主体的に「見られる」

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先日、1歳児が片手を使ってテーブルの上でお皿を立てて回そうとしていました。親指とその他4本の指と、手首を使って、非常にぎこちない動きでしたが、楽しんでいました。その光景は4年前に1歳児クラスを担当した時にも見ることができました。その時に、「その動きを活用できる玩具はないかな」と考えて購入したのが、「コマ」です。

スクリーンショット 2015-04-12 9.57.09

このコマは、2000年日本グッド・トイ委員会選定玩具であり、小さな力で長く回り、止まっている色と動いている色が変わるので色遊びにもなる、そんな玩具です。4年前は夏くらいに購入したと思います。やはり、すぐには回すことは出来なく、大人や上のクラスの子どもたちが回す様子を見て、それを真似して頑張って回そうと試行錯誤している様子が印象的でした。結果的には、ほとんどの子どもが回せるようになったのですが、今の時期にしては難易度が高いのかなとも思い、子ども同士だけで真似っこができて、達成感がそれほど遠くなく味わえるような玩具がないかと考え、回しやすいコマを購入してみました。

早速、その玩具を出してみると、すぐにコツを掴んで回す子どもがいました。その様子を見ていた他の子どもが、同じコマを隣に持ってきて、自分も回そうとしている様子が非常に面白かったので、写真をとってみました。

コマを持ってきたところ

コマを持ってきたところ

まず、別の場所で、各々だけで遊ばないところが面白いなと思いました。出来る人の近くに行ってそれを真似るためとか、楽しさを一緒に共有したいとか、そんな気持ちが働くのでしょうか。

自分もやってみる

自分もやってみる

次に、相手がコマを回している時は、隣の子どもはコマを回さないで相手の様子を見ているといったところに面白さを感じました。一緒に同時に回すのではなく、相手が回し始めてからそのコマを止めるまで見届けてから、自分のコマを回し始めていたのです。見るタイミングや、見られるタイミングを図っているようにも感じました。「見られる」と聞くと、受け身のようなイメージを抱きますが、この場面では見られる瞬間を自ら計画的に図っていることから、それは主体的な活動なのではないかと思ったのです。まさに、相互作用であり、どちらもが主体になっている場面でした。

一緒に回してみる

一緒に回してみる

そして、ある程度互いの様子を見合った後、二人一緒に回していました。「面白かったね」「楽しかったね」そんな言葉を言い合っているような二人の表情が、なんだか嬉しかったです。

余韻

余韻

 

このコマの楽しさや難易度を経て、4年前のようなコマにいくのもいいかもしれません。今年のテーマは「伝統」ということで、玩具も伝統色を出していけたらと思っています。

(報告者 小松崎高司)

主体的に「見られる」」への2件のフィードバック

  1. 「別の場所で各々だけで遊ばない…」とありましたが、本当ですね。乳児を見ていると、誰かが遊んでいる姿に引き寄せられるように、別の子もその子の所に行って、遊んでいる姿を見たり、自分もやってみたりという遊び方をしていますね。見られるタイミングを図っているようにも感じたということでしたが、そのような視点で子ども達の姿を観察するとまたいつもとは違う発見がありそうです。私ももっと広い視点で子ども達を見たいなと思いました。伝統という視点からの玩具、私も意識したいなと思っています。子ども達の発達と伝統がうまく合わさったような玩具がないか、今年はそのような視点も大切にしたいです。

  2.  色遊びコマのカラフルな写真がまずとても目を引きました。回して、その色も楽しむというのは、なんとも幻想的で面白い玩具ですね。
     もりぐちさんのコメントにもありますが、〝別の場所で、各々だけで遊ばないところが面白いなと思いました。出来る人の近くに行ってそれを真似るためとか、楽しさを一緒に共有したいとか、そんな気持ちが働くのでしょうか。〟というところ、確かにとても気になります。最近の藤森先生のブログから援助行動について多くのことを学ばせていただいていますが、面白そうなことでも、困っていそうなことでも、人が何かを行っているとその傍に行ってみたい、いてみたいという気持ちが沸くものなのでしょうか。人は人が好きなのですね。なんだか、温かい気持ちになる、そんな報告を読ませていただきました。

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