私事なのですが、先日海外旅行に行ってきました。
海外にいく時に、頭を悩ませるのが「スマホ等の設定をどうするか?」ということです。私もどうする考えたのですが、それほど使う機会がないかなと、特に何の契約もせず基本は使わないようにしていきました。
無事、海外に到着して、色んな場所を訪れ、その土地の風習や、歴史、またおいしそうな食べ物などを、目の当たりにして興味津々。思わず普段通り、「どれどれ」とスマホで調べようとしたのですが、、、使わないような設定にしていたため、何も調べることができませんでした。
「日本にいるとなんでもすぐにスマホで調べられる」そんなギャップからか、少しもやもやした気持ちになってしまいました。
すぐ調べられる環境というのは、冷静に考えると恐ろしいものですね。
旅の醍醐味でもある、事前に調べること、本や看板を見て知ること、人に聞くこと、帰ってからも楽しみながら振り返ること。そういったことも、すぐに調べられる環境があると、ついつい忘れがちになり、忘れがちならまだしも、すぐに知ることができないことにいら立ちすら覚えてしまいます。
そんなことを感じた時に、保育の中で子ども達にも同じようなことが起きていないか考えてしまいました。
例えば、子どもたちの興味や疑問に、保育者が簡単に答えてしまって、まるで今回のスマホの様になっていないか。
散歩に出て、何か面白そうな植物を見つけた時に、園に戻ってから調べるという楽しむ体験ができているか。
例を出せばいくらでも、出てきそうです。
子どもたちの主体性・自主性を第一に考えていれば、そんなことは考えずとも大丈夫なのかもしれません。
便利な世の中に中では、致し方のないこともあるのですが、子どもたちが自分でやりたいと思えるような環境の大切さを改めて感じた出来事でした。
(報告者 西田)
確かに、今では答えがすぐそこにありますね。誰もが知識だけは持っている時代になったのかもしれません。ですが、本当におもしろいことは「こうかな?」と考えながら、思い過ごしをしながら、その思い過ごしが思いもよらない部分と繋がって、おもしろいことになったりするプロセスなのかもしれませんね。知らないことを知ろうとするプロセス、できないことをやっているプロセスをもっとおもしろがれる人間でありたいなと思います。知ることは楽しいです。ですが、知ることは同時に怖さもあるのかもしれませんね。今回のブログでの西田さんの気づきは普段の保育を見直す機会にもなりました。ありがとうございます。
私自身もネット環境が好きなのですが、少し前から付き合い方を変えている部分があります。人にはきっと知りたいという欲求があるのかもしれません。自分から知りたいと思うことには私も積極的なのですが、知らなくてもいいことまで知ろうとすることには注意が必要かなと思うようになってからは制限をかけるようになりました。ちょっと話がズレてしまいましたが、ネットとの快適な付き合い方、使い方はこれからも考えていくことになると思います。
何年か前、友人に「現代人なんだから疑問に思ったらすぐ携帯でもなんでも調べろよ」と言われたことを思い出しました。その時は調べることがとても億劫で、習慣にしていく中で知ることも増え自分にはとてもよいものとなっていましたが、西田先生の報告を読んで確かにと改めて考えるものがありました。
便利なものが良いものということは言うまでもないことなのですが、不便なことが悪いかと言うとそうではありません。むしろ不便さが発達や成長を促す部分もあるかと思います。特に大人にとっては不便であることを便利にしていくという過程に成長の種があるようにも思います。
便利な環境にいることはその環境を客観的に見られるような環境へ行かなければわからないことなのかもしれません。大変、勉強になります。