先日、子ども同士のけんかがありました。
私が入った時点でかれこれ、20分くらい経過していました。
はじめは男の子が遊んで、女の子が「遊ぶのやめて」と指摘し、話をするためにその様子を注意していました。
しかし、男の子は遊ぶのをやめません。
そんなとき、おやつの時間が始まり、子どもたちは食事の部屋に移動してしまうので、部屋には二人だけになりました。
そこで初めて男の子は気づきました・・・そう話が終わらないとおやつが食べれないということを・・・
それから怒涛の「ごめんなさい」攻撃!
しかし、女の子は「そんな謝り方やったら、許したくない!」とかたくなです。
すると、男の子は「謝ってるやん!許して!おやつ食べたいねん!」と机をたたいて訴えます。
しかし、女の子は許しません。
当然ですね。謝るのはおやつを食べたいからで、女の子に悪いと思って謝っているわけではないですから。
その後、このやりとりが数分続きました。
最終的には男の子の根負けです。
女の子が男の子になにで起こっているのか。なぜ許さないのかを話し、「今度やったら、もう絶対許さんからな」
「絶対やで!」と注意し、あれだけ強気だった男の子もうなずき「わかった」「ごめんね」
といって、この喧嘩は終わりました。
普段、こういった喧嘩にもう少し早めに大人が入り、仲裁をすることが多かったのですが、子どもたちを信じ、そのやりとりを見守ることが大切だねと職員の先生と話をしました。大人が介入し、話を収めるのは簡単です。しかし、今回の男の子のように「ごめん」といえば、許してもらえると勘違いされるとそれは大きな間違いです。「ごめん」「いいよ」というのは大人からみると「おさまりのいい喧嘩」かもしれませんが、今回の女の子のように納得いかない場合も多いかもしれません。こういった喧嘩は時間がかかるかもしれません。
しかし、この時間をかけることを大切にしなければいけないように思います。そうすることで、本来の形だけの喧嘩ではなく、「内容のある喧嘩」になると思いますし、それこそがコミュニケーション能力をつけることに大きく影響するように思います。そして、そのために子どもたちの理解を深め、信じ、「見守る」こと、距離感を見通すことが保育者としては大切だなと改めて子ども達から学んだ気がします。
藤森先生の講演でも
「大人が介入することで、子どもたちの発達を止めてしまうことがある。だからこそ、しっかりと子ども理解をしたうえでどう介入するかを考えていかなければいけない」と言われていました。
また、「保育者はねらいをもって子どもたちが発達できるように見通しをもち、違う場面に向かいそうになったときに軌道修正する必要がある」ということもおっしゃっていました。
この軌道修正の介入はとても難しいですね。それこそ、子ども理解ができていないと無駄な介入になるかもしれませんし、逆に放任にもなりかねません。
子ども達は十人十色です。だからこそ、しっかりと子ども達一人一人を理解し、見守っていけるようにしたいと改めて強く思いました。
(投稿者 邨橋智樹)
「子どもの姿を信じて…」とありました。子どもたちと関わる中でどう関わった方がいいのか、どう介入していけばいいのか、少し距離を置くべきなのか、と保育者は考えますね。それはその子のそばにいるからこそ、その子のことを一番理解しているからこそだと思います。私はそんな大人が考えた関わり方のほとんどは間違った関わり方ではないと思います。それは、その子のことを一番理解している人が考えているからこそだからですね。今回の子どもたちの喧嘩を見守る職員の方々もこの子たちのことを理解しているからこその関わりですね。大人の関わり方も信じるということもまた大切なのかもしれませんね。