9月30日に東京の保育園さんで、園内研修があり塾長の講演がありました。
何度か園内研修の依頼がある中で今回は調理、保健、用務などの専門職と呼ばれる人たちを対象に行いました。
初めの挨拶で先方の先生が「今回は調理、保健、用務といった専門職のみなさんを対象とした講演です・・・」というような挨拶があった中で講演が始まりました。そして塾長の一言目が『私の保育園では、「専門職」という呼び方はせず、保育士も調理も保健も用務も全て保育をする人という意味で、「保育者」と呼んでいます。』というお話がありました。つまり、調理は「食」を通して保育をする人。保健は子どもが病気やケガをしないために、ただ殺菌や危険物を排除するのではなく、病気をしない身体を作るには、また、自らの力で危険を回避できるようになるためにはどのような保育をすれば良いかを考える人。用務は、「環境」を通して保育をする人。という意味を込めて「保育者」と呼んでいるということでした。そのような始まりから、塾長が話されていた内容を紹介したいと思います。
・塾長が過去に小学校の先生をしていた際の体験から、牛乳が飲めなかった子に対してちょっとだけ飲ませるのであれば、ちょっとだけ飲んでいっぱい入っているものを残させるのではなく、逆にちょっとだけ残してあげ飲ました方が子どもにとって「飲みきった」という達成感がある。つまり片付けなども一緒で、最後の一つを片付けさせることで片付けきった感がある。次回片付けるときは、それを2つ、3つと増やしていく。
・調理は、ただ栄養価だけを計算し取り入れえるのではなく、自らの身体がそのものを欲するように感じさせるようにするのが「見守る保育」の調理。
・「待つ」ということは、性格スキルを育てる。待った先に楽しいことや良いことがあるとわかっているからこそ待つことができる。逆にそれが示されないと待つことは無意味になってしまうので待つことはできない。
・日本では考えられないのですが、ドイツの保育園を見学した際にトイレの中で座ってお集まりをしていたり、さらにそこには赤ちゃんのおしゃぶりが平気で転がっていたりする。また、園庭はあえて石畳にしたり大きな岩などは転がっている。これは、子どもは本来自分でそれらの菌や、危険などを防げる力を持っている。危険を自らの力で乗り越えさせるのが保育。
・自ら防げる力、自ら身体が欲する力、これが本来持っている力。それを人に予防されたり、与えられることでその能力が失われてしまう。
保育、食、保健、用務がお互いの専門性で物事の重要性を言い合うのではなく、何がその時子どもにとって大切なのかを、すり合わせていくことが大切なのだなと感じました。保育園で働いている「食」の面からの保育者として私自身とても勉強になった今回の研修でした。(報告者 柿崎)
そもそも何を一番大切にするのかということを改めて感じました。専門職と呼ばれる人たちがいますが、園で子どもと一緒に過ごしている中で、子どものことを考えた関わりができるかがまずは大切なことなのではないかなとブログを読んでいて思いました。危険や菌のお話がありましたが、危険はなるべく排除する、菌は少ない方がいいということは分かりますが、その考えが行き過ぎてしまい、そもそも大切な子どものためになるのかという部分が抜けてしまう方向にいくのは避けたいなと思いました。ちょっとした意識の違いで大切にしたいこと、目的が大きくズレてしまうこともあるのかもしれません。気をつけないといけませんね。
保育者の見方について、とても勉強になりました。専門をもった多くの人が一つの思いの元に集まり、働いています。目の前の子ども達にとってはどの大人もかけがえのない存在であり、保育園と言う環境においてはどの大人も保育者でありますね。改めて考えさせられます。
ドイツの保育園でのお話も大変勉強になります。やはりドイツには行きたい。その思いが日毎強くなる毎日です。新宿せいが保育園に出会った時のあの感触、大きな感動と共に味わったあの、自分の中でしっくりくる感触がドイツにあるような気がするのです。とても魅力的な国ですね。