子どもたちの影響力は保育者を越えるということを改めて最近経験することができました。
というのも、今私の働く園の1・2歳児のクラスで言葉のまだでない子どもがいました。今年度が始まった当初も話を聞くことは特に問題はなかったのですが、言葉は「ア~ア」や「ン、ン」といった喃語のような言葉でした。園にもなかなか慣れなかったのですが、先生の中で落ち着く先生を見つけてからは少しずつですが、保育室の中でその先生の近くで遊ぶなど少しずつ慣れてきました。そんな子なのですが、最近になって、一語文が少しずつ出てきました。保育士はなによりもそのことが嬉しく、今その子の様子を見ています。では、その子にとって、何が言葉を出すきっかけになったのでしょうか。
その子は家庭でも、言葉の練習をしても、あまりうまくいきません。単に言葉の遅れだとはいえ、それでも2才児で高月齢の子どもにとってはやはり遅いです。そこで言語療法士のかたからのアドバイスがありました。「一番良いのはお世話の好きな女の子がいると言葉が出てくるかもしれません」なるほど、それはあるかもしれない。そんなことを言われたからかどうなのか、今年度も終盤に入っていく12月になんとお世話をする子どもと遊んで居るではありませんか!!「おやおや」と見ていると、その女の子と一緒に遊んでいるうちに喃語の発声がとても力強くなってきます。もう少しだね。保育士の他の先生といっていると家庭から来るお便り帳には「初めてパパ、ママと聞きました」という内容が!それからは「保育者の名前が出てきました」というように少しずつですが、言葉の出てくることが多くなってきました。
まだまだ、保育園ではそれほど言葉を発していないのですが「嫌」や「パパ、ママ」など確実に単語は増えています。もちろん発達によって追いついてきたという見方はあるのでしょうが、安心する先生、慣れていた環境、そしてなにより子ども集団の中にいたからこそ、より言葉の発達が促進されたというのは間違いないことだと思います。大人はジェスチャーで察したりしますが、子ども同士ではそれだけでは伝わりきらないところもあったと思います。しかし、そうではなく、一番は声の出ない子にとって、発声している子どもの姿がモデルになったからではないかと思いました。考えてみるとその子は職員の膝の上にいながらも子どもたちの遊ぶ様子を観察していました。
言葉のでなかった子どもの変化はそれまで大人と関わりばかりだったのが、子ども同士に変わってきたその時に大きく変わりました。改めて子ども集団の大切さを感じるとても良い機会でした。藤森先生の講演の中で「ミラーニューロン」というものがありました。そこの記述にとても気になることが・・。「ミラーニューロンが言語の発達と言語の進化にとって極めて重要な脳細胞であるという仮説において信憑性を持たせることになるのです。」なるほど、もしかしたら、子どもたちのこの変化はミラーニューロンが大きく関わっている様子ですね。ブログ臥竜塾の中に「ミラーニューロンは、他人が受けている状況に共感する能力」とあります。そして、その能力は「非言語コミュニケーション」や、「模倣」はそのミラーニューロンのためにできるらしいです。たしかに子どもたちにとって、大人の模倣もモデルとしては必要でしょうが、やはり子ども同士の関わりというのは一番近いモデルであって、大人がモデルを示すより、より大きな影響を子どもに与えているというのを感じます。そして、それは遊びだけではなく、子どもたちの生活や発達にまで、大きく影響が起こることだということを改めて感じました。
(投稿者 邨橋智樹)
進学を機に地元を離れました。といっても県内です。同じ県内でも、方言が微妙に違うのですが、不思議なことに暮らし始めてから数ヶ月で、その方言を自分が使っていることに気がつきました。長期の休みに友だちに会ったりなんかすると、関西弁だったり、福岡弁だったりといろいろな方言を喋る友だちが増えていました。どうしてだろうと?と考えて思ったのは、その土地の共同体に早く馴染むために無意識にその土地の言葉を話すようになるのかなということを思いました。それは生きていく術でもあるのかもしれません。そんなことを思い出したのですが、これはミラーニューロンが関係したりしているのですかね。今日の内容を読んで、そんなことを思い出しました。馴染むというのは仲良くしたいということでもあるのかもしれませんね。
子ども同士の関わりの大切さを改めて感じると同時に、〝お世話好きな子〟の計り知れない影響力を感じます。〝先ず与えよ〟とは多くの先人の方々が共通して言われていることと思うですが、お世話好きな子の心には奉仕の心があり、貢献しようとする人間の本能からくる優しさのようなものがあると思います。そういう子の影響で良い方向へと変わっていく子の姿を見ると、その力の凄さを目の当たりにしたような思いがしたのではないでしょうか。素晴らしいことですね。