12月5日(土)、新宿せいが保育園では「お楽しみ会」が開催されます。今年のテーマは『伝統を見直そう』ということで、各クラスの劇と劇の間にある「幕間」も、職員による伝統芸能を披露することが決まりました。その中のひとつである「南京玉すだれ」を、先日、係のリーダーからオファーを頂きました。そこで、南京玉すだれを実際に会で披露する前に、その物の歴史を知りたいと思い、ここに報告させて頂きます。
―南京玉すだれの歴史(定説)―
日本南京玉すだれ協会によると、富山県東礪波郡平村上梨の白山宮を「南京玉すだれ発祥の地」として認定しており、平村上梨の民謡「こきりこ」が南京玉すだれの原点であり、「こきりこ」に使用されている「ささら」(編竹)が南京玉すだれの原型です。編竹は平家の子孫が遠く都を偲んで竹を編んだ物で形を作ったとも言われています。
そもそも、南京玉すだれとは、「アさて、アさて、さては南京王すだれ…」といった独特なしゃべり方と軽快なりズムに乗って、竹製の専用のすだれを釣竿や橋などの形に見立てて操る大道芸です。南京玉すだれは日本で生まれた、生粋の日本オリジナル大道芸でもあり、もともとは、旅芸人や富山の薬売りが、客寄せの為に道端や広場で演じ、投げ銭を貰うのが目的だったようです。 誤解されがちですが、決して、中国の南京で生まれたものではありません。もともと南京玉すだれは、放浪芸人の色々な商売の売り言葉(口上)のなかで、「唐人阿蘭陀南京無双〔とうじんおらんだなんきんむそう〕玉すだれ」と呼ばれていました。いつしか無双がなくなり「南京玉すだれ」と呼ばれるようになりました。また、当時南京は先進都市の代名詞で、大変モダンな風潮があったので南京の名前がついたと考えられています。
そして、玉すだれは世界ギネス記録にも認定されています。内容はというと『最大人数で行う南京玉すだれパレード(The largest parade of people performing nankin tamasudare)』という記録です。その数、272人。2013年5月19日に行われた第43回神戸まつりの中での記録挑戦ということで、 公道を練り歩く形で20分間のパレードを行ったそうです。
ということで、私は『旅芸人や富山の薬売りが、客寄せの為に道端や広場で演じている』といった心境で「南京玉すだれ」を披露すれば、間違いないということになります。塾長のブログには『「幕間」とは、劇と劇の間をつなぐもので、次の出し物の準備をしている間をつなぐもので、準備が出来たら合図をして次の出し物の紹介をして去るという役目があるのですが、前の出し物の振り返りと、次の出し物への期待を持たせる役目もあります。』と書かれてあります。残り2週間という中でしっかりとした芸を身につけることは出来ないかもしれませんが、見ている方々も、そして自分も、次の劇も楽しそうだなぁと思えるような「南京玉すだれ」にしたいですね。
(報告者 小松崎高司)
日本の伝統的な文化だということを知って新鮮な驚きがありました。僕が子どもの頃、保育園のお遊戯会か何かのイベントで祖父が南京玉すだれをしていたことを思い出します。僕は祖父がやってくれたもの以外で、そもそもちゃんとしたものを見たことがないのに、「アさて、アさて、さては南京王すだれ…」というフレーズは何故か色んな人が知っているということがちょっと不思議です(笑)それだけ、印象的であり、日本の伝統的なものでもあるので、胸に染み込みやすい何かがそこにあるのかもしれません。
幕間、楽しみです。来て下さるお客さんの反応もそうですが、子ども達がどんな印象をもつのか、それを見るのも楽しみですね。
「南京玉すだれ」、中国の南京が関係しているんだろうなと思っていましたが、そうではないのですね!!富山が発祥の地だったのですね。これは意外でした。「当時南京は先進都市の代名詞で、大変モダンな風潮があったので南京の名前がついたと考えられています」というのも、とてもおもしろいですね。遠い異国に憧れのようなものを抱いていた気持ちが表れているようです。唐人や阿蘭陀もそのような意味でつけられたのですかね。思えばサザンの歌に「唐人物語」というものがあり…関係ない話になりそうなので、やめておきます。
そして、「編竹は平家の子孫が遠く都を偲んで竹を編んだ物で形を作ったとも言われています」ともあり、なんとも切ない思いがしました。旅芸人や富山の薬売りが、客寄せの為に道端や広場で演じている、といった心境で当日、小松崎さんのパフォーマンスが行われることを異国の地より応援しております。