何かというと、給食の下膳に使う〈残ボール〉です。
西村先生が気付いてくれたのですが、何とこの日の給食の残はこの麦茶だけ!
西村先生「すごいですね。」
いや、本当に。感動ですね。この日の給食がよほど美味しかった証拠だと、これは柿崎先生はじめ、調理の先生方皆喜ぶだろうと、「今日の残ボール楽しみにしていて下さい。」と思わせぶりな内線を一本入れて、柿崎先生にはこの写真をLINEで送って、ワゴンを調理室へ降ろしました。
すると、「麦茶は当番が量を聞かずに入れていくから、自分で決めた量については完璧ってことですね。」と、西村先生。
あ、確かに。
いや、この点に気付く西村先生。流石だと思いました。
「いっぱい・ちょっと」を丁寧に聞いていくお当番の子たちで、配膳に並んだ子たちは、自分で自分の量を決めます。
なるほど、確かに!改めて感動を感じていると、柿崎先生からはLINEの返信が、そして調理の山本先生からは内線が入りました。
山本先生「自分で食べきれる量がみんなわかった証拠ですね。素晴らしいですね。」
当たり前のことなのでしょうか、柿崎先生のLINEも、同じような旨の返信で、何だかとても感動してしまいました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月26日『自分自身』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
職種をこえて。大きな職員集団がチームとしてはたらき、子どもたちの育ちをこうして見守っていることを改めて感じたこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
同じ園にいながら塾生ブログでは他のクラスの感動が知れて、欠かせない存在です。残なしという喜びだけでなく、子どもたちの自分の食べる量を自分で把握できるといった見方にまで繋がるのがワンアップですね。保育だけでなく、調理まで同じ見解を持てるのは、まさに意思の連携です。元にある見守る保育を集団全員が理解している証拠だと感動しました。いろんな先生の考えや見方から、様々なワンアップを私も発見しようと思います。
コメントありがとうございます。
共通理解のもとに、それぞれがそれぞれの価値観を許されるという、真の多様性とはこういう仕組みのもとに生まれ、育まれるのではないかと思いました。そして、感動は動機になりますね。たくさんの感動を見つけて、毎日を感動でいっぱいにしたいですね。