本日は私の体験した話をしていきたいと思います。
最近私はある失敗をしました。それこそ今塾長のブログでもある楽観的な考えを参考に自分の気持ちをコントロールしようとしているところです。
ただのその失敗から思うことがありました。
それは職場の方々の考え方から生まれる考え方についてです。
ある失敗をしたとき自分は申し訳ないと思うと同時にどうしたらいいのかという冷や汗が止まらなくなります。この失態についてどう挽回しようかと考えますが、まずは自分の力ではどうしようもない状況でした。
そんな時、まず同僚を見ると笑っていました。自分にとっては重要なことを笑っていました。一見意地悪のように聞こえますが、それはその焦りを柔らかくさせる雰囲気を作ってくれるものとなりました。なぜかというと私を責める人は誰一人いなく、これからどうするかをその後真剣に一緒に考えてくれるからです。ある先生は
「むしろこれから、良い方向に展開するかもよ」
というようなポジティブな考えを示して下さっていました。起こってしまったことを攻めるのではなく、その先をどうするのかを考える姿勢が見られます。そこでその失敗を起こした私は調子に乗るのではなく、反省し、もっと頑張らなくてはいけないと気づかされます。
同僚にそのことを話すと
「そうなんですよね、逆に怒られるより、ありがとうございますという気持ちともっと頑張ろうと思わせてくれますよね」
と言っていました。おそらく同僚もそんな経験をしたのかもしれません。人間誰もが失敗をすると思います。なので大変だったり、失敗をした同僚を見た時は共感し、助け合う必要があると感じます。その失敗に対して周りがどんな対応をとるかによってその保育園や会社の方向性が大きく変わってくるように感じます。
これを機に楽しんでしまおうというような姿勢がよく見られます。その職場の雰囲気からマイナスをプラスに変えてしまう力を非常に感じました。
その考えの原点はまさに塾長の考えから生まれていることはお分かりだと思います。
そんな考えが職場全体に共通していることが良いチームのあり方だとも思います。
そんなことを失敗から学んでいます。
(報告者 本多悠里)
失敗をこのように捉えておられる本多さんはすでに楽観的な説明スタイルになっているように感じました。周りのみなさんもきっとそのような人が多いのかなと想像しました。失敗は誰にでもありますね。一生懸命やった失敗を責められるともうぺったんこになってしまいそうですね。一生懸命やったことはフォローされたいですし(甘いですかね笑)、自分も相手がそうなった場合にはしっかりフォローできる人でありたいと思います。失敗したくてやっている人はなかなかいませんよね。そして、失敗して一番「しまった」と思っているのはほとんどの場合失敗した本人なのかもしれませんね。「失敗をした同僚を見た時は共感し、助け合う必要があると感じます」というのは本当にそうですね。失敗した人の気持ちにさらに追い打ちをかける様な姿勢はきっと子どもにも同じような関わりを自然としてしまっていることもあるように思います。同僚への関わりは子どもへの関わりとかなり繋がるというより、同じように表れるように思います。
この話の凄いところは、本多先生が失敗と表現する出来事のその結果が、子ども達にとっても大人にとってもとんでもなく楽しみなものへと変貌したことであります。抽象的過ぎて伝わらないかもしれませんが、とにかく面白いことになりました。良い方向へと転んだという言葉以上の言葉が思い付かないのですが、最高の好転を目の当たりにしました。
藤森先生の度量の大きさ、職場の方々の度量の大きさを感じると同時に、自分の気持ちを素直に表現される本多先生のような先生が保育の現場にたくさんいるといいのになぁと、改めて思いました。