私は今幼児クラス担任させてもらっています。その幼児クラスに8月から新入園児が入ってきました。早生まれということもあり、少し幼く同年代の子よりも体が少々小さいです。入りたての頃から環境の変化や前の保育園の小規模な集団から大きな集団に変わったことから、少し落ち着きはなく自分の思い通りにいかないとすぐに癇癪を起こし、少し手が出てしまう子です。
その子が最近、同じクラスの子と玩具の取り合いになっているところを目にしました。遠くから見ていたので駆けつけようと準備はしていたのですが、側にいたある男性職員が声をかけてくれていました。その後すぐにその男性職員は2人をピーステーブル(以前にも説明したケンカをした時に話し合う場所です)に連れていきました。そして一言。
「はい、ここで話しきて」と言ってその場を立ち去っていきました。
私はそこで思ったのが、あの子が果たしてピーステーブルでお話ができるのだろうか…と。
掃除をしていた私は掃除そっちのけで気づかれないように見に行ってしまいました。
するとそこでは、その新入園児が、
「話してよ!話してよ!ねぇ、話してよ!!」と連呼していました。いつもだったら貸してもらえないと手が出てしまっていたところ、グッとこらえて話していました。
相手の子が、
「話してるよ…」というと、その子は
「うるさい!」と一言…矛盾はしていますが。
その後彼は仲良く本を読んでいた子がいたらしく、いきなり立ち上がり、一緒に本を読んでいた子のところへ行き、
「○○君、今ケンカしてるから待っててね」と今まで聞いたことないほどの優しい声で言ったあとにピーステーブルに戻り再度、
「話してよ!」と繰り返していました。
ただ言い続けてもお友だちは折れることなく玩具を渡さずにいました。
すると、埒が明かないと思ったのか貸してもらえないことを諦め、その場を立ち去って行っていきました。
玩具をかたくなに離そうとしなかったお友だちもそれはそれでいいかというような表情で終わっていました。
終わってすぐに、新入園児の子に、
「仲直りできたの?」と聞くと、
「うん。」と言っていました。
話にはなっていないかもしれません。ただ私にとってはその子がお友だちと立派にお話をしているように見えました。何かを伝えようとしていることがわかりました。
この一連の流れから、私は新入園児にこの子はまだお友だちとお話ができないのではという固定概念が存在していたことに反省しました。以前にも書かせてもらった3歳児のケンカのシーンと同じような感じですが、ここで違うのがずっと新宿せいが保育園にいた子同士のケンカではなく、途中入園してきた子のケンカでした。
まだ話せないだろうと思ってしまっていたことに反省しますが、それ以上にこの見守る保育をすることで入園当初は不安定だった子がこんなにもすぐに成長し、ピーステーブルでお話ができるようになっていることに感動しています。やはり、子ども同士の影響で慣れていく環境というのがいかに大切かというのがわかります。どんな意図で男性職員がピーステーブルで話してきてと言ったのかはまだ聞いていません。きっと私よりその子のことをより理解していたのであろうと思います。その新入園児にそういった機会を設けてくれたことに感謝しています。
と、色々と感じることのできる出来事でした。
(報告者 本多 悠里)
私は改めて子どもたちなりのトラブルの解決の方法があるということを感じさせてもらいました。2歳児クラスの子どもたちの様子なのですが、Aくんが持っていたおもちゃをBくんも使いたくなり、取り合いをする場面がありました。Aくんはそれを離さなかったので、Bくんはその場でしゃがみ込んでしまいました。その姿を見たAくんが「Bくん、あれ見て(具合的に何を見ていたのかは忘れてしまいました)」と言って笑いかけました。するとしゃがみ込んでいたBくんがAくんの笑いにつられて一緒に笑い出しました。きっとその姿がお互いの解決方法だったのだと思います。ケンカが起きると大人はちゃんと話をすることができたのか、謝ることができたのか、許すことができたのかということにこだわりすぎることがあると感じる時があります。もちろん、それも大切なことではあるのですが、「ちゃんと話できてないじゃん」という余計な言葉が子どもたちに迷いや不信感を与えてしまうように思います。そうではない子どもたちの解決方法があり、それを信じようというようなメッセージを今日の内容からは感じました。子どもを取りまく大人が変わらなければいけません。
会話として成立しているかと言えばそうではなく、大人が介入して白黒つけさせてしまいがちなことが多々あるかと思います。その子のこれまでの姿から、言葉で伝えることが難しいのではないかという思いが強くある場合には尚更だと思います。ピーステーブルに向かうことを促した職員のその子の見方、保育の価値観をそれぞれが尊重できるからこそ、それぞれのアプローチを見守ることもでき、新しい発見も生まれるのだと思います。
大人からすれば矛盾していることも、子どもが仲直りできたと思っているのだからそれでいいのですよね。裁判官のような大人の判断で子どもに白黒つけることで奪ってしまう子どもの育ちがあることを、保育者は考えなくてはならないと感じます。