私の実習3日目は、1歳児クラスに入りました。
「1歳児の生活の様子を観察し、発達段階を理解する」という目標のもと、1日子どもと関わって抱いた感想がこちらです。
『今日、感じたキーワードは“言葉”です。個人差もありますが、月齢が高い子は「おしっこ」と自分の口で言えたり、保育者や友だちに対しても言葉での関わりの多さに驚きました。発達段階も言葉がでてくることによって高くなり、言葉の数が多い子ほど、友だちとの関わりを楽しんでいる所があると感じました。なかには、自分の気持ちを言葉で伝えようとしているのになかなかその言葉がでてこない子もいると思います。そんな時に保育者が、その子の気持ちを言葉で伝えることで、「あ、こういう時はそう言えばいいのか」と自然に言葉を覚えるきっかけになると思うので、この時期の保育者の“言葉”は発達上とても重要になると学びました。』
まだ、発達を段階的に捉えていたり、言葉以外にも子ども同士は関わり合っていることには気がついていないようですね。しかし、発達を一番分かりやすい「言葉」の面から観察したことにより『明日は、子どもの気持ちを汲み取れるように、「おしっこ?」「おかわり?」「青いおもちゃがいいの?」「うれしいよね」「気持ちいいね」などと様々な声かけをし、発語を意識したコミュニケーションをしたいと考えています。』とも書かれており、その時期の発達(発語)を促す環境として“保育者の言葉”に注目してみようとする様子もありました。
塾長の「臥竜塾」ブログには、『「共感」というのは、とても大切なことであり、子どもたちの「フロー」という状態に対しても、「共感」が必要になります。子どもと一緒になって、常に今起きていること、子どもが現在直面していることに、一緒になって興味・感心を示すことが必要です。他人がどう感じているかを察する能力は、子育てや教育だけでなく、セールスや経営や恋愛、あるいは気配りから政治的行動にいたるまで、人生のありとあらゆる場面で必要になるとゴールマンは言います。』と書かれてあります。
今思い返してみると、実習園の保育者が発していた言葉とは、すべてが子どもに対する「共感」の言葉であったと感じます。そうすることで、「他人がどう感じているかを察する能力」を促し、生きていく上で必要な「共感」を育もうとしていたのだと理解しました。
その日の〈実習指導者所見〉欄には、こう書かれてあります。
『実習お疲れさまでした。1歳児クラスでも月齢差が大きく、体の大きさや言葉がたくさん出ている子や、まだ喃語しか出していない子と様々ですね。なので、自分の気持ちを言葉で伝えられず、つい手が出てしまう子もいます。その都度、私たちはその子の前後の行動、気持ちを理解し「こうしたかったんだよね」などの声かけをしています。言葉で伝えるというのはとても重要なことだと私も思います。私も子どもの気持ちを汲み取ることを難しく思っています。小松崎さんも、子どもの気持ちを汲み取れるよう頑張って下さい。』
この園の保育士は、実習生に対しても「共感」を実践しています。また、保育士になったとしても必ず子どもの気持ちを理解できるということではなく、現場の職員も日々悩んでいる、その過程を一緒に共有・共感し合って学んでいきましょうといったメッセージが込められているのでは、と感じました。子どもと関わる同じ“人”として見てくれている感じがして何だが嬉しかったです。
(報告者 小松崎高司)
若いから、実習生だからとぞんざいに扱われては、保育そのものに対する意欲まで削いでしまうことになり兼ねませんね。
この仕事をしていると子どもから教わることが多い、という言葉をよく耳にします。新しい事柄を自分の中に取り入れるができる人であると解釈ができると思います。そういう人は、子どもからは学べて実習生からは学べないということはなく、自分の枠組みを広げる為に、様々な人から学ぼうとするものです。保育とはこういうものだ、自分とはこうだと決めつけてしまっては、頭の固い人となって子どもからも大人からも敬遠されてしまうでしょうね。学び続けることの大切さを改めて感じます。
その日の実習の目標に「1歳児の生活の様子を観察し、発達段階を理解する」とありました。そんな目標から、実習生である小松崎さんは「言葉」の発達段階に注目し、感想を書いておられました。自ら立てた目標を意識し、その日の子どもの様子を観察し、感想として感じたことを書いておられるこの形がいいなと思いました。ただ、欄を埋めるからということで適当に目標を立ててしまってはこのような小松崎さんの感想にはならないように思います。正確な子ども理解は短期間ではなかなか難しい部分もあると思いますが、目的を持ち、行動し、考えるという形がしっかりできていれば、きっと意味のある時間になるのではないかと思います。小松崎さんの日誌からはそんなことが伝わってきます。