前回の活動報告で世代間交流を紹介させていただきましたが、今回は乳幼児と小学生による世代間交流について、現在の学童の子どもたちの様子と交えて紹介させていただきます。
乳児と日常的に交流機会のある小学生は限られていると思います。
自分の家に弟や妹がいて、様子を見る等でかかわる機会のある子もいるでしょう。
しかし、乳児と呼ばれる期間は短く、歳が近い兄弟だと弟や妹が生まれた頃には自分自身もまだ幼いため、どのような様子であったのか覚えていないのではないでしょうか。
家の外に出ても、どこかで乳児と触れ合う機会などそう多くあるものではない。
小学生が乳児と交流することから得られることは、単に乳児の様子を知り、かかわり方を学ぶことだけではないと思っています。
もちろんそのような価値もあると思いますが、乳児という存在に触れることで生命についても考える機会にもなるのではないでしょうか。
生まれたばかりの乳児と出会うことで、生命を持って誕生してきていること、かけがえのない存在として大切にされていることがわかり、自分自身もそうであったということにも改めて気付くことができると思うのです。
他の世代間交流も人と人との交流であるので、生命にかかわっていることに違いはないですが、乳児とのかかわりは特に生命を身近に感じることのできる特別な交流であり、小学生にとって価値のあるものとなるのではないでしょうか。
また、乳児は小学生という普段かかわることのない者とかかわることで、両親や保育者以外の存在を知り、新たな世界に触れる経験を得られるのではないでしょうか。
小学生にとっても乳児にとっても互いに新たな存在や世界に気付くことのできる貴重な経験としてこの交流にはとても重要な意味があると思っています。
新宿せいが保育園では、週に一度年長組が下のクラスにお手伝い保育にいきます。
そして新宿せいが学童クラブでは、保育園から持ち上がりの子が比較的に多く、お手伝い保育に対してとても意欲的です。
また、お手伝いにいくクラスで圧倒的人気を誇るのが0歳児クラスです。
お手伝いにいく目的は各々違い、ほとんど乳児が可愛いからという理由ですが、交流をするということに意味があるのです。
正直ちゃんとお手伝いとなっているのか不安ですが、この交流から双方に多くの気付きや学びを得ていってくれたらと思っています。(投稿者 若林)
小学生ではないですが、年長さんなんかは私より0歳児さんの個々のことを知っているのではないかという子もいます。「それ〇〇ちゃんのご飯だよ」、「〇〇くんはこうやって抱っした方が」という頼もしい姿があります。確かに乳児と関わる体験はあまりないかもしれませんね。体が大きい小学生とは違い、乳児の体を小さいです。小さな子どもに関わる際には力加減を調整するのも大切なことであるように思います。それは触れ合っていくうちに自然と感じていくものでもあるのかもしれません。そして、それもまた乳児という存在を受け入れる、自分の中に入れるそんな感覚にもなるのでしょうか。実際に肌を付き合わせて関わることで感じることはたくさんありそうですね。
新宿せいが保育園が子どもと子どもの交流する機会を多く設けることができる理由の中に、〟職員が年長組や学童を始めとする子ども達に大きな信頼を寄せていること〟や〝やってはいけないことなどについての規則のようなものが非常に少ないこと〟が挙げられるかと思います。この2つは対になるものであると思うのですが、例えば積極的に赤ちゃんを抱っこしようとする子に対して、危ないからといって頭ごなしに怒るということはしません。積極的なその子の普段の姿やこれまでの成長を踏まえた上でかける言葉があればかけるといったスタンスです。その上でその子の気持ちを汲みつつ赤ちゃんの安全も配慮しながら見守るという体勢をどの職員もほとんど瞬時にとります。これは、極端な言い方をすれば子どもが何か意欲的な行動をとったことに対してそれを頭ごなしに叱っていくようなことをしている保育園には先ずできないことでしょう。
交流と一口に言ってもその中身が形だけのものになっていることも少なくないと思います。交流の機会だから関わらなくてはいけないという強制のようなものでもなく、子ども達が自分らしくその時間を過ごしていくことができるように、僕ら保育者は環境を提案していくことが大切であると思います。