先日、お昼の配膳のため3、4、5歳児クラスに上がり配膳台で準備をしていると、端に保育園の畑で採れたピーマンとナスがたくさん置いてあるのを見つけました。担任の先生が「こんなに採れてしまってどうしましょう」と、ちょっと使い切れない様子でした。その日はお盆という事もあり、子どもの人数も少なかったので急きょクッキングをすることにしました。ピーマンとナスという事で、「みそ炒め」を作ろうかと思ったのですが、以前に担任の先生がクッキングをしていたこともあり、あえて子どもの嫌いなピーマンのみでクッキングをしたらどうなるかと思い、「ピーマンのきんぴら」を午睡の時間に自由参加で年長さんを集めて作ることにしました。
子どもたちには先ず、半分に切ったピーマンから種を取ってもらい洗った後、順番に包丁を使って千切りにしていきました。何回も切っているうちに手がピーマン臭くなってしまい、「手が臭くなったー!」とブーブー言いながらも一生懸命切ってくれていました。炒める作業は僕がやりながら、横から順に子どもたちに調味料を加えてもらいながら作っていきまいた。1回では作り切れない程たくさんあったので、2回に分けて作りました。
作りながら何人かの子が「私ピーマンきらい」「僕もきらーい」なんていう言葉を聞いていたので、「本当に食べるのかな?」と思いながらフライパンから皿に盛り付けていると、「早く食べたい」という声が!
1回目に作った方を試食してみたところ見事に全員が「おいしい!!」と言っていたので、「え?さっきピーマン嫌いって言っていなかった?」と確認したところ「これはおいしい」と言ってパクパク食べていました。食べながら一人の子が、「2回目に作った方も食べてみたい」と言ったので、作り方も調味料も変わらないのですが、食べてみたところやはり「おいしい」と言いながらも、「でも1回目の方がおいしい」と言っていました。それをきっかけに自分はどっちが好きかを発表しあっていました。何度も食べ比べながら「2回目の方が好き」という子もいた中で、嫌いなはずのピーマンをちゃんと味わってどっちが好きかを答えている事に驚きました。
そんなこんなで食べていると、ピーマンが嫌いと言った子のお母さんがお迎えに来ました。自分の子がピーマンを食べていることに驚いていて、「○○ちゃんも食べたの?」と何度も聞いていました。そのお母さんも家でピーマンのきんぴらを作ったことがあるそうなのですが、その時は全く食べなかったそうで、作り方を聞いて「同じ感じなんですけどねぇ(笑)」と言いながら帰ってきました。
自分たちで水をあげ育て、収穫を体験したり実際にクッキングをしたりすることで子どもの興味や関心は何倍にも膨れ上がっているように思いました。塾長の「食育」の本の中でも食育3本柱として「栽培、収穫、料理」と書かれていますが、現代では野菜がどのように育つのか、どんな形をしているのか知らない子もいる中で、ある意味これ以上にない「食育」をしているように感じました。「そんな経験をたくさんさせてあげたいな」と感じたクッキングでした。 (報告者 柿崎)
自分で育てる、自分で調理する体験の楽しさ、そこからの子どもたちの反応の違いは私が働いている園での子どもたちの様子からも感じて、驚くことが多いです。自分が栽培や収穫、料理に関わっていると、その作業をしながら野菜がどんな形をしているのか感じたり、苗の様子を覚えておくとその苗がどんどん変化することの不思議を感じたり、調理することで野菜の姿がかわり、あの野菜がどんな変化をするんだろうと期待が持てるのかもしれません。実際に体験することで、変化する過程で子どもたちの感情がどんどん動いていくのを感じます。そんな感情の変化が大切だったりするんですかね。体験の大切さを改めて感じました。
「嫌い」という壁を、自ら乗り越えようとする力を培わせるのも、「食育」の魅力の一つでもあるように感じました。「栽培、収穫、料理」という食育の三本柱が、子どもたちの思考にどのような影響を与えているのでしょうか。私は、面白そう・楽しそう・何がどうなるのかなという「好奇心」がそれらを支えているのではとも思います。また、比較的非日常さが、子どもにちょうど良い刺激を与えているのかもしれませんね。