先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。
対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの続編です。
と、玩具の取り合いから起きたやりとりに対して、体全身でヤダを表現する赤井くんです。
それすらペシっとやって、受け付けません。
そして、灰色の服の子(以下 GLAYくん)が口を開きます。
そして言葉は続きます。
赤井くんも黄緑くんも、争うことをやめ、聞く体勢に。
「人ががんばってつくったものを勝手にやっちゃだめだよ。」
「わいわいさん(3歳児クラスの名称)になったらそういうの本当ダメだから。」
「ちゃんと口で伝えて?」
すると、
11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年12月24日『生命の本質』の中で生命平和運動家のファン・デグォン氏の活動に触れ、こう書かれています。
〝「生命の本質は平和である。」(中略)そこには、二つの原則があります。その一つは、「世界の平和を望むなら、自分がまず平和になろう」もう一つは、「暗闇を呪うより、1本のろうそくを灯そう」です。そして、その運動の最大の特徴は、「反対の拳を振り上げる代わりに、問題を前にしていったい何が生命同士の平和を保障する道なのか、共に悩み、考え、問題の現場に身を置き、自らに問う。反対ではなく、代案を示す。創造の力へとエネルギーを転換するのです。」
私は、やはりこれこそ現場人の原則であると思っています。今、保育の制度が変わろうとしています。それに対してただ反対の拳をあげるのではなく、そのエネルギーを創造の力へと転換させ、代案を示すことが必要だと思います。そして、実際にそれに沿って行動を始めることです。〟
ケンカをしている彼らに苛立つなどの無粋な感情を抱くこともなく、至って冷静に、解決へと導いたGLAYくんの手腕に驚きました。ただ反対の拳をあげる彼らに、わいわいさんになるんだ、という創造のエネルギーを添え、事態の収集をつけようと試みたのです。
また、『生命の本質』には、こうも書かれています。
〝私が提案する怒りを静める方法は、高い志を見つめることであると思っています。自分が目指している志にとって、当面の怒りはどのような意味があるのであろうかと考えることです。多くの怒りは、かえって志を遠ざけてしまう可能性があるような気がしています。それは、怒りへの対抗が、志を邪魔することが多いからです。〟
彼らにとって進級することが、〝高い志〟と似た気持ちであるとしたら。彼らは、GLAYくんの言葉を受けて、自身でその怒りを鎮めるに至った、と解釈もできるかもしれません。
異年齢保育の良さは口にすればキリがないですが、一つに〝憧れ〟の気持ちがあるとして、その憧れの対象である彼に言われる言葉というのは、とても心に響くものなのでしょう。
そして、『生命の本質』は、このような言葉で締めくくられています。
〝ファン・デグォン氏も、結局のところ人類学に戻ります。長い人類の歴史の中で、文明の歴史はたった1万年にもなりません。それは、人間の歴史の中でほんの一部に過ぎません。そこで、ファン氏は、文明以前の生き方に人間の原型を探りたいと思っています。そこにこそ、自然の生態系と見事に調和し、他の生き物たちと対等な共生関係にあった人間の姿を見ることができると言います。この世界には数えきれないほどの物や命がありますが、そのすべてが、一寸の狂いもなく、本来の場所に収まっている。それは、人知を超えた神の精妙なるデザインです。いるべき場所にいる。それは、この世の様々なものには、それぞれの役割があります。幸せとは、平和とは、自分がいるべき場所にいることだとファン氏は考えています。をれは、多様性を認め合うことと同じことかもしれません。「ない物ねだり」をせずに、「ある物探し」をすると同じことかもしれません。ある意味では、身分不相応なことを望むから心の平和を望めないのかもしれません。幸せになれないのかもしれません。まず、自分をよく知るということが大切かもしれません。〟
彼らの育ちを見守るためにGLAYくんがいて、その育ちを見守るために僕ら保育者がいます。その保育者を見守るために藤森先生がいて、と延々と続く温かみのあるこの螺旋は、〝人知を超えた神の精妙なるデザイン〟と言えるものであるようにも感じられます。
それぞれの役割を幸せな気持ちで全うできるような世の中になったら、この地球が天国になりますね。
では、何から始めよう。まず、自分が幸せになることから始めるべきなのかもしれない、ということを、強く感じたこの度の出来事でした。
さて、GLAYくんの見事な仲裁。このような解決法を身につけるに至った経緯を知りたい、という衝動に駆られました。後日談にて、報告させていただきます。
(報告者 加藤恭平)
「自分が幸せになることから始めるべきなのかもしれない」ぐっときました。そうなることができれば、周りの人もきっと幸せになるんだろうなと思います。そのためにはまずは自分ですね。また「わいわいさん(3歳児クラスの名称)になったらそういうの本当ダメだから。」というGLAYくんの言葉もとても緊張感がありますね。それはやはり、にこにこさんが持っている志を刺激するものなんだろうなと感じます。怖がらせるのではない、気持ちのしずめ方は見事ですね。そして、にこにこさんのそんな様子を見て、GLAYくんももしかすると自分がそうだった時のことを思い出していたりするのかもしれませんね。異年齢の良さを改めて感じます。そして、題名に触れるのを忘れていました笑
素晴らしい時事ネタの使い方、お見事です!笑