4月から新学期が始まり、5月も中旬から下旬になってきましたが、子どもたちの様子を見ていてあることに気が付きました。
私のいる幼稚園では、昨年から1・2歳児のクラスができました。そして、そのクラスの子どもたちが、今年から進級し、幼稚園のクラスに入ることになります。クラス編成がおこなわれていく中で、子どもたちはバラバラのクラスに分かれていきます。私や園長先生の思惑としては、1・2歳児でのクラスで培った子どもたちの様子を中心に保育を進める中でモデルになること、ほかの子どもたちのできることが深まることや伸びていくことを期待したのですが、その様子は少し違っていました。
私のいる幼稚園は比較的自由に遊ぶ時間が多いのですが、初めはそれぞれのクラスのお友どもたちとあそぶ様子がほとんどでした。しかし、最近は進級した子どもたちは自由遊びの時間になると1・2歳児クラスの時に一緒に過ごした子どもたちと遊んでいることが多くなってきたのです。また、別の子どもはお姉ちゃんのいるクラスに入りびたりになることも増えてきました。
初めは、気心のしれるなかの子どもたちだからそうやって一緒に遊ぶことが多くなってきたのかと思っていたのですが、よくよく考えてみるとそれだけではないのではないかと思い始めました。というのも、幼稚園は年齢別であり、一人担任です。そして、1・2歳児の頃のクラスの2歳児、つまり進級した子どもたちは9人ほどで、その他は新しく幼稚園に入ってきた子どもたちです。当然、集団の中で育つ子どもたちよりも、家庭で過ごした子どもたちのほうが多くなります。つまり、子どもたちのこういった遊びの姿やお姉ちゃんのところに行くという行動は自分の発達にあった環境ではないからなのかもしれないのです。
また、園での生活では幼稚園の先生方は新入児に対するケアをどうしても優先しなければいけなく、進級児はそういった活動に合わせることになります。例えば、「手を洗う」ということも手を洗う方法を教えるところから始まりますし、観察して見ていかなければいけなくなります。そのため、できるだけ全員で行くようにします。しかし、1・2歳児クラスでは生活習慣の自立を目的として進めていたので、自分たちでやることが当たり前でした。そのため、それをやってきた進級児の子どもたちは待つことが増えてきます。そして、手を洗えるからこそ、自分から行こうとすると止められることもあるそうです。こういったように日頃保育をしていく中で、子どもたちのできることと活動の動きにズレが生じてくることが多くなります。それはなにも生活の部分だけではなく、遊びの部分においても、子ども同士の発達のずれが出てきているように思います。
新宿せいが保育園にいた頃、幼児の部屋を紹介するにあたって、必ずこういった質問がありました。
「異年齢で遊ぶとそれぞれの年代の遊びって保障できるんですか?」
そのときに藤森先生は
「それはできます。子どもたちは発達によって、遊ぶ友だちを変えていきます。それぞれの発達にあった子ども同士で遊ぶことがあるので。その方がよっぽど遊びが保障されています。」
という、やり取りがありましたが、まさに進級した子どもたちが集まって遊んでいるのは発達があった友だち同士だからなのかもしれません。
保育園においては同年代のクラスが複数あることも少なく、3歳になったとしても、進級時よりも新入児の方が多くなるということになることはあまりありません。また、異年齢でのクラス編成であったら、進級の子どもたちの様子も発達に合わせた子どもを探して遊ぶことでその姿は違っていたりするのかもしれません。また、一人担任ではなく、チームであったら、進級児と新入児のケアの仕方がもっと多機能にできたのかもしれません。
以前、大阪の幼稚園の先生が集まったプロジェクトで「こども園をするにあたって3歳児は進級組と新入組を分けた方がいいのではないか」という議論になりました。初めはいろんな人とかかわることやモデルになること、見ることも大切であって、進級児がいるからこそ、家庭から来た多くの新入児のモデルになることや伝えることができると、思っていたのですが、幼稚園という一人担任、年齢別クラスという現場で進めるにはこういった問題がやはり出てきました。また、幼稚園は子どもたちを受ける人数の規模が大きいです。だからこそ、環境のあり方をもっと考えていかなければいけませんし、それを改善する方法に「見守る保育」の環境やチーム保育の考え方を見直してカスタマイズすることが大切だということを改めて感じることになりました。そして、今回の件からどう環境を作っていくことができるのかということを考える機会にもなりました。
(投稿者 邨橋智樹)
幼稚園での実践の報告、とても勉強になります。3歳児で、進級児より、新入児が多いという状況は経験したことがありませんし、それを一人担任で子どもと関わらなければならないというのはその環境での苦労がたくさんあるように感じます。そのような中での見守る保育の形を考える姿勢というのは私自身にとってもとても参考になります。同じ保育園という存在であっても、環境(建物そのもの)、人数配置、地域、職場で働く人の考え方は全く違います。そんな時に、見守る保育をどう展開し、実情にどう合わせていくのがいいのかということは丁寧に考えていかなければいけないなと思っています。「カスタマイズすることが大切」とありましたが、カスタマイズするためには、保育の考え方もしっかりと持っておかなければなりませんし、なにより、実際の現場の様子をしっかり把握しておくことの大切さも感じました(それは環境や人の思いと様々なですね)。
今年の1歳児クラスには31名いるのですが、半分が新入園児です。そのような中、やはり子どもの姿というのもこれまでとは変わってきます。子どもの姿の変化に嘆いている中、本日、園長先生から“在園児(進級児)の力”にもっとスポットを当てるべきだという話がありました。確かに、新入園児はよく進級児の子どもの様子をうかがって、時にはマネをしています。その「マネし・マネされる」「教え・教わる」経験を有効に活用して、子どもの育ちを保障していく方法を試行錯誤していきたいと感じました。
〝まさに進級した子どもたちが集まって遊んでいるのは発達があった友だち同士だからなのかもしれません。〟とあり、今更当たり前のことなのですが、子どもの姿というのはどこへ言っても藤森先生の仰る通りの姿を見せてくれるものなのですね。とすれば、藤森先生の言葉は真理なのだということを感じてしまいます。もっともっと藤森先生の言葉に触れて、自分の子どもを見る目や、悩める保育者、職員に真実のアドバイスができるようになっていきたいと思いました。