最近、私のいる保育園で、そろそろ、ゲームゾーンを変えていきたいという話が出ています。私の園ではそのゾーンを「ゲーム・パズル」として使っているのですが、結局の所、昔からある知育のおもちゃがあり、それらはどうも一人で遊ぶことが多くなっています。「ロンディ」という丸い形のものをつなげて遊ぶおもちゃが人気なのですが、できたものを戦わせることや剣を作って戦うこともしばしば・・・。ちょっと落ち着いて遊ぶという目的からもずれてきました。そこでボードゲームを進めました。そこには「待つ」という活動もありますし、「ルール」も守って遊ばなければ面白くありません。もともと、私の園にもいくつかはあるのですが、あまり使われていません。これからは少しずつ出していこうかという話になっています。
そもそもボードゲームはとても歴史が古いものです。日本に昔からあるボードゲームといえば双六や将棋がすぐに出てきます。しかし、ボードゲームの起源はとても古く遡ると紀元前3500年のエジプト王朝の古墳から出てきた「セネト」や紀元前2600年の古代トルコのウル王朝の遺跡から出土した「LOYAL Game of Ur」が最古のボードゲームだと言います。どちらとも「競争型のボードゲーム」であり、いわば双六と同じようにサイコロを投げて、自分のコマを進めていくことでゲームを進めていくのです。しかも面白いのはどちらも自分が1つのコマをもつのではなく、セネトは7つの、「LOYAL Game of Ur」では4~5つのコマと複数のコマを使って行うということです。1つのコマを使って遊ぶということは江戸時代など意外と最近になってからだそうです。コマを進めることはサイコロを使用しましたが、この時期は6面体のサイコロではなく、三角形の4面体や投げ棒といった棒の裏表を使ったサイコロを使用していたそうです。また、「セネト」に関しては、多くはエジプトの王様の墓から出土されたもので、あのツタンカーメンの墓からも出土しました。というのも、セネトは死者の旅のための護符として使われ、ゲームにおける運の要素と、エジプト人の決定論への信頼がその理由で、成功したプレイヤーは、国の神殿の偉大な神々、ラー、トート、しばしばオシリスらによって守られると信じられていた。このことは遺体と一緒に置かれた「死者の書」にもこの「セネト」の記述があるそうです。
日本における双六の記述は日本書紀の持統3年(689年)12月8日に「双六を禁止する」ということが初めての日本の歴史上での登場だといわれています。おそらく、シルクロードを通り中国から日本に伝来したのだと言われています。また、「双六」という名前も中国の「双陸」から来ているそうです。それにしても「双六を禁止する」って・・・。よほど、その頃の遊びで爆発的に流行ったということが分かりますね。いまでいう「テレビゲームは一時間だけ」という母親の口癖と同じように感じます。ただ、この時期双六を楽しんでいたのは裕福層がことをいうのか、それとも庶民的に双六が楽しまれていたのかはまだはっきりとはしていないそうです。しかし、聖武天皇の愛用品が正倉院の宝物庫から出てきたことなどを考えても、おそらく朝廷の裕福層が楽しみすぎて仕事をしなくなったのだと思います。これらの禁止令は後にも平安時代、鎌倉幕府時代、江戸時代にも出ていたそうです。そこには賭博の要素が盛り込まれることがあり、禁止することの理由は様々なのですが、それほど双六は長い間形は常に進化しながら親しまれたものだったのです。そのほかにも出産にまつわる宮中行事として盤双六を行う(単にさいころを振るのみの場合もあった)慣習があったことや、女性のいわゆる「嫁入り道具」の一つとして雙六盤(盤双六を遊ぶ盤)を持たせる慣習のある地域が江戸時代後期頃までは存在していたことがあったそうです。エジプトでは死者のために使われた「セネト」が日本では出産という場面で双六が使われたのはとても興味ぶかいですね。
また、日本における双六は「盤双六」と「絵双六」に枝分かれしました。「盤双六」は今で言う「バックギャモン」であり、「絵双六」が今の双六に分類されます。とくに「絵双六」は日本独自の発展を遂げたものであり、絵の中に双六を入れ込んだことでその時代の風刺やテーマを持たせたものは他の国のボードゲームにはない発展を遂げています。日本だけでなく、海外でもモノポリーなど、その進化は時代によっていろいろと国によって独自の進化をしていきます。
現在ではそのボードゲームの遊び方は双六のようなものに限らず、実にいろんな内容のあるボードゲームがたくさんあります。特に最近ではテレビでも紹介されましたが渋谷にある「ボードゲームカフェ」というものが流行っているそうで、ボードゲームの楽しさが改めて見直されてきています。そして、そこで紹介されていたボードゲームのほとんどはドイツのものでした。以前新宿せいが保育園で働いていたときにもカグヤの方々がドイツのボードゲームを紹介してくれました。ドイツのボードゲームにはゴールした人が勝つというものだけではなく、みんなで絵をつなげるものやみんなで猫からにげるものなど、「みんなで協力」して遊ぶものが多くあるのが魅力だそうです。また、ドイツのボードゲームの特徴は基本的には大人から子どもまで一緒に遊ぶことを中心に作られています。つまり、ファミリー指向になっている。だからか、年齢の設定はあるものの、ルールが分かるのであれば、どの年代の子どもから大人まで非常に幅広く遊べる内容になっています。また、双六のように運だけで行うゲームはほとんど無く、だからといって、将棋や囲碁などのように運を排除したゲームも少ない。そのため、初心者や子供でも勝つことができ、また、習熟することにより勝ちやすくなるという上達の要素もあるのが特徴である。造形も非常に良くできており、デザイナーも人気のある人が多く、売り上げに影響があるほど、その内容はレベルの高いものになっていることがほとんどらしいです。
確かに保育園にあったドイツのボードゲームもカラスに果実を取られる前にみんなで収穫するといったゲームでした。ゴールがあったものだとしても、一人だけでゴールするものではなく、複数がゴールできるようなものが多くあります。双六のように一人ゴールすることが楽しいということもあるのですが、それだけではなくみんなで協力して1つの目的を達する楽しさもゲームの要素としてあるというのを感じます。改めて「ゲーム」というものの考え方を考えてみる機会になりました。今回ボードゲームの話になったのも、この秋の夜長、家でテレビやテレビゲームだけでなく、ちょっとトランプとかしてみない?とゲームをすることがありました。その時、やはりこれらの電気を使わないゲームは会話や対話が多く生まれます。顔を見て行うゲームは改めて、コミュニケーションを取る1つのツールとして有効だなと思いました。子どもたちにとってはそれだけでなく、みんなで考えることや待つこと、戦略を立てること、いろんな要素があります。こういった環境を作ることをもう一度考えてみようと家で遊んでいて改めて思いました。
(投稿者 邨橋智樹)
双六の歴史がそこまでとは驚きました。セネトなるものあったのですね。それが護符の意味もあったというのも興味深い話です!日本では双六を禁止するという動きもあったのですね。いつの時代も熱中し過ぎてしまう人はいますね。それは、きっと、男性だったのではないかなと思ってしまいました。一人でも楽しめるゲームは私たちの身近にあふれていますね。外で出なくても、誰かに会わなくても暇は潰せますし、それなりに時間を過ごせてしまいます。そんな時代だからこそ、そこを向くのではなく、様々な人が関わって遊べるような仕組みはもっともっと考えられてほしいですし、考えていかなければならないことだなと思います。ボードゲームが人と関わる力を育む、コミュニケーションを育むツールにもなるという認識はまだまだ薄い部分があるのかもしれません。「ゲーム」というもので一括りにされている部分もあるのかもしれません。そうではないということをもっと知ってもらえることもまた大切なことでもあるのかもしれませんね。
大変勉強になる報告をありがとうございます。そもそもを辿り結論に導くところなど、まるで藤森先生のブログを読んでいるような気持ちになりました。
日本書紀に「双六を禁止する」とあるのはとても面白いですね。当時の人々をとても熱中させたということでしょうが、サイズとしては結構大きいものですよね。怒られてもやっていた時期があるでしょうから、どこかに工夫して隠していたりしたんだろうなと思うと何だか可笑しいです。
邨橋先生の仰る通り、電気を使わないゲーム、顔を見て行うゲームは、コミュニケーションを取る1つのツールとして本当に有効だなと思います。ボードゲームの価値を再発見すると共に、昔からあるゲームだけでなく「みんなで協力」して遊ぶものが多くあるドイツのボードゲームのような新しいゲームも取り入れていけたら、最高だと思いました。