失敗と成功

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秘密基地を作っています

内装準備

外装を考案する子たち

初日で完成には至りませんでしたが、次回どんなものを皆で作りたいかを、

設計図にして

設計図

この子の提案は、

基地の屋根

それを、

皆の前で発表します。

①僕は・私は、○○の設計図を描きました
②設計図の説明
③(説明を)終わります

質問を受けます

子どもたちは質問をすることも、されることも好きですね。提案した内容も深まるようで、盛り上がっていました。

完成までどういう流れでいけばいいものかと、また、何をもって完成とするものかと思っていたところ、塾頭山下先生の言葉ではっとなりました。

「完成しなくてもいいじゃない。」

「別に失敗でもいいじゃない。そこから学べばいいのだから。」

ブログ『臥竜塾』2008年8月19日『失敗と成功』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
 本当の意味で、成功者になりたいですね。

このような活動を通して、子どもたちと一緒に学んでいきたいと思います。

(報告 加藤)

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