「環境」は“きっかけ”にすぎないのかもしれません。
ある環境を用意したら、それで保育者の仕事は“終わり”であるかのような錯覚を起こしてしまいがちです。実際、私もそう思っていました。しかし、そうではなく、その環境に子どもたちがどのように関わり、その関わりをもっと深めるためには何が必要かと、考える事が重要であると感じました。それが、藤森先生が言われる「発展」であるのだと思います。
先日の成長展では、その「発展」の過程を各ゾーンごとに展示しました。
子どもたちが環境にどう働きかけて遊びが発展していったのか、職員がそんな子どもたちにどうアプローチして発展させていったのか、その間に確実にある「プラスα」の存在を、“分かりやすく”展示しようと思ったのがきっかけでした。
先日、ある女児が「先生、こっちに来て!」と嬉しさを押し込めたような表情で言ってきました。ついていってみると、科学ゾーンに素敵な作品がちりばめられていました。何かを試したり、調べたりするものとしてではなく、科学ゾーンにある、科学の力を利用して「造形」をした子どもの姿を見たのは初めてだったので、非常に感動しました。
しかし、感動するのは早かったのです。テーブルには、こんな置き紙がありました。
促されるまま、その光景を覗いてみれば、そこにはまた美しい光景が広がっていました。造形をしておしまいではなく、作った作品をこれで覗いて眺めるといった体験型の作品であったのです。
その遊びに感動したもう一人の職員が、「みんなにも見せてあげようよ!」と提案し、即座にその子の“体験型作品ゾーン”を作ったのです。普段なら、遊んだ玩具は解体して元に戻す事が前程となっていますが、この感動を他の子どもたちにも味わってもらいたい、その子の遊びを深めたいといった思いから、科学ゾーンの棚の中に、そのブースを作ったのだと思います。
科学ゾーンに、磁石や万華鏡を用意するのは簡単です。しかし、そんな環境を通して、子ども同士がつながるような仕組みを生み出したり、その遊びが発展するような言葉がけや更なる環境を“その瞬間に”用意することはなかなか簡単なことではないと同時に、そのような柔軟性や発想が保育士に求められていることでもあるのだと思います。個人的に思うのは、それができるのは「その人の経験値」が非常に関連しており、これまでにどんな経験をしてどんな思いを抱いてきたのか、そしてどんな好奇心と共に歩んできたのかが、ポイントのようでもあると感じています。正直私は、そんな多様な経験をしてきているとは思っていません。なので、周囲の人の「良い所」「面白いと思った所」を真似して自分のものにするしかありません。もちろん、そこから生まれた自分の好奇心を追求・探求していきたいとも思っています。
「環境」は終着点ではなく、あくまでもきっかけであり、そこから保育が始まるのだと思います。
(報告者 小松崎高司)
このような子どもの姿と出会えしまうと保育のおもしろさ、奥の深さを感じ、たまらない気持ちになりそうですね。レンズを覗いた先の光景には私も感動しました。そして、なにより「これでみてみてね」というメッセージにも感動です。自分が発見した、作った光景を他の友だちにも見せてあげたいという気持ちは素晴らしく、尊いものですね。その後の職員さんの対応もしっかり見習いたいなと思いました。私自身も柔軟な発想をすることが得意ではありません。ですので、この場で知る保育の発展の様子や職員のみなさんの関わり方は本当に勉強になります。
小松崎先生の感じた感動がそのまま文章になっているような、活き活きとした素晴らしい報告で、ワクワクとした気持ちにさせられます。保育は人であるとすれば、まさにその環境から生まれたものを生かす人、殺してしまう人がいるということです。僕ら保育者は、子ども達の思いに常に心を開きながら、子どもに寄り添って日々を積み重ねていく必要があると思います。〝一人の職員が、「みんなにも見せてあげようよ!」と提案し、即座にその子の“体験型作品ゾーン”を作った〟とあり、つくったその子はとても嬉しかったろうなぁと思います。保育者の仕事は大人になると子ども達に忘れられてしまうと思いがちですが、褒められたことや感動したことは案外記憶に残っているものです。感動を感動で返すような、このような素晴らしい体験を子ども達には味わってほしいですね。