今回は前回同様、日常的な子どもと高齢者の世代間交流の観点に、子どもと高齢者の複合施設という観点を交えて書いてみようと思います。
高齢者と子どもが、相互にケアされる立場として行われる交流として、幼老統合ケアがあります。
ケアという言葉の語源は、「気づかい」「世話」などがあります。
そのケアが、お互いに子どもと高齢者間あるいは三世代相互に行われ、統合されていく状態が統合ケアです。
そんな幼老統合ケアを幼老複合施設の観点で見ていきます。
子どもと高齢者が共に参加する交流は、地域コミュニティーにおいてイベントとして催される場合もあるが、主に幼老複合施設において行われている場合が多いそうです。
いわゆる複合施設には、様々なものがありますが、幼老複合施設とは、このうち保育園や児童館、小学校などの子ども関連施設と、デイサービスセンターや特別養護老人ホーム、ケアハウスなど高齢者の介護関連施設が合築(併設)された事例を指します。
この幼老複合施設における世代間交流のメリットは意図的な交流だけでなく、意識することのない交流が生まれること、つまり日常的な交流を図れる点だと思っています。
幼老複合施設では、空間の利用や設備の配置等の環境次第で子どもと高齢者のかかわりの頻度が異なってくる。
例えば、高齢者のリハビリ室や食堂を保育所の遊戯室や園庭がみえる配置にしたり、幼老両施設の境界部に設置される扉を格子にすることがあるそうです。
このようにすると、お互いの気配を感じられるようになり、直接的に交流するだけでなく間接的に交流することができるのです。
つまり、環境次第で関わり方頻度、バリエーションが増え、質も高くすることができる。
これは保育園でも同じことが言えますね。
そして私が勤めさせていただいている園では、0・1歳児クラスのお部屋で各クラス共に覗くことができる高さのパーテーションで区切られています。
これは先ほども書かせていただいた「お互いの気配を感じられるようになり、直接的に交流するだけでなく間接的に交流することができる」ことと同様の点であるのです。
また、日常的に交流を行うことでのメリットには、子どもは高齢者に対し「つえをついている」「よぼよぼしている」などのステレオタイプ的なイメージではなく、高齢者の現実的な
心身の特徴などを学ぶ良い機会となるのではと思っています。
子どもと高齢者の日常的な交流の場として「保育園で…」と前回の報告で書かせていただきましたが、幼老複合施設でという手段もあり、複合施設だとより日常的な交流を図れると思えてきます。
しかし、そんな幼老複合施設にも課題点があるそうです。
それは、子どもが苦手な高齢者への精神的負担と、保育者の高齢者理解、介護者の子ども理解の必要性です。
また、保育者が高齢者の身体的・心理的特徴に関する知識がなかったり、逆に介護者が子どもの身体的・心理的特徴に関する知識がないため、危険予測が十分にできず、戸惑ってしまい、介護者・保育者が幼老統合ケアに対し負担を感じてしまうことも考えられるそうです。
そのような課題点があると考えていると、私たち保育者は子どもの健やかで豊かな育ちを見守るのが仕事、そのためにも子どもと高齢者の交流が必要となる場合があり、子どもと高齢者が保育園や幼老複合施設で交流するにも保育者が高齢者の身体的・心理的特徴に関する知識を得ていくことが必要になってくると思っています。
しかし、子どもに関してでもまだまだな私には遠い道のりですが…
(投稿者 若林)
もっと知りたくなるようなお話でした。幼老統合ケアというものがあるのですね。メリットとデメリットが紹介されていて、近くにお年寄りの方の施設がある場所で働いている身としてはいろいろ思うことがあり読ませていただきました。意識することのない交流というのはいいですね。日常的な交流をしていくことで子どもと高齢者の双方がその存在を理解しやすくなるように思います。それは職員にも言えることなのかもしれません。断片的ではなく、継続して関わることでお互いを理解し、またそうすることでお互いの存在がより受け入れやすくなっていくのかもしれません。近くにいい環境があるのに、まだまだそのような関わりにはなっていないなと反省しました。もっと考えていきたいと思います。また、課題点についても納得させられました。統合ケアではないので、全く同じではないですが、継続的に関わることでそれら課題点もお互いの理解が進むことで改善していくのかもしれませんね。
我が家の息子と祖父母、曾祖母との相性はとにかく抜群です。わがままを始めとする子どもの行動の一つ一つを汲んで、むしろそれを楽しみながら関わってくれます。何につけても手際が良く、感心させられることばかりです。
ですが、それが他の人の子どもであったらまた違う部分も出てくるでしょうし、何より高齢者は子どもが好きというのは一種の刷り込みにあたるのかもしれませんね。〝世代交流を日常的に〟という目標は、簡単なように見えて色々と配慮しなければならないことが多いようです。