アートと芸術①
この絵本は、絵を描くことが苦手の男の子と、そんな男の子の“そのまま”に価値を見いだそうと寄り添う先生の物語です。ちょっとした大人の見方やアシストが、子どもの将来を左右していき、子どもの未知の才能を引き出していくといった過程を見ることができます。幼い頃から言語や造形で表現することが好きで、「アート」の世界感に憧れがあったこともあってか、その絵本に深い共感を覚えたのだと思います。
そして先日、そのようなアートの世界を知りたいと思い『ARTが生み出す子どものチカラ レッジョ・アプローチ、日本の独自なアプローチ』というシンポジウムを聞きに、上野の東京都美術館に行ってきました。今回の内容は、主に日本で「造形作家」という方を呼んで活動に取り入れている園の実践報告と、香川県高松市での取り組み「芸術士がいる保育所」の話を聞きました。私自身、「造形作家」や「芸術士」などの言葉を耳にしたのは初めてだったので、新鮮な気持ちで話を聞くことができました。
まず、協賛・協力:タマダプロジェクトコーポレーション代表である玉田俊雄氏からの挨拶がありました。そこで、興味深い話を聞きました。アートは、「未来力」であり、「福祉(ハピネス)」であり、「外交力」であるという、独自に考え出したアートの定義についてです。未来を創造する力を育み、自分を表現することで癒され、言葉を超えて世界とつながることができる、そういった力がアートにはあるということです。また、玉田氏は、現代には『リベラルアーツ』が必要だとしきりに言っていました。私はその言葉を聞いたのは初めてだったのでよく分かりませんが、リベラルアーツ教育をしている某大学が、上場企業の中からの支持率が一番高かったという話でした。きっとその大学の卒業生が、上場企業が必要としている能力を携えていたということだと思います。「リベラルアーツ」という単語を調べると、「自由学芸」や「基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学び」とか「人間としての教養」などと出てきましたが、教育基本法第一条に書かれている「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」とも似ているように思います。少し気になるので、これは、またの機会に学び直したいと思います。
では、さっそく内容に入りたいと思いますが、それはまた次回に報告させて頂こうと思います。
(報告者 小松崎高司)
大学時代に、絵本文化論という授業で「自分だけの絵本ノートを作る」という課題がありました。絵本ノートとは、図書館などで自分が興味ある絵本を探して読んで、その内容を要約して、そこからどういった感想をもったか、作者は何を伝えようとしているのかなどを自由にノートへ記録していくといった課題でした。まだ、絵本についてもよく分からなかったので、子どもがどんな絵本を好むかというよりも、自分が面白いと感じた絵本を選んでいました。そんな中、ピーター・レイノルズ:作・絵、谷川俊太郎:訳の「てん」という絵本と出会います。その時の衝撃は今でも覚えています。たぶん、言葉では言い表せない当時の自分が目指そうとしていた形、憧れていた人間像がそこにあったのだと思います。
「アート(ART)」と聞くと芸術的で崇高な物という印象を受けることもありますが、アートは私たちの身近に溢れているのかもしれませんね。私は絵は上手くないのですが、子どもの頃は絵を書くのが好きでした。それもきっとアートなのでしょうね。子ども達が作る粘土の作品、制作の作品、塗り絵、積み木、どれもアートになるのかもしれませんね。洗濯物の干し方、食器の洗い方もアー…いや、これは言い過ぎました。自分が何を思ったのか、どう考えたのか、何を思っているのかということがアートと呼ばれるものには表れるのかもしれません。何かを作るためにはセンスも大切にはなってくると思うのですが(このセンスが本当に私にはありません)、思いを表現するということもまた大切になってくるのかもしれません。それは大人の芸術なのかもしれませんね。
次回以降、どんな内容になっていくのか楽しみです!
読んだことのない絵本で、とても興味が湧きます。日頃からアーティスティックな一面を随所に見せる小松崎先生ですので、なんとも納得しながら読みました。今回の報告の文字も斜めになっていて、そこからもアーティスティックな一面を感じます。
“芸術士がいる保育所”とはなんとも魅力的なフレーズですね。新宿せいが保育園の職員厚生を思い出しましたが、それぞれの個性が光る職場では例えば音楽家もいるだろうし、建築家も、料理人も、その人の特技が光る保育所はとても魅力的ですね。自分の特技、役割を周囲も理解して尊重してくれるような職場はとても魅力的です。