先日、1歳児2人が隣同士で座りながらままごと遊びをしていました。お互い、隣にいることは知っているという感じでしたが、干渉せずに遊んでいました。すると、その1人であるA(24ヶ月児)に対して、B(19ヶ月児)が、持っていたお椀を「どうぞ」といった感じに渡そうとしました。Aは「いらないよ」といった感じに、手で払いのけました。
しかし、そのきっかけによって、Aは相手の遊びに興味を持ち始めたように、Bがコップを手に持って飲む真似をしている姿を見ると、Aもそれを真似していました。また、Bが飲む真似をした後、コップの中に入れていたチェーンリングを咥えてみると、Aもそれを真似してチューンリングを咥えてみせます。すると、互いに顔を見て、笑い合っています。
その時、この子どもたちは、その瞬間からではなく、しばらく前から、互いの遊びに関心を持ち、コップの中にチェーンリングを入れていたことに気がつきました。その後、そのような行程を繰り返し、非言語コミュニケーションのもと、互いの動きを見合って自分の行動を変えていました。
初め、手を払いのけられたBは、それ以上はせずに、ただ隣にいて自分の見立て遊びを展開していました。その時、なぜ相手は手を払いのけたのだろうか、あの子は何がしたいのだろうかと思っていたのかもしれません。しかし、Aが自分の遊びに興味を持ち始めたと感じると、その遊びを一緒に共有しようと寄り添います。この遊びがしたかったのかな、これは楽しそうにしているななどと思っていたかもしれません。そこから、他者に対する『協調性』が感じられました。まさに、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程のようにも感じました。
その後、面白い出来事が起こります。
AとBが2人で笑い合っていると、近くで0歳児の泣き声が聞こえてきました。すると、笑っていたAの表情は一変し、その泣き声がする先を見つめるのです。その様子を察したBも笑うのをやめて、Aが見つめた先を見ていました。
他者との協調を可能にするためには、まず相手の存在に気づき、相手が見ているものを一緒に共有したり、共視することが大切だと感じました。他者の行動の意味を察し、結果的に1歳児の2人が、泣いている0歳児に反応したように、近くに“他者に気がつく素材”(この場合は0歳児の泣き声)があること、また、当たり前ですが、自分と同じ部分に他者が反応を示しているという行為が「共感」を生むのだと、今回の事例で再確認出来ました。
裏話をすると、このエピソードは私が見たものではありません。0歳児クラスのある先生が「面白い動画撮れたから、(データ)送るね〜。」と、子どもの姿を共有してくれたおかげで、この報告が書けています。最近の塾長のブログ「レッジョと見守る保育」の中には、『子どもの好奇心や探究心とつきあうためには、まず保育者が好奇心探求心を持たないといけないのです。優れた学習者としてのモデルを示さないと行けないのです。次々に子どもに課題を与えることではなく、多くの情報を与えるのではなく、「子どもが探究している間、保育者は注意深く観察し、近くで耳を傾ける」ことがまず大切になります。』と書かれていました。この先生の行為は、まさに子どもの行為に遠くから寄り添った姿であり、私がそのようなエピソードを欲している事を知っているために、共有・協調しようとしてくれた姿でもあり、そして、「学習者としてのモデル」であるようにも感じました。
子どもの「対人知性」のモデルは、身近にいる大人同士の「対人知性」であると思います。そのような関係を自然に構築し、察してくれる環境に強く感謝しました。
(報告者 小松崎高司)
子どもたちの共有している姿もですが、職員さん同士で自然と共有しようとしておられる姿を感じグッときました。「面白い動画撮れたから、(データ)送るね〜。」という言葉は素晴らしいですね!様々なことを共有しておられるからこそ生まれる言葉、関わりではないでしょうか。このような大人の姿をきっと子どもたちは感じているはずです!