おそらくスポーツをしてきた人は挫折を味わったことがあると思います。
もちろん私も高校で挫折を味わいました。
小学校から続けてきたサッカーを高校でも続けたいと思い進学しましたが、
県内ではレベルが高すぎて、サッカーを諦めて違う道を選びました・・・。
今回は「諦める」という単語に注目しようと思います。
個性心理学の本には「諦める」についてこう書かれてあります。
「個性の違いを明らかに認めて、受け入れる」という意味です。
続けてこう書かれてあります・・・。
学校で教わる「諦める」という言葉には、どうしてもネガティブなイメージがつきまとっています。確かに国語辞典などで引いてみると「望んでもかなわないことがわかって、望むのをやめる意」とあります。類似する言葉には「断念する」もあります。しかし、人間関係を断念してしまったら、あなたの人生は、もうおしまいでしょう。
私はこの言葉を聞いて衝撃を受けました。
今まで「あきらめる」という言葉を使う時は本に書いてあるように、
ネガティブな印象がありましたが、それ以来、あきらめることに抵抗がなくなりました。
しかし全部をあきらめるというのは、なんか悔しいので、自分がココだけは譲れない!!というポイントだけは、諦めずに食らいついていこうと心がけています。
ただ、個性心理学でいう「あきらめる」という用途がそもそも違いますね(笑)
今の時代は人間関係で苦労している人が多いと思います。
大学までは自分と気が合った人としか関わらないので、そこまでストレスがないかもしれません。
しかし就職するとほとんどの人が初対面で、自分に合う人もいれば、まったく合わない人もいます。
そんな時に、あの人とは合わないから一緒に仕事をしない・・・とは言いませんよね(笑)ましてや給料を貰っているのに・・・。
そんな時に「アキラメル」ことをしたらいいのかもしれません。
あの人はなぜこんな行動をとるのか?考え方をするのか?その理由を「明らかにする」ことが重要で、その原因を理解することでスッキリします。
特に自分の子どもを見るときに、この見方は大切なことだとおもいます。
両親二人共がスポーツ万能だからと言って、子どもがスポーツ万能になるとは限りませんし、スポーツが好きになるとも限りません。両親二人共、インテリで高学歴だからと言って、両親と同じように同じ道に進むとは限りません。
小松崎先生の報告に書いてあった、弦本先生が描かれた絵本「杉の木の両親と松の木の子ども」に書かれてあるように、両親と違うから、その違う芽が伸びるたびに切ってしまうのでしょうか・・・。
私がよく「見守る保育の三省」を報告でも書きますが、
やはり、最終的にはここに戻ってきます。
『子どもの存在を丸ごと信じただろうか。』
(子ども自ら育とうとする力を持っている事を信じ、こどもといえでも立派な人格を持った存在として受け入れることによって、見守ることができるのである)
『子どもに真心を持って、接しただろうか。』
(子どもを見守るということは、人格が伝わっていくということを理解し、偽りのない心で子どもを主体として接することである)
『子どもを見守ることができただろうか。』
(子どもを信じ、真心を持つことで、初めて子どもを見守れるのである)
そして塾長は講演で言います。
この見守る保育の三省の「子ども」の部分を「職員」に変えて読んでみて下さい。と・・・。
(報告者 山下祐)
私もこの「諦める」が悩みの解決にもなるのではないかと思い、一時期そんなことを意識してみようかなと思っていた時期もありましたが、すっかり忘れてしまっていたので、改めて実践してみたいなと思いました。私は仏教から諦めるという言葉を知りました。やはり、そちらも真理を明らかにするとありました。山下さんの言葉の中にも『あの人はなぜこんな行動をとるのか?考え方をするのか?その理由を「明らかにする」ことが重要で、その原因を理解することでスッキリします』とあり、とても具体的な言葉で、なるほど、こんなふうに実践してみようと思えました。自分中心に物事を考えていたら、この諦めるは実践できないかもしれませんね。自分の考えを押し付けたり、相手の行動が気になったりという執着は諦めるとは真逆でもあるのかもしれません。私もとても前向きな諦めるという考え方を会得したいなと思います。そして、見守る保育三省につながっていきました。諦めるということにもつながる三省の奥の深さにまた驚き、嬉しくなっています。私もこの「相手」バージョンを毎日目にしております。どんな人にでもこのような姿勢で関われる人間になりたいです。
行動の原因や考えを知ろうとする行為である「明らかにする」を実践すれば、その場で頭に血が上ってしまったり、瞬間で感情的になって本来の相手とは異なった姿を思い描いてしまうといった行動が制御できそうですね。「諦める」と「明らかにする」。似ているようで似ていない、見方を変えるだけというこの微差を無意識にコントロールできるようになった時、色々な人の「良い部分」が次から次へと見えてくるような、そんなことが起こりそうな予感がします。
先日も園に見学にこられた方から、〝新人の男性保育士が全然言うことを聞いてくれないし、成長してくれない。どうしたらいいでしょうか〟というような内容のお話をいただきました。〝成長してくれない〟という言葉に、とても怖さのようなものを感じたのですが(笑)〝この見守る保育の三省の「子ども」の部分を「職員」に変えて読んでみて下さい。と・・・〟あり、まさにそういったことをお伝えできたので、よかったなぁと思うことができました。職員を見守る、これは、本当に人が安心して仕事に打ち込むことのできる、最高の指導方法であると思っています。
〝諦める〟という言葉の解釈も素晴らしいですね。とても勉強になります。今日も仕事へ行くのが、改めて楽しみになりました。