手伝う動機

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登園後、

泣いている新入園児に寄り添う子たち

写真奥のすいすい組(5歳児クラス)の子は、わいわい組(3歳児クラス)の時にすいすい組の子に同じようにして朝の受け入れをしてもらっていました。

配膳の並び方を新入園児の子に教えるすいすい組の子

その子もまた同じように配膳の長い列に並ぶのは苦手な子なのですが、それがすいすい組という立場からこのような役回りを得ることになるのですね。

相互に影響し合いながら、育まれていくものがあることを感じます。

にこにこ組(2歳児クラス)の掃除のお手伝い

園庭で遊んでいるとぐんぐん組(1歳児クラス)の先生に頼まれました

ブログ『臥竜塾』2015年10月20日『手伝う動機』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもの手伝うという行為を、なぜ行なわれるのかは判っていないと言います。大人は、同情に動機付けられるわけでもなく、しょっちゅう人助けをしているのではないかと言います。両手にいっぱい本を抱えて、閉まっている扉の方へよろよろ歩いている人がいたら、何も言われなくてもさっと立ち上がって扉を開けるだろうと言います。これは、親切心と言うより、誰かがくしゃみをしたら反射的に「お大事に」と言うような、習慣に動機付けられたものかもしれないというのです。

 あるいは、幼児は助けられる相手を気遣うのではなく、助けるという行為を楽しんでいるだけなのかもしれないとも考えられるのではないかと言います。大人が、手の届かないところにある何かを取ろうとしていて、子どもがそれを手渡すとしたら、その動機は、問題が解決されるのがたんに快感だからかもしれないということもできます。いや、幼児のお手伝いは、大人が幸福のためではなく、大人の是認を得るのが目的なのかもしれません。お手伝いをしようとする子どもの姿は、愛らしいものです。もしかしたら、これが正解かもしれないとも考えられます。子どもたちのお手伝いは、大きな目や丸い顔のような、身体的な魅力と同じ、保護者に愛されるために設計された適応行動かもしれないと言います。

 これらの懐疑的な指摘は、とても面白いですね。ある意味では、こんな可能性もあるのですね。そして、それはどれか一つではなく、複数の理由が含まれているのかもしれないのです。

 しかし、研究者たちが得た証拠によれば、お手伝いは、少なくとも年かさの子どもたちによる場合、実際に、他者に対する純粋な気遣いによって動機付けられているということはわかっているようです。ブルームの同僚のアリア・マーティンとクリスティーナ・オルソンは、大人に、3歳児と遊んでから、ある用途に必要なものを取ってきて、と頼むように指示してみました。例えば、大人の近くに水が入った水差しが置かれているとします。大人は、子どもに、「水が注げるようにカップを取ってくれる?」と頼みます。頼まれたものが用途に適していれば、たとえば、カップにひびが入っていなければ、子どもはたいていそれを手渡してくれます。頼まれたものが、カップにひびが入っているといった具合に、用途に適さない場合には、子どもは取ってきてと頼まれたものには触れず、部屋の別の場所にある、ひびの入っていないカップのような、用途に適ったものを取ってくることを発見したのです。つまり、子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。

先日、各クラスへ見学へ行きました。

もうすぐ始まる『お手伝い保育』。どんな姿が見られるのか、とても楽しみです。

(報告 加藤)

 

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