今回も、伝統工芸である別府竹細工のワークショップで体験して感じたことを報告していきたいと思います。
材料に使用される「真竹」は、大分県が生産量全国一を誇っています。弾力に富むため編むのに適しているそうです。竹細工職人は通常、伐採はしないのですが、清水さんは、使う材料がどのようにして自分のもとに来るのか知りたくて、竹を仕入れている仕事現場に行き、竹の伐採にも立ち会うそうです。竹が倒れる際にはキズが付かないように豪快に担ぎ、キズを最小限にしているなど、伐採の仕方を見て「見てみたかったというか、みるべきやと僕は思います。シンプルに、もっと愛情を持って竹を割るようになると思います。それが結果的に、できあがるものに影響があるなと思います。」とも語っていました。
実際にワークショップで作ったのは、「結」ペンダント・箸置き・コースターでした。竹のスベスベした感触と独特な柔らかさや繊細さ、そして意外なほどの強度に悪戦苦闘しながらも、竹との会話を楽しみました。ある方が、清水氏に「竹の中でも、良い竹と悪い竹ってあるんですか?」という質問をしていました。すると、「う〜ん、個人的には全て良い竹だと思っています。竹も勝手に割けられている身ですからね。」と言っていました。この言葉からも、清水氏が竹とどう向き合っているのかが感じ取れました。
子どもを見ていても、良い悪いを決めてしまっているは大人であり、もともと子どもをそんな価値観ではかろうとしていること自体が違っていることを伝えられたように感じました。ワークショップに参加する目的として、竹細工をしてみたいという思いと、清水氏がどんな人間で、どんな生き方をしてきたのかを知りたいという思いがありました。塾長が「保育とは“道”であり、人として生きていく上の道理」と表現しているように、人の生き方の分だけ保育が存在するのだと思っています。自分が出会ったことのない生き方に触れるということは、よい意味で保育に対する価値観を覆す経験にもなると感じました。
竹細工の仕事に喜びを見出し、職人として生きる道を選んだ清水さん。仕事の種類は違いますが、そんな生き方に共感しながら充実した休日を過ごすことが出来ました。
(報告者 小松崎高司)
清水さんの竹との接し方を少しだけですが知って、きっと人に対しても同じような関わり方をされているのではないかと感じました。小松崎さんも言っておられますが、子どもを自分の価値観で良いとか悪いと判断するものではないということを教えてくださるようでもありますね。どんな仕事でも大切な部分は繋がっていたり、どんな生き方でも自分次第で違ったものに見えてくるということを感じるようでもあります。様々な人に会い、触れることで学びを深めていく姿に自分も刺激を受けますが、何より、様々な人の考えから学びを得ようとする小松崎さんの姿に、自分もそうでありたいなという思いを抱きます。
この完成した作品は実際に小松崎先生が作られたものですか?小松崎先生がとても器用であることと、清水氏の教え方が非凡であることが伺える素晴らしい作品ですね。竹との会話を楽しまれた成果が写真からほとばしるようです。
素材である竹を自らの手と目で触れに行くということは、竹のことが心から好きな人の行うことであると思います。清水氏の言葉にもそのことを疑う余地がありません。素晴らしい仕事に出会われたのですね。
保育が道であるということは、自分の生き方を子ども達に残していくという要素もあると思います。人間として自分を高めていくことは、本を読むことだけではありませんね。大きな学びを得られたことがとても伝わる報告です。大変勉強になりました。