皆さんはこの写真を見て何か気づくことはありますか?
普段の幼児クラスのお散歩の様子ではありますね。少し気になるのは保育士が先頭に立って歩いていないということです。つまり先頭は子どもたちということです
今回はお散歩での「歩き方」について焦点を当ててみようと思います。お散歩でも色々と注目すべき所はたくさんあると思いますが、目的地に向かうまでどのように歩いているのか、そして私が先輩保育士から学んだことを紹介したいと思います。
本来ならば保育士が先頭を歩いていくのが普通ですが、私の先輩保育士はそうではありません。一瞬見ただけでは危ないのでは?と思う方も多いと思いますが、実践してみると全くそうは感じません。というのは、次の写真を見ていただければわかると思うのですが、子どもたちに何やら声をかけています。
なにを話しかけているかと言いますと、
「3本目の木まで行ったら待っててくれる?」
と言っていました。
本当に待っていられるの?と思う方もいらっしゃると思いますが、子どもたちはしっかりと…
「1本…2本…3本!!」
と言って自信満々でそこまで行くと止まっているではありませんか。
もちろん、先輩保育士は先頭を歩いている子がどんな子かもよく知っていて行っています。
こうすることにより、少し道を渡る時などは先頭の子に「あの電信柱まで行ったら止まっていてくれる?」など先にあるも物を見て伝え、共有し、声をかけ先に行ってもらうことで先頭の先生が次の引率の先生が来るまで子どもが渡る道に立っていられるということです。
もちろん先生は先頭をしっかり見つつ、自転車などが来た時に対応ができます。次の先生が来たら場所を代わるのでスムーズに行うことができます。
このように先が見えないので見えるところまで行き車が来ているかなども確認出来ます。
ここを渡っているときは危ないから見ていたいけど先頭だから行かなければ…と思うことはあると思います。そんなときにこうすることによって危険箇所を見ることもできますし、何より子どもたちは頼られることで自信に繋がっているような気もしています。さらいうと保育士が子どもを信じるという部分にも繋がっているように思います。
そんな歩き方をしていると、心にも余裕ができ、本来の目的である散歩の途中でも綺麗な花があることに気づけたり、あんな虫がいたね、という発見にも繋がっていくことが、実践していてわかりました。
この歩き方を教えて頂いたのは、何年か前に散歩に行ったときです。。
40人ほどのお散歩の帰りに私が先頭を歩き、間にその先輩保育士、最後にもう一人の保育士3人で歩いていました。その際、1番後ろの子にトラブルがあり、保育士一人が対応しました。
対応している間は、私と先輩保育士2人となります。少しおどおどしている私にその歩き方をささっと私のところにきて、教えてくれました。すぐにそれを実践することで視野がぐんと広がり、大人も子どもも歩きやすいことに気づきます。
また教え方もナチュラルな言い方だったのでそんな部分を私も見習いたいと強く思っています。
そして、この実践を繰り返すうちに思うことは先頭の子に「何本目」などというワードが出てきます。数の数え方の概念や量の把握にもつながり様々なメリットがあるのではないとも思えています。
普段何気なくしている散歩の中にも様々な要素が含まれていることがわかりました。
(報告者 本多悠里)
保育士が子どもを信じ、子どもの信じてもらえているということで自信にもなり、なにより嬉しくなりますね。素敵な関わり方を教えていただき、実践してみたくなりました。私たちの大切なことに実践での方法をたくさん増やしていくということがあるように思います。それは私の課題でもあります。理念や思いの実現のために実際の子どもに沿った、具体的な方法をたくさん見つけていきたいなと思います。まだまだです。また、教え方がナチュラルな…というのも素敵ですね。相手に伝えたいことがスッと伝わるんだろうなと思えてきます。感情が先にあると、どうしてもその感情に対しての反応が先になってしまい、本当に伝えたいこと、共有しておきたいことが霞んでしまいそうですね。
普段、どのような思考・視点をもっていれば、このような発想が生まれるのでしょうね。別の園であれば、「危ないでしょ!」で終わっているところを、散歩本来の目的や楽しみ方、子どもの力を考慮して“そもそも”を受け入れる体制が園にあることや、本多先生のようにそれに気づいて「これは良い!」「画期的」などと思ってくれる職員がいることが、大きいのだろうなぁと感じました。
素晴らしいイントロからくる報告の始まり。流石本多先生ですね!読みたくなる書き出し、とても勉強になります。
藤森先生も教員時代に、子ども達と校外に出た際に引率の先生に「後ろを全く見ない」と言われたとか(笑)僕はこのお話が大好きなのですが、子どもを信頼しているということを、背中で語るということのようにも感じます。〝「3本目の木まで行ったら待っててくれる?」〟もう最高です。