生きていると様々な約束事や決まり事がありませんか?
その約束事がもともと決まっていることか、自分たちが絡んで決めた約束事かで大きく変わってくるのではと思っています。
そこで学童では、学童の子どもたちが一円対話を用いて、自分たちで約束事を決め、お部屋に大きく掲示しました。
それがこれです。
今のところ、ここに書いてあることが今年の学童の子どもたちが自分たちで決めた約束事です。
この約束事があるかないかでは大きく変化したことがあります。
それはこの約束事を守れていない子に対して、
「みんなで決めた事だからちゃんと守ろうよ!」
と子どもたち間で解決できるようになりました。
子どもたちが子どもたちの中で学びを深めていくことにとってこれはとても大切なことであると同時に自分たちが主体であることを認識していく上でもとても大切なことではないかと思っています。
自分たちが主体であると認識することはある意味、自由であるということです。
しかし、自由には責任が伴います。
塾長が書かれている2014年9月11日「生きる意欲」というタイトルのブログに老人ホームの人々を対象に行った研究が紹介されています。
その研究内容は「日常生活にどれほどの責任を持たせるかによって、老人たちにはどのような変化が起き得るか」です。
この研究結果から選択権とコントロール権を与えられたグループの人はそれができないグループの人に比べて活動的で幸せに暮らせ、研究期間の1年半の間に亡くなった方も少なかったそうです。
これを塾長のブログを読んで知り、自由に伴う責任の大切さを強く感じました。
もともと決まっている約束事と自分たちで決めた約束事かで最も違う点は責任を持つか、持たないかではないでしょうか。
もちろん社会で生きていく上でもともと決まっている約束事(社会のルール)も大事で、自分たちが決めた約束事よりも多く、重要度も高いかもしれません。
しかし、自分たちで決めた約束事が社会のルールを守る上での基になるのではと思っています。
今年度ももう半年が経ちますが、半年間で決めたこのUPした写真の約束事に限らず、これからも子どもたちが主体となり、子どもたちが自分たちの学童を作り上げるためにこれ以外に約束事を設ける機会があれば、その機会を活かして、子どもたちが子どもたちの中で貴重な学びを深めていけるような環境を作る手助けをしていこうと思います。(投稿者 若林)
「子どもたちが子どもたちの中で貴重な学びを深めていけるような環境を作る手助けをしていこうと思います」という最後の言葉に背筋が伸びる思いがしました。園にいる子どもたちが過ごす多くの時間に関わっているのは私たち保育士ですね。子ども達の大切な時期に自分が関わっている、そのことをよく考えるととても大きな責任を感じ、身が引き締まる思いをする時があります。最後の言葉を読んだ時にも同じような思いがよぎりました。
大人が約束を決めてしまうのは簡単なことですね。それも時には必要ですが、子ども達自らが話し合ってルールを決めるという経験も自分たちが主体となって生きていくということや、意欲を持って過ごしていくということに繋がるとても大切な体験ですね。主体的な態度は困難に遭遇した時の対応にも表れてきそうですね。そんな姿を子ども達から引き出す手助けが少しでもできるように私も頑張っていこうと思います。
若林先生の言う通り、自分たちが主体であると認識することは自由であることを意味し、自由に伴う責任を認識することは本当に大切なことであると思います。その経験は大人になってからの生き方に大きく影響すると、最近自分の身の回りに起きた出来事からもとても感じたことがありました。
人のせいにしてしまう人や、第三者から見てその人に責任があると思う場面で自分は悪くないと主張する人はその典型だと思います。自分で決めて自分でその道を歩いている実感、自分が主体となって生きている実感がないのだと思いました。
学童期の時代にこのような経験ができることは子ども達にとって宝物のような経験であると思います。これからの子ども達の成長が本当に楽しみですね。