wikipediaには、「手」について『「手」は脳の中では、(舌・口と同様に)人体の他の部分の実際のサイズの比率のと比較してかなり広い面積が割り当てられていることが明らかにされている。人間にとっての手の重要さ、脳が扱う身体活動の中に占める手の活動の割合の大きさが判る。(肉体の実サイズでは、例えば腹や腿のほうが大きいのに、脳の中の割り当て領域の広さでは、腹や腿よりも手のほうが大きいのである)』と書かれていました。人が、周りの環境に対して物理的に働きかける時には、ほとんど「手」を使うかと思います。その「手」には、脳につながる神経細胞が他の部分に比べると多く、手を活発に動かすと、その刺激は脳の多くの部分に伝わるということになります。また、『手は鋭敏な感覚器でもある。』とも書かれていました。
乳幼児であっても、自ら手や指先を使って物と関わろうとしたり、微細な運動を求めるのは、自発的にその刺激を脳に与え、その機能を活性化させようとしているのかもしれません。そういった刺激と同時に、脳の社会的な部分に刺激を与える行為の一つとして、他者と『手をつなぐこと』があるのではと思いました。
最近、1歳児の子どもたちが、子ども同士で手をつなぎ合う姿をよく目にします。部屋の中で手をつなぎ合って遊ぶ場所を移動したり、手をつなぎ合ってクッションにダイブしたり、手をつなぎ合って排泄場所から部屋まで戻ってきたり…。そんな疑問を抱いていると、ある日こんな声が聞こえてきました。
「じゃあ、◯◯くんと◯◯ちゃん、一緒に手をつないで戻ってね〜」
この声は、1歳児クラスにヘルプに来てくれた、職員室フリー担当のN先生でした。よく思い出してみると、同じクラスのC先生もよくこんな声かけをしている気がします。これは、排泄を終えた1歳児2人に対しての言葉がけであり、一緒に手をつなぎ合って遊びの空間まで戻ってもらうためのものであると思います。その言葉をかけられた2人は、目を合わせてまずポカンとしていました。しかし、数秒後、その言葉がけを理解した、又は自分なりに解釈できた方から「てって、てって(手)」と言って手を差し出していました。すると、相手の方も手を差し出してつなぎ合い、自然に笑い合って遊びの空間まで2人で戻ってきたのです。
先日、「探索と蟻」というテーマによって報告させて頂きましたが、排泄場所から遊びの空間までは少し距離があり、塾長からはその距離が1歳児にとって大切な「保育」であると学びました。その距離を、1人で探索するのではなく、2人で手をつないで探索することを促すという保育もあるのだなぁと感じました。そこでは、見守る保育で重要な「子ども同士の関わり」を生むための“言葉がけ”という「人的環境」が魅力を放っていたと思います。
この言葉がけが、最近の1歳児クラスの子どもたちの、手をつなぎ合う行動と関連しているとすると、「一緒に手をつなぐ」というキーワードが生み出す協力的思考は、子どもたちに社会性を感じてもらう素晴らしい言葉であると再認識することができました。
(報告者 小松崎高司)
あの他者と手を繋いだ時のなんともいえない感触は不思議ですね。好きな女の人と初めて手を繋いだ時のあの気持ちも淡い思い出としてありますが、そうでなくても誰かと手をつなぐ時はやはり妙な気持ちになります。それは嫌だということではなく、また気持ちというよりは、感触という部分が大きのかもしれません。自分の手が他者の手を感じる、他者を感じるというの言い方のほうがいいのかもしれません。手をつなぐことから、うまく言葉には言い表せないですが、思っている以上の情報?が自分の手を通して、入ってくるような感じがします。やはり、不思議です。『その「手」には、脳につながる神経細胞が他の部分に比べると多く、手を活発に動かすと、その刺激は脳の多くの部分に伝わるということになります。また、『手は鋭敏な感覚器でもある。』とありましたが、それは頷けますね。子どもたちが手をつなぐことでも、きっとそんな他者を感じる体験をしているのではないかと思うと、肌と肌が触れ合う体験の必要性を感じます。