生)が最近子どもの様子で感動したことの話では、
見学者は午前中に見に来ることが多いが、塾長が3時から5時の間のいわゆる何も設定していない時間に感動することが多い。
それは子どもたちが誰も走り回らず、遊びに集中しているということ。
モンテの体験談で、普段はその日の終わりに棚に教具をしまってカギをかけるが、ある時そのカギをかけ忘れてしまったということがあったそうです。すると、その次の朝、子どもたちが棚から自分たちで取り出して遊んでいる姿を見て感動したという話があるそうです。
午前中のカリキュラムは、いわばその鍵を閉めている保育で、3時から5時は、その鍵を閉め忘れた時間帯。そこでの姿がどう出るかが午前中の保育が関係している。
午後の目的のない時間帯こそが子どもたちの本当の姿となる。
そこを目指してどんな切り口から攻めるかという所が、モンテや、レッジョなど様々な保育の形となっている。〟
その日から夕方の保育が今まで以上に楽しみになりました。面白かったのは、藤森先生の教え、言うなれば、〝新しい保育観〟が頭に入ると、なるほど確かにと納得してしまう場面に必ず出くわすのです。
今回の報告は、その夕方の時間帯、3時から5時の時間帯にあったエピソードです。
写真手前の男の子(ボーダーを着ているので、以下Bくん)がグレーの服の子と、黒い服の子の間に入りたいようです。2人が展開している棚の上のおままごとが楽しそうで、ここに至るまでに一度トライしたのですが、「ここは狭いよ」という理由で、入れてもらえなかったというのが、この写真に至る経緯です。
Bくんは「入れて」など、お友だちに声をかけて遊びに入れてもらうというよりも、グイッと半ば力で(笑)遊びの中に入っていくタイプのようです。月齢が低いこと、4月からの新入園児であること、など関係があるようなないようなことも前情報として頭の中にありつつ、彼の遊びを見守っていました。
そこで提案。〝間は無理でも、隣ならどうだろう〟ということで、椅子を置いてみました。
元々遊んでいた2人も寛大で、数分程、並んで楽しそうに関わって遊んでいました。
Bくんの関わり方が面白かったもので、追跡することに。
先程の遊びで使ったかごを持って、今度はおままごとゾーンの中へ。その中では、既に女の子2人がおままごとの真っ最中です。
「Bくん。それ私のだよ!」と言いながらも、ここでも、女の子は寛大で、「じゃ、ここに入れて」と優しくチェーンリングを戻すよう促しつつ、遊びの中へ入れてあげようとするような関わりをするのでした。
ここまで見ていると、Bくんはちょっと強引で、対応する子ども達が寛大、というような縮図があるようにも思えてきます。Bくんの関わり方やその性格を理解しているような子ども達の寛大とも言える態度は、まさに対人知性であると言えると思います。それとは反対に、Bくん自身、どんな遊びがしたい、友だちと関わりたい、というよりも、人の持っているものが欲しい、人のやっていることがしたい、といったシンプルな思考から、それが結果としてちょっと強引ともとれる行動になってしまうのかなぁと、そんな風にも思っていました。
そう感じていたことが、次の場面で、にわかに展開します。
それを覗きにきたBくんです。僕はてっきり、黒と白のボーダーの子と、黒に緑の長袖の子の間にちょっと強引に割って入るものと思っていました。そしてケンカになるものと(笑)思っていました。
次の瞬間です。
僕はこの時、頭の中で何かがつながったような感動を覚えました。
最初の関わりで、椅子を提案しました。そこには、〝まだ関わり方が未熟な子〟と判断した僕の思いが多分に入っていました。しかし、Bくんは、スペースがあれば、つまり、自分の居場所、自分の楽しみがスムーズに行える環境があれば、争うことなく、また、見方によっては強引な行動と思われるような行動をとることもなく、その場所で存分に楽しめるのです。
友だちと友だちの間の狭い場所に入ろうとしたり、目に入ったチェーンリングをすかさずとろうとしたのも、遊びの中に入れて欲しい、という、自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢の一つだったのかもしれません。
そのスペース、その環境を子ども達一人一人の特性に応じてつくってあげることが、保育者の大きな仕事の一つである、ということを改めて感じました。
11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年10月30日『用途別』の中に、「空間は第3の保育者」という言葉が登場します。今回の報告とは違った意味でですが、研修先のドイツの保育者の方が仰っていた言葉であるということです。
その言葉通り、保育者はどう環境になれるのか、と思います。
やたらと子ども達のやりとりの中に、喧嘩の仲裁に入っていないだろうか。一方的な目で子どもを捉えていないだろうか。狭い尺度で物事を決めてつけていないだろうか。
「本当に大きい恩恵は気がつかないもの。」藤森先生は、例えとして雑巾絞りを挙げられていました。雑巾を絞った時に、これを誰かに教わったな、と感じるとする。
「その誰かになりたい」と仰っていました。
〝本当に大きい恩恵。〟まるでそう、太陽のようです。
環境という名の陽を子ども達に与えられるように、子ども達が自分の居心地の良い空間、陽だまりのような空間を日々味わえるように、今日も子ども達のことを見守っていこうと思いました。
(報告者 加藤恭平)
「友だちと友だちの間の狭い場所に入ろうとしたり、目に入ったチェーンリングをすかさずとろうとしたのも、遊びの中に入れて欲しい、という、自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢の一つだったのかもしれません」という言葉が印象に残りました。子ども一人一人に、その「自分のスペースを意欲的に探す」姿勢は存在し、それを把握し、それに必要な“時間(間)”や“言葉(きっかけ)”を理解していくことが重要で、それが「見守る」ことで見え始めてくるように感じました。子どもが、「自分の居場所、自分の楽しみがスムーズに行える環境」で日々の遊びや生活を送るために、私たちがいるのですね。心に残るエピソードでした。
素晴らしい実践報告に感動しました。このように日々の保育の中で丁寧に子どもを理解しようとされる加藤さんのような保育者の姿があるからこそ、質の高い保育が園全体で展開されていくのだなと感じました。加藤さんがイスをBくんに差し出してみるという姿勢も、あれはどうだろう?これはどうだろう?とまずやってみることでその後の展開をうむきっかけや子ども理解につながっていきました。このようにいろいろとやってみるという姿勢は私も見習いたいなと思いました。