高齢者と子どもの世代間交流を考える上でその交流を企画する保育者や介護者など援助者が必要となります。
世代間交流は、主役に据える高齢者と子どもの双方向の交流として捉えるのではなく、高齢者と子どもとの交流を企画する世代の三方向の交流として捉える必要もあるようです。
つまり、世代間交流を意図的に行うとき、二世代間の交流ではなく三世代間交流になるのです。
例えば、保育場面において世代間交流を企画した場合に、子どもと高齢者の関わり以外に保育者と高齢者、子どもと保育者の三世代方向の交流になります。
保育者がどの様な高齢者観を持っているのか、また子どもと高齢者の交流に参加することによって、その高齢者観はどう変化するのかもこの交流の醍醐味なのかもしれません。
また、高齢者においても子どもとの世代間交流場面において、援助者である保育者や介護者との関わりにおいても様々な刺激を受けるのではないでしょうか。
それぞれの世代の発達を考慮し交流プログラムを組んでいく専門家の世代間交流コーディネーターを養成しようと特定非営利活動法人日本世代間交流協会が行っているそうです。
ここまで書き進めておきながら、書くにあたって参考にさせていただいている本の紹介を忘れていました。
世代間交流について今回で6回目の投稿となりますが、幼老統合ケア研究会代表の多湖光宗さん監修で2006年初版発行の『幼老統合ケア』という本を参考に学んだことを書かせていただいています。
その本に世代間交流コーディネーターについて多湖光宗さんの考えが書いてありました。
それは「交流の主役となる高齢者と子どものほかに、高齢者と子どもを直接ケアする者と交流のコーディネーターが揃うことにより充実した交流を行える」です。
コーディネーターが企画する交流プログラムに高齢者、子ども、直接ケアする者が参加することにより効果的に行えるという考え方です。
保育者と介護者は交流の企画をするにあたり、交流すること自体が目的になってしまうことを解消することが期待されるとあります。
コーディネーター的な存在により保育者は子どもがいかに交流に取り組めるかを中心に考え、介護者は高齢者がいかに交流に取り組めるかを中心に行動できるということですね。
世代間交流援助者であるコーディネーターの存在は効果的に世代間交流を行うために有効であると思えました。
また、世代間交流コーディネーターによって企画される子どもと高齢者の交流を直に見て、体験してみたい気持ちにもなります。
私はこの本を通して世代間交流コーディネーターの存在を知りました。
改めて世の中には、私の知らないこと、知らない存在がまだまだたくさんあることに気付かされます。
その中に子どもの健全で豊かな育ちに必要となってくるものがあることでしょう。
それに気付いていくためにも多岐方面に渡って、アンテナを張り巡らせ、自分の好奇心にも嘘を付かず、1つ1つの出会いを大切にしていきたいと思えました。
(投稿者 若林)
高齢者、お年寄りとその存在が身近にあっても、その人たちのことを理解しているのかと考えた時に、私自身はそうではないだろなと思いました。高齢者の方だけではなく、相手の考えていることや実情を理解するということはその人と関わる上でとても大切なことですね。考えることもそうですが、まず、相手を知ろうと思う、そんな気持ちも大切になるのかもしれません。子どもを知ろうとする気持ちがあれば通ものがありそうですね。「交流すること自体が目的」とありました。これは今、本当に 気をつけなければいけないことだなと自分の中のテーマにもなっています。大人の満足感だけで、子どもを置き去りにするようなやり方は子ども中心であるべき保育からズレてしまうと思います。最初はいいと思っていてもそれがどんどん加速してしまい、気がつけば子どもは全くついてきていなかったということは経験があることです。このようなやり方を少しずつ見直したいなと思っています。「交流すること自体が目的」もまた同じことですね。
〝交流すること自体が目的になってしまうことを解消することが期待される〟とありますが、僕の知っている保育園の交流会はむしろ、会を企画して実行すること自体で万々歳といった程度のもので、「今回も前回同様やれてよかった」「前回よりスムーズに行えなかった」など、その交流会の質を問うような反省は生まれていませんでした。
そういう意味では世代間交流コーディネーターの行う交流会は先の先のレベルのような話に思えてくる保育園に勤めている人も少なくないかと思います。そういう園にこそ、ぜひ優れた交流会を体験してほしいですね。僕もとても興味が湧きました。