明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
新年の始まりとして塾生全員で、挨拶を書いています。
その中の本多先生の挨拶の中でお子様が生まれるという報告があり、なんとも嬉しい気持ちになりますね。本当におめでとうございます。
先日、そんな本多先生を見ていて、素敵な保育をするなぁ、この人は素敵なパパになるだろうなぁと改めて思ったことがあったので、報告させていただきます。
本多先生は言わずと知れたけん玉名人です。亀田君のお母さんからつい先日伺った話では「家では本多先生に憧れてけん玉ばっかりやっている。お父さんが本物のけん玉を買ってきたりと、皆で応援している。」ということでした。
その亀田君が、憧れの人の前で、難易度の高い『うさぎとかめ(もしもしかめよ〜♪と歌いながらけん玉を連続で成功させていく技です)』に挑戦しています。
今まで一度も成功したことがない、という事実を知り、見守るこちらの手にも力が入ります。
本多先生が素敵なのはこの後で、
〝おしかめ〟になっているところが本多先生らしくてたまりませんが(笑)このようにして、自分のがんばりを認めてくれる人が傍にいる、憧れの人が褒めてくれる。子ども達からしてみても、大人から見ても最高に嬉しくて喜ばしくて、素敵だなぁと思うことを、とても自然にやってしまうのが本多先生です。
本多先生のような魅力溢れる人は、きっと素敵なパパになることでしょう。
11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年2月24日『社会人としての先輩』の中でこう書かれています。
〝保育者という仕事は、私からすると、非常に社会貢献をしている仕事だと思うのですが、最近は、なり手が減ってきています。そんな時、大人は若者に何を伝えればいいのでしょうか?(中略)
社会の先輩は、決して年功序列としての意味ではなく、若者に真摯に仕事に向かっている姿を見せることは、仕事に就こうとするためには必要なことのようです。(中略) よく、「最近の若者はダメだ!」とか、「今の若者は…」ということを聞くことがありますが、どうも刷り込みが多いようです。もしかしたら、若者をダメにしているのは、大人かもしれません。もっと、堂々と先輩の姿を見せ、話をし、きちんと教えていく必要があるようです。〟
最近『指導』という言葉にどこか抵抗を感じる人が少なくないように思います。それは、教える側も教わる側もそうで、教えても教えがいのないような反応をされてしまうのが怖い。教わる側も相手の言い方や教え方で怒られているように感じてしまい、教わること自体が嫌になってしまう。その気持ちが簡単なコミニュケーションをする機会すらも奪ってしまい、最悪の場合は、相手をお互いに陰で責め合うような、そんないびつな関係になってしまいます。
ですが、この本多先生の姿はどうでしょうか。その子のがんばりを認め、評価し、嬉しい言葉で褒めてくれる。それが、その子の意欲となり、原動力となり、もっとがんばろうという気持ちを奮い立たせます。
これは、対子どもだけでなく、対大人、例えば、職場で後輩を指導すること、人を育てることなどにも当てはまる、とても重要な姿勢のように感じられます。
『臥竜塾』ブログ2014年2月24日『社会人としての先輩』は、最後、このような文章で締めくくられています。
〝新人教育の場面でもこんなことを報告しています。「トヨタ自動車などの大企業は現場で対話を通じ人材を育成する。新人ととことん話し趣味や価値観を知り、組織の目標とすりあわせていく。上司は自分の部署に配属された新人について、いい所をどう伸ばし同期のトップに立たせるか、考えてみてはどうか」
これらの提案は、保育園・幼稚園でも新人教育の参考になります。最近、園での課題として新人教育のことを聞かれることが多いからです。その答えの一つのヒントを、常見氏(人材コンサルタントの常見陽平氏)はこう言っています。「職場でも論壇でも、世代間で大事なのは対立ではなく対話。大人が対立をあおってどうするんですか」〟
子どもに憧れられる存在になれる人は、人間的魅力に溢れているように感じます。
一生懸命がんばる子どもに対する温かな眼差し。それを自然に表現される本多先生という人に、人を惹きつける魅力とは何か、その答えの一端を感じたこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
亀田くんが本多先生に憧れているということから、亀田くんが本多先生を信頼していること、そして、それは本多先生のお人柄があってこそなのだろうなと思いました。本多先生が喜んでおられる姿、賞状を書いておられる姿、写真からそれがすごく伝わってきて、僕もなんだか嬉しくなりました。改めて、保育者は人格者でなければならないこと、そして、私自身もそのような人間になっていきたいなと思わせていただきました。