先日、夕方の自由遊びの時間ににこにこ組(2歳児クラス)の子ども達の対人知性の高度な関わりがあったので報告させていただきます。
この写真の中にいる女の子達は4人とも、毎日の関わりを見ていて、とても大人っぽい関わり方をします。話し合いで解決出来る力のある子達なので、この場面を見守ってみることにしました。
どうやら、紫ちゃんの持っているお人形を水玉ちゃんが使いたいものの、紫ちゃんが元々使っていたものだったので、「あとでね」「ダメだよ」というやりとりをした直後、ちょっとこじれてしまった(笑)という感じだったようです。
ケンカの当事者ながら、相手の傍に行けるというのがすごいですね(笑)紫ちゃんの頭の中には、もしかしたら「話の決着をつけに行きたい」という思いだったかもしれません。もしかしたら、「かわいそうなことをしたな」という思いだったかもしれません。どちらにしても想像の範囲ですが、それを考えても、〝ケンカをしても逃げたりせず、それっきりで終わらせない〟という紫ちゃんの心意気のようなものを感じて、子どもって本当にすごいなと思ったりします。
使いたかった気持ちが自他共に再確認されました(笑)さぁここからです!
写真右の男の子も気になっているようですね。
このケンカを終わりにしたい、お人形を気持ちよく使いたいというような、紫ちゃんの呟くような言葉です。
ここで面白いのが、どうやったら水玉ちゃんのキゲンが直るのか、そして、このお人形をどうしたら自分の元に置いたままで、また元の関係に戻れるのか、ということを紫ちゃんが考えているということです。かなり高度なことだと思います。
再度チャレンジ。
実際は早お迎えではないのですが(笑)流石です。
二人にどこか妥協点が生まれたのでしょう。少し空気が変わりました。
その誘いには水玉ちゃんは乗らなかったものの、二人の間の空気がはっきりと変わり、一緒にあそび始めました。
そして、感動の(?笑)クライマックスです!
なんと、水玉ちゃんの持っているものを褒めたのです!この紫ちゃんの行動にとても驚きました。水玉ちゃんは、嬉しそうに履いています。
そして、
そして、
相手を褒め、喜んでくれた。その気持ちが自分の気持ちも高揚させ、相手に対して寛大な気持ちになれたのかもしれません。
そして、数分後。
それは、なんとスリッパでした!
その後、二人はすっかり仲直り。仲良くあそんでいました。
ここで改めて、〝対人知性〟について紹介します。
- 対人知性とは他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
- 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である
相手の気持ちを察し、そして、相手の態度に対して、自分の対応を変えていく。自分も幸せ、相手も幸せな結果を導いていくその姿勢は、単なる世渡り上手的な印象のものではなく、相互の幸せを考えて行動するという、とても高度な関わり方であると思います。
自分だけがよければいい、ではなく、相手だけがよければいいという自己犠牲の精神でもない。自分も相手も幸せにしようとする行動こそ、これからの時代のよりよい生き方ではないか、と、強く感じます。
11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月11日『貢献』にこう書かれています。
〝知恵は、必ずしも、誰でも持っているものではなく、生まれつき備わっているものでもなく、生きている中で、学んでいくものもあるのです。〟
また、
〝私の園の理念は、「共生と貢献」です。 (中略)ストレスが多いけんかなどでも、子どものころから体験することで、それを調整する力が付きます。人は、他と共生していく生き物であり、それゆえに他と共生することで感情をコントロールすることができるのです。〟
この度の子ども達の関わりを見た時、大袈裟かもしれませんが、まさに園の理念と言えるべき姿が、子ども達から垣間見えたような、そんな気がしました。
さらに、2006年2月8日『育てるとは』という回の中では、このように書かれています。
〝動物占いで有名な弦本將裕氏がこんなことを言っています。(中略)「個性心理学では辞書にない言葉の使い方をしますが、「そだてる」というのは、「素立てる」と書きます。学校で習う「そだてる」は「育てる」ですが、これは養うという意味も入っているのです。養われている者からしたら、ご飯を食べさせてもらっているから逆らえません。これが今までの、上から下へものを言う教育だったのです。これからは、素立てる、素(個性)を立てる、教育でなければならないのです。今までこの素を知る術がなかったこともあったでしょう。素がわからないから、種がわからないのですから立つわけがない。いろいろな種がありますが、花屋さんに買いに行くと、「いつ蒔きなさい」「お水はいつあげなさい」「いつ咲きますよ」と袋に書いてあります。種がわかっているから育て方がわかるのです。人間だけは、生まれたときには何も書いてありません。オギャーと生まれた赤ちゃんの足の裏とかに、「どう育てなさい」とか「いつグレる」とか書いていないでしょう。つまり、種(素)がわからないから立つわけがない。子どもも素・立たない。」
子どもの個性を知ることは、それを認めることに通じます。そのために、子どもの理解と予測がなければなりません。それが、親としての愛情です。また、保育者としての専門性です。子どもがもっているものを引き出すためには、子どもに何かをしよう、してあげようとする前に、まず、子どもを知ろうとする努力をしないといけないでしょう。〟
子どもを知り、そして、子どもの元々もっている個性、才能であるその〝素〟を育ててこそ、保育なのではないか。見守る保育は、それを育む保育であるということを改めて感じた、この度の出来事でした。
最後に、
あれだけ争ったお人形はと言うと…
先日の環境セミナーで、〝2歳児のイヤイヤ期に対して、どう対応すればよいですか?〟という質問に、藤森先生がこう答えられていました。
「大人が本気にならないことです。」
いつだって優しい気持ちで、頭を柔らかくして、子ども達を信じて見守っていこうと改めて思いました。
(報告者 加藤恭平)
最後のオチがすごいですねぇ〜(笑)。物(玩具)よりも大事な物があるということを心で理解しているかのようですね。どうしても目の前の事に執着してしまう時期が「イヤイヤ期」であるようにも感じています。長い目で見たらどうってことない事であっても、その場が全てであるかのような気持ちに大人もなってしまいますね。そのようなイヤイヤ期を、子ども同士で折り合いを付けながら、解決していく様子が素敵ですね。また、当人の2人だけでなく、その様子を察して、一定の距離を置いて動向をうかがっている他児がそばにいるという所もいいですね。
何かおもしろいことが起こりそうな雰囲気とありましたが、その雰囲気を感じ取れるというのは日々の保育の中で加藤さんが子どものことをよく見ていて、よく理解しているからこそだと思いました。そうでなければこの雰囲気を察することはできないように思います。私はまだまだです。また「話し合いで解決出来る力のある子達なので、この場面を見守ってみることにしました」ともありましたが、これも個々の子どもに対する理解がしっかりできているからこその言葉で、これもまた日々、しっかりとした保育をしておられるからこその言葉だと思いました。見習いたいです!