そろそろ今年も終わりに近づいてきました。そうなると忘年会など飲み会が多くなるシーズンですね。私も先日から実家に帰省しました。
そして、偶然にも小学校の時の同窓会が帰省の日の夜にあると連絡があり、また当時の担任の先生も来られると聞き、卒業してから一度もちゃんとお会いして話した事がないので、是非会って当時の思出話をしたいと思い参加しました。もちろん息子が寝てから参加したので、遅れての参加です。
会場は同級生が親が経営している中華料理店で一緒に働いているので、そこで行いました。
お店に入ると、まず驚いたのは人数です。私はてっきり大勢いるかと思いきや、私を含めてたった6人でした(笑)
ただ、その方がゆっくりと思い出話に花を咲かせるので、個人的には良かったです。
さて、もちろん小学校の思い出話になるのですが、やはり皆から私の印象は良くも悪くも色々な意味を含めて強かったそうです。ただ先生からすると、そんな自分でも泣き虫なところが良かったと言ってくれました(笑)まぁ今もそんな感じですね。結局は大人になってもベースは変わらないというのが結論です。
ただ小学校の頃は確かに楽しかった印象が強いですが、だからといって鮮明に覚えているか?と言うと意外とそうではなく、かえって嫌な思い出の方が残っています。先生に怒られた時、友達とケンカをした時などです。
数年前に同じように帰省の際に母が私の幼稚園の頃の連絡帳を出してきました。
それを読むと、まぁひどいこと(笑)今で言うと確実に加配が必要な子どもですね。気に入らないとすぐに手を出すし、物は壊すし…。その中で一番ショックな内容が書かれていました。
それは幼稚園~小学校まで仲が良かった友達がいました。親同士も知っていたので時には夕飯もご馳走になったりと、よく遊んでいました。しかし、その日の連絡帳にはその友人の事が書かれてあり
「◯◯君がたすくちゃんにいじめられるから…と言って幼稚園に行きたがらないそうです」と。
それを読んだ私はとてもショックを受けました。仲がよいと思っていたのは自分だけで、実は彼をいじめていたんだ…と。
よく塾長の講演で
「子ども同士のトラブルでひっかき、噛みつきで怪我をしてしまったら、危害を加えた方よりも、された方をしっかりケアをしなさい。やった方はすぐに忘れるけど、やられた方はショックが大きい…」
また塾長が小学校の教師をしていた時に、悪の中学生を家に読んで勉強を教えていたりと世話をしていた時の話でも、だいたい非行に走ってしまう少年は過去にいじられていた少年が、自分を守るためにやる側に回ったり、非行に走ると…。
これらの話しを講演でも何度も聞いていたので、自分の連絡帳を読んでいて、すぐに頭の中に塾長の話を思い出しました。
子ども同士のトラブルが起きたときに、つい悪い方を強く怒ってしまいます。もちろん悪いことを本人にちゃんと伝えることも大切ですが、それよりもショックが大きく、心に傷を負った方のケアをしっかりしないといけませんね。(投稿者 山下祐)
やっている側とやられた側でも受け止め方が違ってくるのですね。もしかすると私もやっている側に回っていたこともあるのかもしれませんが、記憶の中にはないので調べるのは難しそうです。記憶というは自分に都合のいいように解釈してしまったものも多いのですかね。また、相手の思いと自分の思いが必ずしも一致している訳ではないということもあるんだぞと思えば、ちょっと冷静になって相手が思っていることを想像する努力はした方がいいのかなと自分を振り返り反省しました。山下さんの幼少期の話はおもしろいですね。今の山下さんと比べて、想像がつくような、いやそうでもないようなという感じですが、同じクラスにいたらどんなふうに関わっていたのかなと考えるのもおもしろいです。
塾頭の報告を読んでから僕も母方の実家へ遊びにいったので、来ていた子ども同士がトラブルになった時は、やられた方に配慮してあげることができました。よくやった方は何の気なしに「ごめんね。」とすぐ言います。「やだ。」と言うと「ごめんねって言ったのにいいよってしてくれない」となることもあり、大人から見て大したことがなければ、やられた方が許してあげない心の狭さを突いたりすることもあるかと思うのですが、やられた方が「許せない程傷ついたんだ」ととることもできます。どちらの気持ちも汲んであげられよう、こういった報告や、藤森先生の見解を知って、自分の枠組みを広げていきたいと思います。