寄り添うこと

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新年度になり、今年度は1歳児クラス担任となりました。そこでは、3・4・5児クラスでは感じたことがないような、多くの自分の中での葛藤と出会っています。正直、子どもが何を感じて、何を思っているのかが分からない時があります。そんなことを思っていると、先日の臥竜塾でも報告された、塾長の「乳児と障がい児に関しては、強い思いは通用しないんだよ。理屈も分からないから、いくら言っても通用しないんだよ。まず通用しない相手には、とにかく気持ちに寄り添ってあげることが大切。そしたらそのうち向こうから素直に近づいてくるから」という言葉を思い出しました。

最近、理屈で考えすぎているのか、頭が固くなってしまっていたかもしれません。そういった大人の言動や思考に、いち早く反応するのは“子どもたち”です。まさに、こちらが何を言っても通用しない経験をさせてもらっています。(笑)

そこで、「寄り添うこと」とはどんなことなのだろうと考えてみようと思いました。

まず、べったりと密着している様子ではないことは理解できます。まだ、信頼関係の出来ていない人からそうされたら、きっと困ってしまいますね。もちろん、負の状態に陥っているなど、時によってはそれが必要な時も出てくるかと思いますが、その見極めが大切ですね。ということは、おそらく体よりも、「心」に寄り添うということであると感じます。

次に、相手にこちらの意図を感じてもらうために、耳や心を傾けようとする存在にならなくてはいけません。相手の気持ちを否定せずに耳を傾ける「傾聴」こそが、その始まりであると思うのですが、あれやこれやと言いたい気持ちを押し込める努力が必要ですね。そして、こちらがどのようなスタンスで「傾聴」しているかも重要であると思います。真心を持って、真摯に向き合っているかなど、自分の中から嘘偽りを無くすことが、「寄り添う」には必要なことであったのだと理解しました。確かに、始めから子どもに好かれる人というのは、なんとなく始めから人柄や人の良さがにじみ出ているような印象を持ちます。子どもはそんなものも感じとっているのでしょうか。

そして、やはり「共感」は必須ですね。子どもが向いている方向を見たり、その時の感情を共有したり、その瞬間その瞬間にある出来事に、自分も同じ気持ちでいることを伝えながら、相手の心の波長に自然に合っていくことが、寄り添っていく過程でもあると感じました。

そんな思考を巡らせている中、1歳児のある子どもが、自分が遊んでいた玩具を他児に取られて泣いている場面に出くわしました。よし!まずは自分の中から噓偽りを消して…傾聴して…共感して…と、色々と考えている最中、その子のそばにいた1歳児が、棚の上にあるティッシュ目指してトコトコ歩いていきました。その動向を見ていると、手を目一杯伸ばしてティッシュを棚から落とし、そこから一枚抜き取ると、泣いている子どもの涙を拭いてあげていたのです。この瞬間、私は「寄り添うこと」について色々と考えることはもうやめようと思ったのです。

なぜなら、今度からは、子どもが子どもにしてあげていることを真似しよう思ったからです。泣いていれば近寄って様子を覗きこんだり、楽しいことをしていれば一緒に同じことをして楽しんだりなど、子ども同士が遊んでいる様子、子ども同士が関わっている様子、それらを真似すれば、自ずと「寄り添うこと」ができてくるのではないかと、強く感じることができました。

(報告者 小松崎高司)

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寄り添い

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寄り添うこと」への2件のフィードバック

  1. 今年度は小松崎さんの乳児目線の報告が楽しみだなと昨日、なぜか急に思ったのですが、さっそく、さすが小松崎さんという目線での報告を読むことができ、小松崎さんの気づきに私もわくわくしています。それは、きっと自分もこんな視点を持って保育をしたいな、するぞ!と思っているからかもしれません。新入児(乳児)さんや、乳児クラスの子の側にいくと、知らない顔の私に警戒する子、様子を伺っている子、なんだか気を使って近寄ってきてくれる子、あまり嫌がらない子と様々な子どもたちの姿があります。そんなそれぞれの子どもたちの反応から思いを想像したりしています。先日の藤森先生の言葉から、私も乳児クラスに入る時には、そんなことをぼんやり考えるようになりました。そんななかでの小松崎さんのスタンス、そうしようと思うに至った経緯はとても勉強になります。寄り添うこと、私も意識して、実践していきたいと思います。

  2.  親は子どもより20年遅れていると言います。子どもから学ぶということを意味している部分もあるかと思うのですが、僕は新宿せいが保育園に勤めさせていただいてから、子どもから学ぶという姿勢が、ものすごく大切なことであるということを改めて、実感として学びました。
     〝学ぶ〟の語源が〝真似る〟であることは周知のことであると思います。文中に〝真似すれば、自ずと「寄り添うこと」ができてくるのではないかと、強く感じることができました。〟とあり、まさに子どもが僕らにそのお手本を示してくれているのですね。先日も、お友達家族とピクニックをした際に、僕が手を拭いても嫌がる息子にそっと近づいて、「手、拭こ?」と優しく拭いてくれたお友達の息子さんがいました。2歳の息子と同学年であり、その優しさやタイミング、そして息子から憧れの眼差しを手にしている部分は真似できるものではないのですが(笑)とても勉強になりました。
     時代の最先端であり、過去からの遺伝子が積み重ねられてきたその最高の集大成が今を生きる子ども達です。この子達から学ぶこと、この子達を真似ることに、ヒトが成長する要素がふんだんにあることを改めて感じます。

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