2歳児クラスでビーズのようなカラフルで小さいものを、白い枠の中にプチプチっとはめていく遊びが流行っています。
4月当初は、この玩具を出しても、容器をシャカシャカと振って遊んだり、床にザーッとこぼしてみたり(笑)本来の遊び方とは違った遊び方でもって子ども達を楽しませていた玩具でしたが、最近は本当に集中して遊べるようになりました。パズルも同様で、そんなところからも子ども達の成長を大いに感じています。
一人の子が夢中で同じ色だけをはめていました。すると女の子が混ざってきました。同じ玩具を二人で協力して遊んでいます。
そのテーブルの隣です。これもまた同じ色で集めることにしたようです。違う玩具ではありますが、遊びが影響しあっていることを感じさせます。
そこに混ざってきたのがこの子。
もう既に原型が出来ていますね。この遊びの最初はこの子が青だけでこの玩具の模様をつくっていたことが、事の始まりだったようです。確かに最初の写真をよく見ると、青がほとんどないことがわかります(笑)
遊びが物理的にも影響し合っているようです。
そして、青がなくなったので、空いているところに緑を入れていった、という流れです。
ここで、クラスの先生からの素晴らしい一言が入ります。
「目もやってみたら?」
たった8文字の衝撃。この言葉で、この子の創作脳がグルグルグルーッ!と回転したのがわかりました。
見事完成。その名も『おばけ』です。
この作品はすごいと思いました。その後数日間そのままにしておいてもどの子も分解しようとしなかったことを思うと、子どもからしても、何か壊してはいけないような、『作品』としての雰囲気が出ていたのかもしれません。
また、ここに辿り着くにあたって、子どもの意図を理解し、想像力を掻き立たせ、完成へと導いていったあの声掛け。新宿せいが保育園が誇るベテランの先生によるアプローチですが、この結果(作品)を見ると、やはり洗練されたもの、例えて言うなら洗練された保育観が心に宿っていることを感じざるを得ません。
この作品を見ると、子どもってやっぱり天才だと思います。重ねて、藤森先生の言葉が頭をよぎりました。11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2006年8月24日『かっこよさ』の結びの文章でした。
〝どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。〟
子どもの才能を認める大人がいてこそ、光る才能がある。才能に満ち溢れた子ども達を前にして、僕らは日常、どれだけの才能を認められているのでしょうか。
子どもの才能と、それを見守る保育者の姿勢に感動しつつ、日々の自分に対して強い内省の気持ちを沸かせるこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
完成した「おばけ」の作品を見て、まず思ってしまったのが「あれ、どこに目があるんだろう?」でした。よく見たら分かるし、一度見えてしまったらそう見えるのですが、この緑と赤の色の区別がなかなかつきませんでした。
自分でもよく分からないのですが、このあたりの色の区別が瞬時にできないのです。なので、時折、とんでもない色使いをする時がある私です笑
と、そんなことは話とは関係ないですね。すいません!
天才でもそれを受け止める人がいないと開花しない。才能を認める大人がいてこそ。という言葉に、自分はそんな保育者になれているだろうかと思いました。同時に子どもにとって、周囲の人にとってそんな存在でありたいと思いました。相手のあらを探すのではなく、いいところを探せるような考え方、捉え方ができる人間でありたいです。
「どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。」という言葉。しびれますね〜。私たちは、日々、子どもたちにそのへんの器量を試されていると言っても過言ではないようですね。そして、「目もやってみたら?」という一言の力。たったこの一言を言うだけで、子どもの創造力を駆り立てられるのだなと思う一方で、なかなか現場でその一言が出せないというもどかしさも感じています。あれやこれやと考える前に、自然とそのような言葉が出るような人になりたいですね。