以前、保育園の研修で、株式会社エールの販売員の方が研修に来られました。その会社は体育教材を販売していているのですが、そこの会社では安田祐治氏が考案した安田式遊具というものを開発しています。
その安田氏は「教育学、体育学、霊長類学…人間の成長に関する学問分野は数多くありますが、子供の成長の側面から遊びを実践的に研究したものはほとんどありません。学者は子供の遊びの現場を知らず、現場の教員の多くは子供との触れ合いの中から得た知見を理論化することが少ないためです。」というものでした。そこから現場にある体力強化のための訓練用、安全第一の公園遊具、見かけのデザインが主体である等、子供達の発達や体力、活動意欲に合わない遊具から「自らの発意で取り組み熱中できる遊具」の開発・改良をしてきたそうです。
その考えから端を発した株式会社エール。その遊具の考え願いの研修でキーワードに上がったのが「伸びる子は共感する」・「やりたいという意欲」そして、それが実現できる環境作りでした。とても、見守る保育の考えに近いように感じます。
その販売員の人が子どもを見ているときに安田氏によく言われるのが「指導しすぎ」ということらしいのです。体育指導で指導をせずに伝えるというのもなかなか難しいのでしょうが、その販売員の人がいうには「大丈夫です。できる子を褒めることで周りに伝えていくようにすれば、自ずとみんなが真似し、できるようになります。」とのこと、このこともせいがにいったときに自分が意識していて、よく聞いたことのあるフレーズです。
そして、始めに遊びを伝えるときには「先生が遊ぶ→子どもが真似る→一緒に遊ぶ→見ている子がやろうとする」という一連の流れで遊びを通して、できるようにすることを引き出していくことが大切とそこでも話していました。
非常に今やっていることとリンクしているのをすごく感じます。そして、本当に子ども主体で保育や教育をしようとしている人や、能力を「引きだそう」と考える人はおのずと似た思考になってくるのかなと思いました。(投稿者 邨橋)
子どものために何が最善なのかと考えておられる人の思いは共通するのかもしれませんね。逆に、それは子どものことを考えてやっているのだろうか、大人のために子どもを動かしているだけなんじゃないかと自分がしている活動、関わりを反省することの大切さも感じました。僕自身、まだまだです。
邨橋先生のご意見に賛成です。子どもを主体として考えた時に、行き着く先に似通った部分があることは、藤森先生が考えてきた保育園が、特にドイツを研究して保育を構築したわけでなく、ドイツを訪れて、ドイツの保育に影響を受けて保育を考えたわけでもないのにドイツにある保育園やドイツの目指す保育のスタイルにとても近いこと、等が例として挙げられると思います。素晴らしいことですね。
先生が遊ぶ→子どもが真似る→一緒に遊ぶ→見ている子がやろうとするという一連の流れは、正に子ども達が主体となっていくであろう最初の部分、導入の部分と言えると思います。きっと子どもの主体性を活き活きと発揮できる安田式遊具は、子どもを主体として考える先生にとっても楽しく、子ども達もあそんでいてとても楽しいものなのでしょうね。